第35話:…………アハッ


「あが。あがががが。痛い。なんで。なんで。痛い!? 僕は力を手に入れたんだぞ。僕は英雄になる男だぞ! それがなんで、こんな雑魚に、なんでぇ!?」

「力さえあれば、オーレンたちのような英雄に? ――ふざけるなよ、馬鹿野郎が。そんな薄っぺらい妄言を吐くカスが、力を手に入れた程度であいつらと対等になれるわけないだろ。自分を過大評価するのも大概にしやがれ」


 地を這うナトリの無様さが見るに堪えず、俺は唾を吐き捨てる。

 


 浮浪者に混じり、路地裏に転がったままだったら。リュカが探しに来て、見つけてくれなかったら。力に溺れかけたのを、リュカに止めてもらっていなかったら。マグマザウルスとの戦いで、巻き込んだ親子を見殺しにしていたら。


 些細なボタンの掛け違え一つでこうなっていたであろう、俺のありえた末路。

 俺とナトリに大した違いはない。生まれや育ちなんて誤差だ。

 もしも大きな差があるとすれば、それは『本物』を知っているか否か。


「オーレンも、メルも、グレイフもモネーもウサギも、そしてリュカも。力があったから英雄になれたんじゃない。あいつらは優しくて、気高くて、聡明で、高潔で……どんな困難にも立ち向かう強い心の持ち主だから、英雄に相応しいだけの力を手にしたんだ」


 本物の英雄を、誰よりも間近で見続けてきた。彼らの勇気を、葛藤を、決意を、信念を、彼らが英雄に足る所以をこの目に焼き付けた。

 そして、その度に思い知らされた。俺は違うと。俺は足りないのだと。


「それに比べて、お前(俺)はなんだ? 他人を慮れない。一番大事なのは自分。思い通りにならなきゃ全部他人のせい。考えがなにもかも浅はかで、常に選択肢を間違える。すぐ欲に流されて我慢を知らない。高望みはしても志が低くて、他人の成功を妬んでばかり。自分からはなにも他人に与えられず、そのくせ他人への要求だけは人一倍で!」


 報われなくて当然だ。力がないのも必然だ。

 俺は、それに値しない人間なのだから。


「そんな愚図が力だけ手に入れたって、心まで突然立派になれるわけあるか! 英雄舐めるな! どれだけ力があっても、愚図はどうせ失敗する! 選択を誤る! 力の使い方を間違える! 無思慮に無責任に、分不相応な力に振り回された挙句、無関係な大勢の人を傷つけるんだ! だからお前も俺も、力なんか手に入れちゃいけなかったんだよ!」


 ――あるいは。最初は小さな過ちだったのかもしれない。


 突然得た大きな力の加減が利かず、弾みで人を殺してしまって。罪の重さに耐えかねて、屍人に変えてしまって。自分の言いなりになる死者に囲まれるうち、狂い出した頭の歯車を自分でも止められなくなって。


 俺たちのような愚か者が力を手に入れたところで、所詮そうなるのがオチなのだ。


「お前に力がないのは、誰のせいでもない。なんのせいでもない。ただ、力を手に入れる資格が、価値が、器がお前になかっただけだ。お前という人間そのものがゴミクズなだけだ。なにもかも、身の程を弁えられなかったお前が悪い」


 その渇きも望みも願いも、お前には過ぎたモノだったのだと切って捨てる。

 ナトリはなお受け入れられないようで、壊れた人形のように激しく頭を振り出した。


「ぶ、ぶざ、ふざけるな。僕は悪くない。僕はゴミクズなんかじゃない。僕は優秀だ僕は有能だ僕は英雄になるんだ。貴様なんかとは違う。ゴミクズは貴様だ。クズクズクズクズブズクブクブクブブブブブブブブ」


 血走った目が焦点も定まらず動き回り、血管が切れて眼球全体が真っ赤に染まる。

 そして突如、ナトリの体が何倍にも歪に膨れ上がった。


「ブブブブッシャアアアアアアアア!」

「な……!?」


 何本も腕が生えて伸びてきたのを、俺は間一髪飛び退いて避ける。

 咄嗟に反応できたのは、以前一度似たような現象を経験していたからだ。

 そう。これは六腕リザードマンの身に起こった異常と酷似している。


 六腕リザードマンのときと違うのは、生えたのが腕だけじゃないこと。足、口、目、耳、その他骨や内臓まで……ブヨブヨに膨張した肉塊から、人体を構成するあらゆる部品が、無数に無差別に露出していた。


 船のマストに取り付いた俺は、怖気の走る光景を見下ろして全身に鳥肌が立つ。

 なんだ、これは。こんなの《屍造のヴィクター》との戦いでも見なかったぞ!?


「ブッシャアアアア!」

「っ、まずい! 皆、船から飛び降りろおおおお!」

「うわああああああああ!?」


 巨大な腕のように膨れ上がった死肉の塊が、甲板の上を薙ぎ払う。

 力というよりは質量で、マストもへし折ってさらう死肉の波。魔物や市民のアンデッドは一瞬で呑み込まれた。神官たちは集団神聖術を行使。全員を守る光の防壁を築いたが、その防壁ごと死肉に船外まで押し流される。


