第26話:儂ってば、可憐で心優しい天才美少女学士じゃし?


【錬金学士】モネーは、ふとペンを紙に走らせる手を止めた。


 しばらくして、扉の向こうから近づく足音。その歩幅、体重、背丈、入り口からここまでの移動にかけた時間、等々を計算して来訪者を割り出す。

 そして部屋の扉が開いたところで、そちらに視線を向けないまま言った。


「二ヶ月と十七日、九時間と二十二分ぶりじゃのう、グレイフ。我が秘密研究所の超難解ギミックをこうも容易く突破してくるとは、流石は【大魔導士】様じゃな?」

「なーにが、超難解ギミックですか。三百五十六にも及ぶパズル式の錠前――は全て見せかけ。実際は扉そのものがドアノブで、扉を丸ごと一回転させることで地下への入り口が開く。ただの悪ふざけに満ちたひっかけ問題ではありませんか」

「それをあっさり看破した辺り、貴様も『遊び心』がわかるようになったではないか」


 もし彼が他のつまらない学者気取りのように、己の知識をひけらかそうとパズルを解いていれば。どう足掻いても足元にポッカリ落とし穴が空き、滑り台式の通路から下水道に放り込まれるところだった。


 あの堅物小僧が、随分と丸くなったものだとモネーは笑う。


「それで、今日は何用じゃ? 確か最後に会ったときは、《学会》から呼び出しを受けたという話じゃったが、そちらの用件は済んだのかのう?」

「え、ええ。まあ、実りある時間だったとは到底言えませんがね。口を開けば『傘下に入れ』『技術を提供しろ』『命令に従え』と、不毛なやり取りの繰り返しだったので」


 一瞬表情を強張らせたのは引っかかったが、概ね予想通りの返答だった。

 かくいうモネーも似たような状況にうんざりして、王都郊外にあるこの秘密研究所に引きこもっていたのだ。


《学会》というのは、簡単に言えば《魔導士ギルド》や《錬金術師ギルド》の上層部を指す名称だ。学問としての【魔法】、【錬金術】を追究するための組織だが、今や醜い権力争いの温床となっている。


 勇者パーティーによる魔王討伐も、彼らにとっては権力闘争の一環に過ぎず。有力な勇者候補のパーティーには、学会の息がかかった魔導士や錬金術師が参入していた。


 しかし有力候補は全滅し、魔王討伐を成し遂げたのは眼中になかった弱小パーティー。モネーもグレイフも、学会から爪弾きにされていた異端児である。

 それで焦った学会が、自分たちを勢力に取り込もうと躍起になっているわけだ。


 胸が空く気持ちもあるが、最早学会になんの未練もない身としては、ただ煩わしいばかり。出世も名声も興味はなく、今は新しい研究に夢中だった。


「貴様も難儀だったようじゃな。ほれ、適当な場所に座るがいい」

「いや、座るどころか足の踏み場もないじゃないですか……。蔵書。用紙。模型。用途不明の部品。一つ一つに貴族でも目が飛び出るような価値のつく品を、こんな無造作に散らかし放題にして。もう代わりに片付けてくれる保護者もいないんですから、しっかりしてくださいよ」

「固いことを言うでない。儂の《雑貨なんでも収納ボックスくん》に放り込めば、あら不思議。拡張空間の中で種類、用途別に自動で整理整頓されてしまうからのう。取り出したい物を自動で引き寄せる機能もセットじゃから、いくらでも散らかしオッケーよ!」


 ワハハハハ! とモネーが高笑いする。

 それを聞いたグレイフはといえば、しかめっ面具合が二割増しになった。


「世に広まれば社会を一新する発明でしょうに、それを怠けるためにとは。またこんな叡智の無駄遣いをして」

「馬鹿者。これは、片付けにかける無駄を省いたと言うんじゃ。そもそも技術とは根本的に楽をするためのモノ。生活に費やす労苦を削減し、思索や勉学に割く時間と心の余裕を生む。余裕ある生活と社会でこそ、さらなる学問と技術の発展が叶うんじゃよ」

