第36話:俺は最後まで、皆と一緒に冒険がしたかったんだよぉ……!


 暴力を振るう悦びは、大きく分けて二種類ある。

 自分より小さい相手を踏み潰す快感と、自分より大きい相手を捻り潰す快感だ。


「ブッシャアアアア!」

「アハハハハ!」


 既に半分近く体積を失って縮んだ死肉の怪物が、必死な様子で叫ぶ。

 あまりに健気でいじらしくて微笑ましくて、俺はついつい笑ってしまった。


 ガチガチに固めた外骨格が剣山のように突き出す、如何にもめいっぱい武装したという感じの巨大な拳が振ってくる。対して、俺は右手の指をパチンと鳴らした。。


 元は怪物の体だった白い結晶が血の赤色に染まり、細かい破片に割れて俺の手元に集まる。俺が思い描くままに、結晶片は形を再構成する。


 一瞬のことだ。外骨格を割り、肉を裂き、赤い結晶の剣が地面からそそり立つ。怪物の拳よりも一層巨大で、武器というよりそういう地形のようだ。雨風が長い年月をかけて削り上げたような、自然の芸術品。そんな威容だ。

 それが瞬時に、俺が指を鳴らすだけでいくつも屹立して、怪物の巨躯を斬り裂く。


「ブシャアアアア!」

「またそれか? それはもういいって。飽きちゃったよ」


 胃酸やら毒液やらを何種類も混ぜ込んだゲロブレスが、怪物の口から吐き出される。

 無意味だ。こちらに届く前に、一滴残らず結晶化した。質量だけが頼りの攻撃では、どれだけ膨大でも『死の波動』を潜り抜けられない。

 しかし汚いのも嫌だが、なにより面白味に欠けるのがいただけない。


「どうせなら、もっと派手な攻撃をしようぜ? こんな風に、さ!」


 周囲の赤結晶が細かい破片に砕け、俺の手元に吸い寄せられる。


 結晶がさらに炎へ変わり、掌中で圧縮されていく。温度と密度を増す熱量が、煌々と輝き出した。大気が焦げ付くほどの熱だが、俺は火傷一つ負わない。右手は勿論、いつの間にか左手も黒殻の異形に変貌していた。


 保持が難しくなってきたところで、俺は掌中の光球を解き放つ。

 風を焦がし、空を焼く光の奔流。超高熱の閃光が、怪物を呑み込んだ。

 光が収まった後には、死肉の山が影も形もなく。


「ありゃ。やり過ぎちゃった?」


 まだまだ遊び足りないのに。

 落胆しかけたところに、上空からベチャリと死肉の塊が落ちてきた。

 丁度人一人分ある肉塊は、スライムのように蠢いて俺から遠ざかろうとする。


「ブフッ。ブフー。ブフィー……!」


 おお、まだ息があったか。俺は嬉しくなって、じっっくりと肉塊ににじり寄る。


「ブ、ブァケ、バケモノ、メェェ」

「オイオイ。どの口で言うんだ。その有様に比べれば俺なんて――ん?」


 ふと、使い残した結晶に映る自分を見て気づく。

 両手どころか、顔を含めた半身が黒い甲殻に覆われ異形と化していた。今も徐々に、しかし確実に異形の割合が増えつつある。まるで幼虫が、繭や蛹で自身を包むように。


 ……うん。悪くない。この黒い蛹が全身を覆ったとき、自分が真に『第二の魔王』として羽化を果たす。そんな期待感があった。


「ほら、さっさと次の手を見せてくれよ。今度はなにして遊ぼうか? 斬って燃やして、次は殴る? 凍らす? 吊るす? 沈める? 磨り潰す? 追いかけっこ、かくれんぼもいいなあ。どうする? どうする? アハッ。アハハハハハハハハ!」


 楽しいなあ。愉しいなあ。壊すのは気持ちが良い。傷つけるのは面白い。

 力さえあれば、力以外の全てを諦めてしまえば、世界はこんなにも簡単だ。


 英雄と違ってバケモノなら、力があれば誰でもなれる。ただ思うままに好き放題に、死ぬまで暴れていればいい。英雄の手で討たれる、そのときまで。


 後戻りできない断崖絶壁から身を投げるように、俺は一歩踏み出す。出そうとした。


「――もういいヨ、ザック」


 それを妨げたのは、俺の右手を両手で掴むリュカだった。他の連中の姿はない。おそらく俺の異変を感じ取り、アンデッドの対処を任せて一人で駆けつけたのだろう。

 もう、とっくに手遅れだというのに。


「なんの真似だ?」

「別に殺すなとは言わねえヨ。ただ、殺るならちゃんと【冒険者】としてだ。そんな、バケモノみたいな姿でやるのは、違うだロ」

「いいや、違わない。これこそが本当の俺だ。あいつと同じ、英雄に値しない俗物。所詮、お前らと肩を並べる器じゃなかったのさ。だから、これ以上リュカとは一緒にいられない。この力を自由にできるなら、もうお前らとの仲良しごっこは要らないんだよ」


 だって、勇者パーティーに俺は要らないのだから。

 オーレンたちの傍に、俺の居場所なんてなかったのだから。


 ありもしない居場所を求めたから苦しむんだ。バケモノでいれば、もう居場所なんて必要ない。傷つくことはない。楽になれる。

 だから離せ。離してくれ。これ以上、なにも期待させないでくれ。


「なんで、なんでそんなこと言うんだヨ!? あたしと一緒にいるのが、そんなに嫌になったのカ!? あたしたちのこと、嫌いになっちまったのカ!?」


 自分が口にした言葉で、深く傷ついたような顔をリュカする。


「そりゃあ、嫌いだって言われても、あたしたちに文句を言う資格なんかねえヨ。ザックを置き去りにして、六人だけで英雄なんて呼ばれて。世界を救った功績も名誉も、ザックにだって同じだけの評価を受ける権利があるのに……」

