第23話:まあ、そこはアレだ。これもちょっとした冒険ってことで。


 身を挺して他人を庇い、自らを犠牲にする――それは冒険者の死に方の中でも、一等愚かで無価値な行為として嘲笑される行為だ。


『どんな善行も死んだら経験値にならない』

『肉壁になるだけなら誰でもできる』

『他人も自分も守る力がない、無能の雑魚がやりがちな自己陶酔』

『どうせ庇った相手も次に死ぬか、他の誰かが助けるから無駄では?』


 経験値にならない行為に価値はない。死人に経験値は入らない。

 ならば価値のある死などこの世にはないし、死者は全て負け犬だ。蔑まれないのはせいぜい老衰か子供の事故死くらい。颯爽と魔物を倒せば英雄でも、子供を庇って死ぬのは出しゃばった雑魚の無駄死だ。


 何度もそう馬鹿にされた。嘲笑された。やるんじゃなかったと後悔した。


「お兄ちゃーん!」

「グ、ギ、ギッ」


 なのになんで俺は、我ながら毎度こう懲りないんだろうなあ!

 暴竜の牙に挟まれ、体がギシミシと圧迫される。体を覆う赤結晶のおかげで、噛み千切られてはいない。しかし暴竜の顎をこじ開けるには、膂力が不足していた。


 制御は戻ったが、今度は魔王の力自体が下がっている。原因もなんとなく察した。

 


 魔王の力は負の経験、負の感情を源としている。そのせいか魔王の力を発揮する間、俺の心は負の感情一色に染まってしまう。怒りや憎しみだけが心身を見たし、壊すこと殺すこと以外はなにも見えなくなる。そうならなくては魔王の力を引き出せない。


 暴竜の顎から逃れるだけの力を出せば、今度こそ俺は親子の存在がどうでもよくなり、諸共に消し飛ばしてしまう。

 かといってこのままでは、暴竜が次の瞬間にも親子を踏み潰すだろう。


 ――どの道親子は助からないなら、気にせず暴れてもいいのではないか?


「ふざ、けんな!」


 そんな下衆な考えが一瞬でも浮かぶところが、皆と違って駄目なんだよ!


 俺は腰のベルトから一つの魔道具を取り出し、眼下の親子へ放った。

 母親の体に吸着した魔道具《どこでも渡れちゃう君》から、鋼線を結ったワイヤーが前後に射出。壁に刺さってワイヤーの橋を架ける。


「荒っぽいのは勘弁な! お母さんの体に全力でしがみつけ!」

「っ、うん!」


 娘は涙ぐみながらも、俺の呼びかけにちゃんと応じてくれた。

 魔道具がワイヤーの橋を滑り、教会の入り口まで親子を運ぶ。

 これが限界か。泣き止まない娘へ、俺は叱咤するように叫んだ。


「お母さん、大好きなんだろ! 後はお前が引きずってでも、自分の力でお母さんを助けるんだ! ……こいつは、俺に任せとけ」

「なに今から死ぬ前フリみたいな台詞吐いてんだヨ、このバカァァァァ!」


 崩れかけた屋根の隙間を縫って、落雷が暴竜の顎に落ちた。

 衝撃にも閃光にも暴竜は怯まず、しかし単純な破壊力が牙を粉砕。大きく空いた隙間から俺は転げ落ちた。雷は俺にも当たったわけだが、ダメージはなし。


 そして床に激突するところを、駆けつけたリュカにキャッチされた。

 リュカは俺を脇に抱え、親子もしっかり回収して教会から脱出。手近な曲がり角に入って身を隠す。教会の壁を突き破り、元気いっぱいに咆哮する暴竜の姿に舌打ちした。


「クソッ。やっぱり大地の神秘が濃い《マグマザウルス》相手じゃ、雷撃は効果が薄いナ。つーか、こいつなんか様子がおかしい! 正気じゃねえって感じだゾ!」

「様子がおかしい?」


 俺は【神聖術】で母親の応急手当をしつつ、曲がり角から半分顔を出した。


 改めて暴竜の姿を観察する。大きな顎にズラリと並ぶ肉厚の牙。重い頭部と釣り合いを取るように発達した後ろ足と尾。これまたバランスの都合か、前足はやけに小さい。

 そして一番の特徴は、赤熱した溶岩の体表。単に体表を覆っているのではない、大地の神秘で溶岩を体表に取り込み、同化させているのだ。


 溶岩暴竜《マグマザウルス》――本来は火山の中腹を縄張りとする魔物だが、ダンジョンツリーに自然界の常識は通じない。周囲一帯に生息した魔物を、広範囲かつ過去まで遡って生産の対象にできるのだ。


 それはともかく、確かに妙だ。マグマザウルスの体表は、普段は冷めていて黒い。真っ赤に輝くほどの発熱は、マグマザウルスといえど負担が大きい奥の手だ。しかも温度が異常なまでに上昇している様子で、小さい前足が爪先から融け崩れ始めた。

 雷撃の閃光に動じるどころか無反応だったことも含め、確かに正気を失った様子だ。


「こいつもってことは、他の魔物も?」

「ああ。手足が千切れたくらいじゃ怯みもしねえ。まるで狂ったみたいに突っ込んできやがるんだヨ! それと――このマグマザウルス、真っ直ぐにザックを狙っていたみたいだゼ。他の魔物も、まるでチヅルや他の冒険者を足止めするような動きで」


 進路上の村や町を無視してここに集まったことといい、明らかに統率された動き。やはりローズが裏で糸を引いているのか?