「まあ、一理ありますがね。『収納用の魔道具は内容物の定期的確認を怠ると、知らずに異空間の奥底で食料や素材を腐らせてしまう』『小さい入り口からの手探りで、目的の物品を探し当てるのにはコツがいる』などと、あの冒険馬鹿が零していましたし。私は内容物の各種個数まで逐一記憶しているので、特に困ったことはありませんが」

「そりゃ皆が皆、貴様や儂ほどの記憶力を備えておるわけではないからのう。とはいえ、自動整理と自動引き寄せの機構は拡張空間の容量を圧迫してしまうのでな。ポーチ以下のサイズには組み込めないんじゃよ。機構の小型化については、今後の課題だのう」


 ……実のところ。グレイフと同様に天才的頭脳を誇るモネーにとって、この発明の必要性は低い。つまり、これは頭脳で劣る他者のための発明。

 勇者パーティーに加わる以前の自分では、到底考えられなかったことだ。


 あの愉快な旅路で、自分もまた多くを学び、変わったものだとモネーは思う。


「それで? 片付けにかける無駄を省いた分、浮いた時間は新たな研究に有効利用しているんでしょうね?」

「くっふっふー。そう問われて、いつまでもわざとらしく目を泳がせながら口笛を吹く儂じゃと思ったら大間違いぞ? ほれ、括目して見るがよい!」


 部屋を周回する飛行機械に、床の資料のいくつかをグレイフの手元へ運ばせる。

 頑として自分は動かないモネーに呆れ顔のグレイフだったが、受け取った資料に目を通すと真剣な顔に変わった。


「これは、まさかっ」

「うむ。儂の次なる研究テーマはズバリ――『』じゃよ」

「宇宙……星の大海へ乗り出すと? 本気ですか?」

「本気も本気、大真面目よ。我ら人の祖は、星の大海を渡る船に乗って、彼方よりこの地に降り立ったと言う。それが単なるおとぎ話でないことは、我々が実際にこの目で確かめたであろう? 魔境で発見した、あの古代遺跡でな」

「あの巨大な建造物が本当に『星の大海を渡る船』だったのかどうか、今となっては確認する方法もありませんがね。魔王に次ぐ四天王の一角、《邪竜ファフニール》によって跡形もなく消し飛んでしまいましたから」

「なに。アレを目にしたときの感動。研究への原動力は、それ一つで十分よ。それに……あんなキラキラの目で『星の大海へ冒険に乗り出す船、モネーならドーンと発明できるよな!?』などと言われては、なあ? 『できません』とは口が裂けても言えまい? 儂ってば、可憐で心優しい天才美少女学士じゃし?」


 てへ、と天使の微笑みを披露すれば、「実年齢を考えろや」と言わんばかりの冷ややかな視線を返される。永遠の十一歳相手になんと失礼な。


「神秘のヴェールを剥ぎ取り、機械の歯車に貶めることを生業とする錬金術師が、計算でなく夢想を語りますか。つくづく、あの冒険馬鹿に感化されたものですね」

「よく言うわ! ザックに感化されての人の変わり具合で言えば、貴様が一番ではないか。【ウェザー・リポート】などが良い例よ」


 モネーの指摘に、グレイフはそっぽを向いてしまう。拗ねた子供のような反応に、モネーはカラカラと笑った。


【ウェザー・リポート】は元々、自然を味方につけるという精霊術のお株を奪う目的から、魔導士の間で研究されていた魔法だ。


【魔法】は魔法式によって様々な効果を創造し、特に高火力射撃の術に優れている。一方で術の範囲や規模に於いては、時に気候さえ操る【精霊術】に及ばない。


 その定説を覆すことで、精霊術師に対して一方的な優位に立つ。神秘と共存する【精霊術師】と、神秘を開拓する【魔導士】。水と油のようにいがみ合う両者の、醜い権力争いの産物がこの魔法だ。


