第29話:一緒にたくさんの冒険をやり遂げた今のあたしは、出会った頃よりちょっとは変われたカ?


 英雄とは、人々に語り継がれてこその英雄だ。その伝説が子へ孫へと後世に伝わることで、英雄は永遠の存在となる。だから誰にも語られない、誰の記憶にも残らない者は、最初から存在しなかったのと同じ。

 俺は生きながらに亡霊も同然、この世にもあの世にも居場所がない迷子の気分だ。


「うわーん! ママー! どこー!?」

「……お母さん、一緒に探すの手伝おうか?」


 そんなことを考えていたら、本当の迷子に遭遇した。

『都市を散策してから城に向かう』とナグルファル辺境伯に断りを入れ、リュカが俺をあの場から引き離した。俺はなにかを言う気力もなく、引きずられるがまま。人気のない裏路地に入った先で、迷子の男の子に出くわした。


 どれほど気分が最低最悪でも、泣いている子供を見過ごすなんて、勇者パーティーの一員がすることじゃない。なんなら今は迷子的な意味で他人の気がしないまである。

 そういうわけで俺が男の子を肩車してやりながら、母親を探しているところだ。


「そっか。いつもは通らない、知らない道を探検――いや冒険していたら、帰り道がわからなくなっちまったカ。そいつぁ、心細かったよナ」

「うん。ぐすっ」


 この都市の裏通りは、俺とリュカもかつて『冒険』した記憶がある。しかしここは敷地に対して人口の割合が多い分、家屋が密集して下手なダンジョンより入り組んでいた。おかげで男の子の証言を頼りにしても、彼が住む区画を探し当てるのは難儀した。

 次第に不安が膨らんできたのか、男の子はしょぼくれた声で呟く。


「こんなことなら、冒険なんてするんじゃなかったよぉ」

「……そんなもったいないこと、言うもんじゃない。冒険しようと知らない道へ一歩踏み出すとき、どんな気持ちだった? ドキドキワクワクしたんじゃないか? その気持ちは間違いなんかじゃない。絶対に、間違いじゃないんだ」


【勇者】に選ばれたオーレンについていく形で、村を飛び出した日のことを思う。

 今の俺には、あのときのドキドキワクワクを思い返すことは難しい。擦り切れた心で思い出せるのは、誰もが自分を嘲る故郷が嫌で嫌で、耐えられなかった気持ちだけだ。


 それでも。冒険を求めた自分の選択は正しかったと、自信を持って言える。


「冒険っていうのは、なにも考えずに突っ込めばいいってモンじゃない。毎日たくさん勉強して、事前にしっかり準備をするのがとっても大事だ。ただ、どれだけ念を入れて備えても、思いもよらないことが冒険にはたくさん起こる。そういうときは、まず深呼吸。落ち着いて状況を観察して、ときには大胆な決断で行動することも必要になる」


 どれも自分には足りていなかったことばかりで、何度も自分の非力を思い知った。

 その度に学んで鍛えて、一歩でも前に進もうと足掻く毎日だった。


「なんだか、すごく大変そう」

「そうだな。冒険するって結構大変だ。痛い目を見たり、とても笑えないような悲しい思いをすることもある。……それでもさ。冒険をやり遂げたときには、全部をひっくるめて『楽しい冒険だったな!』って笑顔で振り返られる、前より強い自分になっていると思うんだ。それが、俺がなりたかった本物の【冒険者】ってヤツなんだ」


 結局、夢見たような理想像にはとうとう届かなかったが。

 村を飛び出す前の自分よりは、なにか成長できたのだろうか。

 多くが変わった気もするし、なにも変われていない気もする。


「これから勉強したり、体を鍛えたり、君にはやるべきことはたくさんある。だけど一番大切なのは、知らない道へ一歩を踏み出した、その勇気なんだ。どれだけ賢くても強くても、前に一歩を踏み出せなくちゃ冒険はできない」