 まあいい。俺がやるべきことに変わりはない。母親の応急手当も済んだ。


「リュカはこの親子を避難させてくれ。あのマグマザウルスは俺が……!」

「一人で戦う気かヨ!? さっきも一人で突っ込んでいったり、らしくねえゾ!?」

「らしくないってなんだ!? 俺だって、俺だって今なら皆みたいにできる!」


 引き留めようとするリュカの手を払い、俺は怒鳴る。

 このままでは引き下がれない。終われない。これ以上の挫折は耐えられない。


「俺はできる。できるはずなんだ。今の俺には力がある。だからできる。できなきゃ。これで駄目だったら俺は、俺は――おぐああああ!?」


 突然の、鼻腔を突き抜けて脳天まで刺さる、刺激臭!


「酔い覚ましの《防虫ペパーミント香油》だヨ。ちなみに原液。全く、すっかり悪酔いしやがって。しっかりしろよナ」

「うごごごご」


 お前それ、本来は百倍に薄めて使用する魔法薬! 十倍だと刺激臭の強さで殺虫効果も望めると定評のあるヤツ! その原液とか人でも死ねるんだが!?


 しかし、確かに目が醒めた気分だ。そういえば昨夜から明け方まで、頭の中グルグルさせながら呑み続けたような。


 というか朝からずっと続いていた、ガンガンと響くこの頭痛。魔王の力の影響がどうとかじゃなくて、ただの二日酔いだったのか……。どうりでさっきの戦闘中も、なんか馬鹿なことを考え込んでいた気がする。

 酔っぱらいながら戦うとか、本当に俺はなにをやっていたんだか。


「あの、全面的に俺が悪いんだが、今度は刺激臭で頭が回らなくて。なにか、口直しならぬ鼻直しを、できれば」

「……しょうがねーヤツだナ。ほ、ほら!」


 むぐ!? え、なに? この顔に押しつけられた、温かくて良い匂いのやわもちは?

 まさかこれ俺、リュカの胸に抱き寄せられて、やわもちメロンに顔を埋めている?


「バーカ。仲間と同じことができる必要なんてない。互いに自分ができることで、仲間ができないことをやって助け合う。それがパーティーだってあたしたち六人に教えてくれたのも、誰よりもそれを実践してきたのも、ザックなんだゼ?」


 あの、ごめん。なにかいい話をしているみたいだが、全然内容が頭に入ってこない。


 リュカの声。リュカの匂い。リュカの感触。リュカの体温。リュカの鼓動。

 なんかもう五感全てが、リュカでいっぱいになりそうな勢いだ。負の経験、負の感情で満たされていたはずの心身も、リュカとの思い出一色に染まる。怒らせたこと。呆れられたこと。一緒に暴れたこと。かつての旅の、割とどうでもよさそうな記憶ばかり。


 そして。ふと蘇る戦いの記憶が、まさに落雷めいて俺に天啓を与えた。


「なにも特別な才能がないからこそ、あたしたち全員から技を学んだザックは、あたしたち全員をいつも助けてくれた。それは他の誰にも、あたしたちにだって真似できない、ザックだけの凄いところなんだゼ? ザックはあたしたちにとって、そう、まるで」

「――雷雲だ」

「そうそう雷雲みたいな存在……へ? 雷雲?」

「雷雲を呼ぶ。マグマザウルスの正体が、俺の記憶通りの『アレ』だとすれば、外側を削っても埒が明かない。雷雲を利用した特大の雷撃で、中身を一気に焼き尽くすんだ」

「い、いやいやちょっと待った! 言いそびれたけど、あたしは魔王との戦いで《天空の精霊王》との契約も失ってるんだヨ! 曇天の日ならまだしも、こんな快晴の青空で一から雷雲を作るのは無理があるってノ! それにマグマザウルスにも効く規模の雷撃を落としたら、町の被害が!」

「大丈夫だ。こういうときのための魔法弾を用意してある。それに雷撃をマグマザウルスだけに浴びせる手段も。こいつと、俺自身を使ってな」


 そう言って、俺は義足を叩いて見せる。

 それで俺の狙いを大体察したようで、リュカは呆れた顔になった。


「まーた無茶なことを。悪い意味でいつもの調子がちょっと戻ってねえカ?」

「まあ、そこはアレだ。これもってことで」

「……っ!」


 なんてことない台詞なのに、リュカは感極まった、凄く嬉しそうな顔になる。

 ――ああ。そういえばこれも、以前の俺の決まり文句だったっけ。

 なんだか自分でも少し嬉しくなりながら、俺はリュカと拳を突き合わせた。


「ねえねえ。いつまでイチャイチャしてるの? チューはしないの?」

「「してない! しない!」」


 まずはこの親子を避難させてからだな! ほったらかしにしてごめんね!?

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