 しかしグレイフが完成させたそれは、本来の醜悪な目的からかけ離れた代物だった。小さな雲を作ったり、周囲の気温を暑くあるいは寒くしたり。単体ではなんの攻撃にもならない。そこから精霊術に繋げる、精霊術師と連携する前提の魔法なのだ。


 学会の魔導士が知れば、さぞ憤慨することだろう。「野蛮で土臭い精霊術師に手柄を譲るような真似とは何事か」と。


 同じパーティーのメンバーだろうが関係ない。誰よりも手柄を上げ、勝利に貢献し、一番の功労者として優位に立つ。パーティーなど所詮、そうやって出し抜き合う者だと多くの冒険者が思っている。モネーやグレイフもかつては同様だった。


 二人の認識を大きく変えたのが、他ならぬザックだ。


「異なる物同士が合わさることで新しい物を生み出す――錬金術の基礎も基礎じゃが、それは人もまた同じ。言葉にすれば他愛ないが、実践するのはなんと難しいことか。優秀であればあるほど、自らの思想や理念で頑なになってしまうものだからのう」

「しかしザックは違った。優れた才能など何一つ持たないが故に、彼は一つの思想に縛られない。仲間のそれぞれ異なる信念を分け隔てなく尊重し、間を取り持った。それは弁舌や交渉の手腕とも違う、彼の人柄でこそ成し遂げられた偉業でしょう」


 おそらく全滅した勇者候補も、なまじ個々が優秀であるために団結できなかった。考えや思いの溝を埋められず、バラバラのまま戦ってしまったのだろう。


 なにも全てを理解し合う必要はないのだ。わからないままでも、互いに信頼し背中を預けることはできる。それをザックが教えてくれたから、魔王との絶望的な戦いでも、誰一人欠けることなく生き延びた。……最初から、肝心な一人が欠けていたわけだが。


「そのザックなんじゃがな。リュカが無事に見つけて、今は一緒にいるらしい」

「っ! そう、ですか」

「し・か・も、二人きりでな。儂はてっきり、先に姿をくらましたウサギが合流しているものと思ったんじゃがなあ。これはひょっとしてしまうかもしれんのう?」

「――実験室を借りますね。少々、調べたいことがありますので」


 唐突に話を切り上げ、グレイフは部屋を出て行ってしまう。発破をかけたつもりだったが、ザックの名を出すほどグレイフの顔色は悪くなる一方だった。


 まあ、無理もない話か。……ザックをパーティーから離脱させることを、最初に言い出したのはグレイフなのだ。


 力が明らかに劣り、それを補うため心身を摩耗させていくザックを、これ以上連れては行けない。パーティーの、なによりザック自身の命に関わる問題だ。――それはパーティーの頭脳担当として、実に冷静で現実的で正しい意見だった。


 葛藤を抱かない者は一人としていなかったが、それはグレイフとて同じだ。今でも強く負い目を感じているのかもしれない。


「せめて『アレ』を、を完成させられていれば……いや、今更か。結局、あの《七虹理論》は失敗に終わってしまったわけじゃしな」


 彼の様子も心配だが、それ以上にモネーはザックのことが気がかりだった。


 目を閉じれば思い出すのは、別れ際の顔。悲嘆と絶望、そして恨みと憎悪の渦巻く虚ろな目。誰よりもパーティーを愛するが故に、それが反転したときは危うい。


「リュカがザックの支えとなってくれれば安心だと思うが――儂としては、の恋路を応援してやりたいんじゃがのう」


 どれだけ叡智を深めようが、人の心ばかりは如何にもままならない。恋路は特にだ。

 親愛なる若人たちの未来を憂い、モネーはため息をついた。

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