 俺は駄目だったが、この子はなにもかもこれからなのだ。無限に広がっているはずの可能性を、最初の一歩で閉ざしてしまうのは、あまりにもったいないではないか。


「失敗を反省するのは大事だ。でも一歩を踏み出したときの、ドキドキワクワクした気持ちは、どうか忘れないで。それこそが、輝くような冒険への道標なんだ」

「……うん!」


 どうにか元気を取り戻してもらえたようで、なによりだ。

 隣のリュカが、なにやら言いたそうにニヤニヤしていることを除けば。


「なんだよ。こんな偉そうなこと、俺が言えた義理じゃないことくらいわかってるさ」

「バーカ。そんなんじゃねえヨ。今の話、旅の中であたしにも教えてくれたことばかりだなってサ」

「そう、だったか? そんなこと、よくいちいち覚えてるな」

「馬鹿。一度も忘れたことなんてねえヨ。ザックがくれた言葉は全部ナ」


 リュカは少し歩調を早め、俺と距離が開いたところでこちらを振り返る。


「あたしが迷ったとき、怖気づいたとき、いつだってザックがあたしの背中を押してくれた。あたしの手を引いてくれた。そうやって踏み出した一歩を積み重ねて。冒険に満ちた日々を駆け抜けて。今、あたしはここにいる」


 場の空気を読んだか、男の子が俺の体を降りてちょっと離れた。

 リュカは自身をしっかり見てもらおうとするように、両手を広げて微笑む。


「どうかナ? ザックから見て、一緒にたくさんの冒険をやり遂げた今のあたしは、出会った頃よりちょっとは変われたカ?」


 花が日の光を一杯に浴びて咲き誇るような笑顔。

 改めて彼女の可憐さに胸を射抜かれると同時に、出会った頃の記憶が想起された。


 出会ったときのリュカは、まるで篭の中に蹲る鳥だった。狭苦しい場所にうんざりしながらも、外の世界へ羽ばたく決心がつかない。退屈で窮屈で、力と気持ちを持て余し、それでいて瞳の奥は不安に揺れていて。


 いつかの自分自身と重なって見えたから、彼女の背を押さずにはいられなかった。この残酷で醜く、それでも美しい世界へ引っ張り出したかった。リュカなら、きっと誰よりも力強く羽ばたけると思ったから。その美しい姿を見たいと思ったから。


 そして勇者たちと共に魔王討伐の旅をやり遂げて、彼女はここに立っている。

 その佇まいも眼差しも、出会ったときより遥かに力強さと輝きを増していて。

 感動に胸が奮え、目尻が熱くなる。君は、こんなにも。


「――ああ。出会ったときから、君は綺麗だったけど。あの頃よりもずっとずっと、強くて美しくて、素敵な人になったよ」

「…………っ」


 万感の想いを込めた言葉に、リュカの顔が龍鱗にも劣らない鮮やかな朱に染まる。

 恥ずかしい台詞がスルリと零れてしまって、俺もどうすればいいかわからない。

 ええと、どうしよう。このなんともこそばゆい空気。


「あっ。ママー!」


 急に男の子が声を上げた。走り出した先には、母親らしき女性が手を振っている。

 俺とリュカは酷く驚いた。全く気配を感じなかったのだ。

 そして今も気配が、


「ザック!」

「待つんだ! そいつは――!」


 制止の声はあまりに遅すぎた。

 母親は無言でいきなり男の子の首根っこを掴むと、路地裏の奥へと走り出す。掴み方からして、親の子に対する扱いではない。


「うわああああ! いきなりなにをしやがる、こいつ!?」

「どうしたんだ急に! オイ、なんとか言ってくれよ!?」

「ひぃぃぃぃ! 誰かああああ!」


 同時に周囲から悲鳴が上がる。なんの脈絡もなく、市民が市民に襲いかかっていた。

 襲っている側の市民からは、やはり生気が一切【感知】できない。

 彼らも、あの母親も《フランケンシュタイン》だ。

 生者と見分けのつかない屍人たちが、既に都市の中に潜伏していたのだ。


「ここはリュカに任せた! 俺はあの子を追う!」

「気をつけろヨ! こいつぁ明らかに、あたしたちを分断するのが狙いだゾ!」


 俺は頷きを返し、一人で親子を追って裏路地に駆け込んだ。

 すると、母親は我が子を雑に抱えたまま、曲がり角のすぐ先で足を止めていた。こちらを一瞥すると、再び走り出す。明らかに専業主婦と思しき細身からはありえない速度。それでいて、こちらが見失わないよう一定の距離を保つ走りだ。


 思った通り、俺をどこかへ誘い込む魂胆か。

 上等だ。母親を屍人にして子供にけしかけるような外道には、腐り切った面に文字通りの鉄拳を喰らわせてやる……!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る