第39話:《星の黄昏》を、皆で乗り越えるために


 ナグルファル領で起きた事件から数日後――。

 王宮に用意された自室にて、【星剣の勇者】オーレンは絶句する。

 神殿から帰った【聖天騎士】メルが彼に告げたのは、耳を疑うような話だった。


「ザックが、第二の魔王に……だって?」

「ええ。ナグルファル領の神官からの確かな報告よ。ザックは異常な力を発揮し、血のように赤い結晶を操っていたそうよ。あの魔王ユミルが見せた力と、同一のものと見てまず間違いないでしょうね」


 魔王の能力のことは、当事者である勇者パーティーを除けば、リアン王女しか知らない情報だ。報告の誤り、悪意のある嘘という可能性は限りなく低い。

 それでも「まさか」という思いばかり先行して、オーレンは思考が回らなかった。


「経緯は全く不明だけど、これで各地から目撃情報が報告されていた、残党魔族についても説明がつくわ。魔王が死んだのに魔族の生き残りがいたのは、魔王の後継がいたから。下位の神官にはまだ伏せているけど、早急に手を打たなくちゃ」


 対するメルはどこまでも淡々として、その言葉の意味を悟るのが一瞬遅れた。

 つまりザックのことは、神殿の上層部が既に知るところだということ。

 ザックがどれほど危うい立場にあるか理解して、オーレンの顔は青ざめた。


「待ってよ。まさか、ザックを討伐しようっていうんじゃないよね? たとえその話が事実だとしても、ザックが魔王の力を悪用なんてするはずないじゃないか!」

「……ザックの意思は関係ない。わかるでしょう? オーレン。今こうしている間にも、民が魔族の犠牲になっているのよ。それに私たちが嘘をついたと民が思えば、国中が大混乱になる。他国からも非難がくるし、好機と見て侵略を仕掛けて来る可能性だって。事態を一刻も早く収拾するには、今度こそ魔王を滅ぼすしか――」

「ザックを犠牲にして!? 仲間を人身御供にしようっていうのか!?」


 オーレンは思わず、メルを両肩を掴んで叫んだ。

 しかし、メルはまるで揺るがない。表情も、瞳も、人形のように不動だ。

 オーレンの手に自分の手を重ねながら、無機質な声で諭す。


「もう、昔のようにはいかないのよ。魔王の力に毒された今、ザックは人族を脅かす邪悪でしかない。そしてあなたは勇者。何人も代わりのいた候補でもない。世界にたった一人の、人々の希望を一身に背負う真の勇者。あなたが授かった星の力は、あなた一人の意思で振るえるものじゃないの。人々のため、人々の敵と戦う。それが勇者の使命よ」

「でも――っ」


 なおオーレンは言い募ろうとして、しかし叶わなかった。どこまでも無表情を貫くメルの瞳から、一筋の涙が流れ落ちるのを見て。


 オーレンが手を離すと、メルは踵を返して退室する。頑なで冷たい、出会ったばかりの頃に戻ってしまったような恋人の背中を、黙って見送ることしかできなかった。


《神樹ユグドラシル》を崇拝する神殿は、神樹を穢す絶対悪として魔族の存在を決して許さない。神樹の恩恵の下で生きる人々のために。その細い体で背負った使命は、共に冒険を乗り越えた仲間の命より重いのか。


 それは、真の勇者と人々に認められたオーレンにも言えることだ。村人の子だった昔とは違う。世界を救った勇者の実績が、あまりに重い責務に変わって圧し掛かる。しかしそれと、真の勇者に至るまで支え続けてくれた親友を天秤にかけろというのか。


「ザック。僕は、どうすれば……」


 親友にも恋人にも頼れない問いに、勇者は力なく項垂れる他なかった。





「どうする。どうするどうするどうするどうするっ」


【大魔導士】グレイフの、人族最高峰とまで賛美された頭脳は空回りを繰り返す。

 ナグルファル領での事件、そしてザックの異変のことは、「とある筋」を通じて彼の耳にも届いていた。

 逃げるように屋敷の自室へ駆け込んだグレイフに、どこからともなく囁く声が。


『よかったですねえ。とっても好都合じゃありませんか』


 グレイフは耳を塞ぐ。わかっている。これは幻聴だ。ザックを追い出したあの日からずっと続く、ただの幻聴だ。


『これでザックを殺す大義名分ができました』

『あいつは魔王。人族の敵。殺すのは無罪で、合法で、正義でしょう?』

『邪魔なザック。目障りなザック。だからパーティーから追放してやった』

「ち、違う! 私は、そんなつもりだったんじゃありません! パーティーから外すよう進言したのは、彼がもう限界だったからで! 彼の命を守るためでもあったんです! 私だって、私だってザックのことは大切な仲間だと――」

