第17話:――第二の《星の黄昏》は、もう目前よ。


「他のお客様は気にしなくて大丈夫よ。店内に幻惑作用のある香りを撒いて、店にいる間の記憶は消してあるわ。後から入った人も同様。だから気兼ねなく、内緒のお話ができるわよ。フフフッ。なんだかドキドキするわね?」


 殺人遊戯の進行・監視役にして、無慈悲な死刑執行者。

《薔薇の魔女》ことローズは、癪なくらい喫茶店の洒落た雰囲気に溶け込んでいる。なんなら彼女が存在することで、店の華やかさが一気に増した感じさえあった。


 貴族の茶会に出ても恥ずかしくない、整った所作でアップルパイを切り分ける。

 赤い唇でパイを食む仕草一つに、むせ返るほどの色香が漂っていた。

 しかし彼女の無慈悲な毒花のごとき本性を知る身では、鼻を下を伸ばす気も起きない。リュカの主張が強すぎない甘い香りの方が俺は好きだし。


 以前からそうだが、よくもまあ街中に堂々と現れるものだ。しかし、問い質したいことが山ほどあるのも事実。他の疑問はひとまず脇に退けて、俺は口火を切る。


「率直に訊くぞ。なぜ魔王は俺の体に、自分のスキルツリーを植え付けるなんて真似をした? あのリザードマンもお前の差し金だろう?」

「ああ。彼は貴方の前に、魔族同士でスキルツリーの移植を試した実験台の一人よ。もうとっくに用済みだったけど、貴方の開花に役立ってなによりだわ」

「自分の同胞まで利用して、一体なにが目的なんだ?」

「目的? 私たちの使命は一つだけ。それは貴方もよくご存知でしょう? 私たちの全ては、『究極の存在』へ至るために。ザック、貴方は選ばれたのよ。魔王様でも届かなかった『究極』へと至り得る者……私たちの希望としてね」


 選ばれた? 究極に至る? 俺が?

 世辞も嫌味も感じさせないローズの微笑に、思わず食いついてしまう。

 そんな馬鹿丸出しの俺に代わり、リュカがテーブルを拳で叩いて怒った。


「ふざけんナ、なにが希望だ!? ザックに、てめーらみたいな大量殺戮でもやらせようっていうのかヨ!?」

「いいえ? 『究極』へ至る手段として、そうするべきだと彼も感じたのなら別だけど。魔王様が見込んだザックの才能を伸ばすのに、残忍さを磨く《殺人遊戯》は必要ないと思うわ。――それはもう十二分に持っているのだから、ね」


 心の暗がりを見透かすような眼差し。俺は目を逸らしながら続けた。


「そもそもだ。なんのために『究極の存在』なんて目指すんだ? 俺はどうにも、それも過程の一つと思えてならない。『究極』に至って、俺になにをしろっていうんだ?」

「……さあ?」

「「はあ!?」」

「私も使命の『その先』については、魔王様から詳しく聞かされていないのよ。私たち魔族は繁殖せずに死と復活を繰り返しているけど、実は何度も『入れ替わり』が起きているの。成長や進歩の見込みがない魔族の魂は、人格も記憶も抹消されて、全く新しい個体として生まれ直すわ。私自身も、何代目かの《薔薇の魔女》なのよ」


 サラッと恐ろしい魔族の裏事情が語られたな、オイ。

 確かに何百年もずっと同じメンバーじゃ、こうマンネリに陥りそうではあるが。


「だから、なぜ『究極の存在』を目指すのか、その理由を覚えている魔族はいないわ。本能に刻まれた使命だから、疑問にも思わないけどね。真実を知りたいならザック、貴方自身の内側にこそ問い質すべきだわ」

「……それはつまり、魔王の記憶か?」

「正解。魔王様は唯一、原初の時代から生き続けてきた、全ての始まりを知る御方。ザックが魔王様の力をより引き出せるようになれば、スキルツリーに刻まれた魔王様の記憶も呼び起こされるはずよ」


 確かに。《戦嵐のアーシュラ》のスキルツリーを移植された、あのリザードマンもそうだった。俺たちと戦った際の記憶を見たような口ぶりをしていた。リュカの戦法を知らなかったところを見るに、あくまで断片的な情報しか得られなかったようだが。