 しかし、リュカが風の精霊術を使ったのだろう。光の防壁を足場に、ゆっくりと地上へ降下していくのが見えた。ホッと安堵に胸を撫で下ろす。


 俺はといえば、傾き倒れるマストの上を滑り落ちていた。

 過去の経験と照らし合わせ、目の前の怪物をどうにか分析しようとする。


「スタンピードで湧いたアンデッドを取り込んだ……だけじゃないな。これはまさか、死肉そのものが増殖しているのか?」


 怪物の大きさは最早、重みで幽霊船全体が僅かに傾くほど。下手な竜の巨躯も上回る量の死肉は、見ているだけで目が腐りそうなおぞましさだ。


「馬鹿な。確かに生物の肉体は、絶えず増殖して新しい組織と古い組織が入れ替わると聞く。しかしそれは生きているときの話だ。生命活動の停止した死体が増殖するなんて……世の中が俺の貧相な想像を超えてくるなんて、いつものことではあるか」


 未知の事態には慣れっこのつもりだったが、今回は一際得体が知れない。モネーの助手として触れた【死霊術】の知識にも、この現象を説明する術がない。

 満足に考察を続ける暇もなく、怪物が次の動きを見せた。


「ブ、ブブブブブブブブ!」


 頭と思しき位置で、口であろう穴がモゴモゴと蠢く。

 そして死肉の山のいたるところから、内臓が飛び出してきた。

 それがなんの器官か悟って、一気に血の気が引く。


「やば――っ!」

「ブッシャアアアア!」


 咄嗟に、リュカたちが落ちたのとは逆側から飛び降りる。

 怪物の大口から滝のごとく嘔吐されたのは、毒液と胃酸の洪水だ。それが遅れて吐き出した火炎の熱で気化し、ガスとなって周囲を覆う。


 魔法障壁だけじゃ毒気を遮断し切れなかった。精霊の加護様々だ。俺を狙った分、リュカたちの方には被害が行ってないといいんだが。


「火炎袋に毒袋、それに胃袋からのブレンドゲロブレスかよ……!」


 複数の器官で生成した火と毒と酸を、混ぜ合わせて口から吐き出したのだろう。

 問題は、それらの大きさだ。取り込んだアンデッドのソレを繋ぎ合わせたのでは、到底説明がつかないサイズ。


「ブッシィィィィ!」

「おおおお!?」


 こいつ、俺を追って体ごと倒れ込んで来やがった!?

 視界を埋め尽くす死肉の山。このまま落下しても十分ヤバイが、怪物は圧し潰すのでは気が済まないか、死肉の拳を振りかぶっている。


「こうなったら《ギングニル》でぶち抜いて――なにぃ!?」


 驚愕で目を丸くする。死肉の塊から見る見るうちに骨が、筋肉が形作られ、さらに外骨格で武装した巨人の鉄拳に変貌したのだ。そこに継ぎ目はない。継ぎ接ぎではない。生きている巨人の腕をそのまま持ってきたかのような出来栄え。


 振り下ろされる巨拳。回避は無理。半ば自棄で《ギングニル》を打ち込む。

 炸裂する偽オリハルコン合金の杭は、骨の装甲を確かに砕いた。ただし、途方もなく分厚い壁の、ほんの表層だけ。

 圧倒的な質量の暴力に潰されながら、俺は地上に激突した。


「…………が、はっ」


 ギングニルが砕いた割れ目に潜り込む形で、地面のシミにはならずに済んだ。

 しかし痛みどころか、体の感覚がない。指先一つ動かせない。つまり瀕死。

 それでも。思考を回すことだけは、かろうじてできる。


「筋肉を、骨を、内臓を……あらゆる器官を死肉から形成した? そんな【死霊術】が、ありえるのか? そもそも、新しいスキルが開花するような状況じゃなかった、はず。アレはまるで、スキル自体になにか異常が起きて、別物に変質したかのような――」


 ふと、脳裏にいつかの喫茶店でのやり取りが蘇る。

 六腕リザードマンについて、《薔薇の魔女》ことローズはこう言った。『スキルツリーの移植を試した実験台の一人』だと。


 そも、なんのための実験だ? スキルツリーの移植は目的でなく手段。魔王は勇者パーティーが敵わないほど強く、病かなにかで長くないという様子でもなかった。魔王の力を誰かに引き継がせること自体ではなく、その『先』にこそ狙いがあったはず。


 ――これが、その答えなのか?

 異なる薬品を配合して、新しい効能の魔法薬を作るように。

 あるいは品種の異なる木を交配させて、新種の果実を誕生させるように。


 異なるスキルツリーの融合、人と魔族の力の融合が、? 人の経験という養分からでは創り出せないような力を?


 新しいスキルの開花とはわけが違う。それは言わば突然変異、人としての限界を突き破る進化だ。神の領分に踏み入る禁忌の御業。


「ブギャギャギャギャ! 死ネェ! 死ネェ! コノゴミガァ!」


 まだナトリの人格がいくらか残っているのか、怪物が狂ったような笑い声を上げながら、何度も拳を落としてくる。


 随分と楽しそうだ。そりゃあ楽しいだろう。非力な弱者にとって、巨大な力で思いのまま暴れるのは、何にも勝る快楽だ。たとえそれが、どれほど邪悪で醜悪な力でも。弱い俺たちは、自分さえ気持ち良ければ他はどうだっていいのだ。


 ああ――ズルイじゃないか。お前ばっかり、気持ち良さそうに力を振り回して。


「ブギャギャギャギャ、ギャアアアア!?」


 不意に、怪物が悲鳴を上げた。

 怪物の拳が、腕が、瞬く間に白い結晶で侵食されていく。

 結晶は崩壊し、微細な破片となって、光の雨のように降り注ぐ。


「…………アハッ」


 その中で俺は、異形の右手を掲げながら。

 腹の底から溢れ出す力に、堪え切れず笑みを零した。

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