『嘘つきめ。ザックのための発明を、嘘の理由で中止させたじゃろうが』

『パーティーにザックがいたら、愛しい彼女が自分を見てくれない。ザックさえパーティーからいなくなれば、恋しい彼女が自分を見てくれるかもしれない。だからそれらしい理屈をつけて、ザックを追放するよう僕たちに進言したんだよね?』

『でも結局彼女は、リュカは自分を見てくれなかった。自分に振り向いてくれなかった。ザックを追いかけて、自分の前から去ってしまった』

『だからもう、ザックを消すしかないものね? そのザックが殺してもいい、殺すべき世界の敵になるとは、なんて都合の良い展開かしら!』


 モネーが、オーレンが、ウサギが、メルが、仲間たちが非難の目を向けてくる。

 幻覚だ。幻聴だ。仲間たちも、壁一面の口や目も、ベランダもない窓の外から微笑む女も。全て全て罪の意識が、過去の後ろめたさが脳に引き起こす錯覚だ。


 悲しい顔で憤る龍人の少女も。絶望の表情で嘆く冒険者の少年も。


『どうして。どうしてだヨ。この卑怯者、裏切り者』

『なんで。なんで。お前のせいで、俺はこんな風になっちまった』

「違う違う違う違う! 違う、違うんです。私は、私はぁぁ……っ」


 そんなつもりじゃなかった。そんなつもりじゃなかったはずなのだ。


 しかし如何なる思いがあろうと、犯した罪の重さは変わりようがない。結果、実績こそ全ての世ならば、一度犯した罪は決して消えないし贖えない。

 その重みで潰されるかのごとく、グレイフは部屋の片隅に蹲って震える。


 それを嘲笑うように、窓辺で白い薔薇が美しく咲き誇っていた。





「――それで? 儂にも他の三人と一緒に、ザックと敵対しろというのか?」

「ん。私も、彼とは全力で戦う。それが私たちのためだから」


【錬金学士】モネーは、あまりに突拍子もない話に眉を顰める。


 魔王討伐の後、行き先も告げず姿を消した【狂闘士】ウサギ。彼女が突然研究所に訪ねて来たと思ったら、矢継ぎ早にとんでもない話を打ち明けた。


 ザックがあの魔王ユミルの力を受け継いでいること。第二の魔王として、遠からず勇者パーティーに彼の討伐が命じられること。

 そしてこともあろうに、その討伐に積極的に参加しろと言うのだ。


 確かに他の三人に比べモネーには、立場に対する使命感や責任感などないに等しい。それでわざわざ積極的参加の打診に来たわけだ。しかも見返りとして、先日魔境に突如発生したダンジョン……《神樹ダンジョン》の『裏口』を教えるとか。


 なぜウサギがそんな情報を握っているのか。ここまで聞けばおおよその見当はつく。

 なにせ彼女の種族、《ダークエルフ》とは、『かつて魔族に与してエルフを裏切った』という曰く付きの人族なのだから。


 それでも、モネーにはどうにも解せなかった。ウサギ自身の真意が。


「問い質したいことは山ほどあるが、まず一つ。お主の言う『私たち』とはどこまでの範囲を指しておる? 種族か、国か、はたまた世界か?」

「勿論、パーティーの七人のこと。私はザックが好き。リュカも好き。パーティーの皆が大好き。だからこそ、これは必要な試練」


 感情に乏しい瞳と頬が、仄かに色づく。微笑にも満たない、しかし確かな喜色の表情。

 旅路で見慣れたはずのそれが、今は流石に不気味に見えた。

 モネーのやや引き攣った顔も気に留めず、ウサギは底の見透かせぬ目で言う。


「私たちは、強くならないと駄目。今よりもっともっともっともっと。そして皆が本当の一つに、本当のパーティーにならないといけない。神様でも生き残れなかった、星が生まれ変わる災厄……《星の黄昏》を、皆で乗り越えるために」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る