 しかし、原初の時代から生きる魔王の記憶か。たとえ断片であっても、値段が付けられないような歴史的価値があるんじゃないか? モネーが聞いたら頭を切開されそうだ。

 徐々に俺が話に惹かれ始めたのを知ってか知らずか、リュカは一層声を荒げる。


「だから、ふざけんなヨ! それを聞いて、ハイソウデスカとてめーらの言いなりになるとでも思ってんのカ! てめーらがふざけた真似さえしなければ、あたしたちは最後まで一緒に――!」

「一緒に仲良く、魔王様に殺されていたでしょうね。スキルツリーを失っていない、完全な状態の魔王様が相手だったら、貴女たちに勝ち目なんてなかったわ。それは実際に戦った貴女自身が、嫌というほど理解しているでしょう?」


 これには反論できないようで、リュカは「ヌギギ」と心底悔しそうに唸る。

 しかし、それほどまでの力があっても及ばないという『究極の存在』とは一体なんなのか? そして、俺なら至れるとはどういう意味なのか?


「それに、仮に貴女たちが七人のまま勝利したとして。それで果たして、彼は正当に報われたかしら? これまでと同じように、また彼だけが『いないもの』として扱われるだけだったのではなくて?」

「そんな、こと」


 語気に力を失い、リュカは項垂れてしまう。

 確かに俺がパーティーに留まれていたところで、そうなる可能性は大いにありえた。

 だけど俺は、それでも最後まで皆と一緒に――

 いや、考えるだけ無駄だ。それはもう終わった話なのだから。


「……私も魔王様も、ザックのことは高く評価しているわ。過去の如何なる勇者も英雄も持ち得なかった、貴方が自らの手で育んだ唯一無二の素質をね。だからこそ魔王様は貴方を選び、託した。、魔王の力を」


 まさに悪魔が取り引きを持ちかけてくるときのような、優しくも薄ら寒い言葉だ。

 わかっていながら飛びつきたくなるのを堪え、俺は問いを重ねる。


「なんで、俺なんだ? お前が言う俺の素質って、一体なんなんだよ?」

「ええ。それは――」


 ふと、ローズの視線が外へ向けられる。その直後だった。

 視界の全てがブレ、残像が見えるほどの激しい震動。しかし地震ではない。卓上のコップや食器が、転げ落ちるどころか物音一つ立てていない。まるで全ての物がひとまとめになって揺れ動いているかのようだ。なんか酔いそう。


 ようやく震動が治まったかと思えば、なにやら外が騒がしくなった。

 俺とリュカは店の外に飛び出し、言葉を失う。


「なんだ、これ」

「空が……!」


 降り注ぐ極彩色の光に目が眩む。


《虹色の枝》だ。空にかかった《神樹ユグドラシル》の枝が、目も眩む異常なまでの輝きを発している。やがて光は枝を伝い、六つの流星に束ねられて地平線の向こうに消えた。その方角から冷たい風が吹きつけ、不吉な悪寒に拍車をかけてくる。


 わけがわからず町の人々が騒然とする中、俺とリュカはチカチカする目を押さえながら店内に戻った。店内の客は幻惑のせいか、外の異常には全く反応を見せない。

 俺は、訳知り顔でカップを傾けているローズに詰め寄って叫んだ。


「一体これはなんだ、なにをしやがったんだ!?」

「私や他の魔族がなにかしたわけではないわ。ただ、。《神樹ユグドラシル》の枝から直に神秘を蓄え、古の時代から現代まで成長を続けていた果実。『究極の存在』を完成させるために用意された六つの《神樹ダンジョン》がね」


 神託めいた、厳かな口調でローズは告げる。


「《神樹ダンジョン》を攻略した者には、全ての真実が開示されるとも魔王様は言ったわ。貴方が求める答えは、新たな力を引き出し、前人未到のダンジョンを攻略した先にある」


 それはまるで、大いなる冒険の始まりを告げるかのような口上。

 流石に何度も対面してきただけある。見事に俺の嗜好を突いた誘い文句だ。


「あまり猶予はないわよ? 《神樹ダンジョン》が実ったのは、私たちに残された時間がもう僅かだという知らせでもある。――第二の《星の黄昏ラグナロク》は、もう目前よ」


 一度は枯れ、リュカと再会してから少しずつ蘇りつつあった冒険者心。

 それが、ドクンドクンと強く脈打つのを俺は感じた。

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