「違う。違う違う違う! 功績とか! 名誉とか! そんなモノが欲しいんじゃない! そんなくだらないモノが惜しくて、こんな気持ちになってるんじゃない!」


 思わず叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。

 嫌われても軽蔑されても構わない。でも、それだけは誤解して欲しくなかった。


「金も名声もどうだっていい。俺は最高の仲間と一緒に最高の冒険ができた。そのことがなにより幸せで、誇りだったんだ! でも――新聞も、吟遊詩人の歌も、皆の噂話も、どこにも俺がいないんだ。『勇者パーティーは六人だ』、『お前なんか知らない』、『お前なんかいない』、皆が口を揃えて俺の存在を否定する!」


 誰も知らない語らない英雄なんて、最初から存在しないのと同じだ。

 心躍る冒険の思い出が、万人の声でかき消されていく。

 それが悲しくて恐ろしくて、気が狂いそうになる。


「皆がそう言うから、だんだん自分でもわからなくなってきた。おかしいのは俺の方で、仲間と一緒に旅した思い出も、俺の妄想なんじゃって自分の正気を疑い始めて」

「そ、んなわけないだロ!? あたしたちだって覚えてる! ザックと一緒に旅して、戦って、たくさん冒険したことを!」

「でも証拠がない! 証明になるだけの霊格もスキルも、俺には何一つない! せめて、せめて最後まで一緒に冒険をやり遂げていたなら。俺も勇者パーティーの一員だって、きっと胸を張れた。でも、できなかった。俺は結局できなかった!」


 気づけば、涙がボロボロと溢れていた。

 情けない。みっともない。それでも本当はあのとき、泣き喚いて縋りつきたかった。


 置いて行かないで。隣にいさせて。役に立つから。足手纏いにならないから。

 どれだけ傷ついたって、手足を失ったって、たとえ死んだって構わないんだ。

 ただ、俺は。


「俺、俺っ。俺は最後まで、皆と一緒に冒険がしたかったんだよぉ……!」


 それだけが望みだったんだ。それだけを願っていたんだ。

 それさえも過ぎた望みで、それを願う資格さえ自分にはなかったけど。


「仲間から貰った装備も魔道具も放り出したら、ビックリするほど俺は空っぽだった。あの旅で、俺はなにもやり遂げていなかった。勝ち取ったものなんてなにもなかった。お宝一つ手に入らず、俺だけが無駄で無意味な冒険だったのさ」


 その旅も終わった今、俺たちを繋ぐものなんてなにもない。

 この手が離れれば解放されるのだ。俺も、彼女も。


「いい加減わかれよ。俺には、リュカが手を差し伸べるだけの価値なんてない。元パーティーメンバーに対する、ただの同情のくせに。俺がそれ以上を望めば、困るだけのくせに。もう、俺に優しくなんかするな」


 リュカの手を振り払い、俺は今度こそ決別の一歩を踏み出す。

 しかし。轟く雷鳴が、再度俺の手を阻んだ。


「ふざ、っけんナ。この大馬鹿野郎ォォォォ!」

「――っ!」


 今更、落雷程度で堪える体ではない。現に痛くも痒くもない。

 にも関わらず、半身を覆う黒殻のほとんどが砕け散った。未だ初代には及ばずとも、上級魔族の域は遥かに超えた力を引き出せたはずなのに!


 驚愕している隙に、リュカが俺の胸倉を掴んでにじり寄る。


「なにが同情だヨ。誰が空っぽなモンか。てめーが手に入れたものなら、あるサ」

「どこに? 俺が一体、あの旅でなにを手に入れたっていうんだ?」

「……は?」


 既に互いの鼻先も触れ合うほどだった距離が、完全なゼロになる。

 甘い香り。柔らかな唇。熱いくらいの体温。喧しく響き合う互いの胸の鼓動。

 えっと。つまり。これは。リュカと。キスを。している?


「~~~~~~~~っっっ!?」

「わっかんねーかナ、このバーカ! 好きなんだよ愛してるんだよ夢中なんだヨ! あたしは、リュカは! てめーに、ザックに! 恋してるんだヨ! つーか二人きりで冒険したくて追いかけるとか、好きでもないのにするかバーカバーカ!」


 名残惜しそうに唇を離したリュカが、林檎よりも真っ赤な顔で叫ぶ。

 こっちは頭の中がグルグルで、けれどリュカの言葉は一言一句伝わってきて。


「どんなに楽しいときも嬉しいときも、ザックがいないと物足りねえんだヨ。胸にポッカリ穴空いたみてえなんだヨ! どんなに危ないときも辛いときも、ザックが一緒にいたから最後は『冒険だった』って笑って振り返られた。あたしにはもう、ザックが隣にいない時間の過ごし方なんてわからねえ! 一生わからないままでいいんだヨ!」


 言霊に乗せたリュカの意思が、想いが、逃れようもなく正確に一途に俺の胸を打つ。


「あたしの心も体も、全部ザックのモンだ! てめーがあたしのハートを奪って、あたしの愛を勝ち取ったんだ! てめーがしたこと言ったこと、一緒に過ごした時間の全部でナ! だから、ザックの冒険に無意味だったことなんて何一つねえんだヨ!」


 彼女の激しい心を表すように、迸る雷が俺を直撃する。

 それは俺の体に痛みさえ与えず、けれど強く強く俺の心臓を高鳴らせた。

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