第11話:【過去の記憶】――どうしたの? もっと楽しもうよ


「――どうしたの? もっと楽しもうよ」


 無邪気な、コロコロと鈴を鳴らすような笑い声だった。

 半壊した魔王城を遠く背景に、白い結晶の上に座ってこちらを見下ろす女性。


 草色の長髪から伸びる、螺旋状に捻じれた夜色の角。十字に裂けた石色の瞳。黒殻の間から結晶状の組織が覗く異形の四肢。

 頭には髑髏の兜。背中には白鳥の翼。そして薔薇のドレスを身に纏う。


 魔族の長にして最強最悪の殺戮者、【魔王】ユミルは優雅に微笑んだ。童女のように無垢で、花が咲き綻ぶような笑顔。その笑顔で、彼女は一国を一夜で滅ぼした。

 あらゆる命を貪り尽くし、ただ己一人のために美しく咲き誇る、まさに邪悪の花。


「…………!」


 そのおぞましさに憤る余裕さえ、今のオーレンたち六人にはなかった。

 あるのは、ただ――恐怖と絶望。過酷な旅路で幾度も味わい、その度に乗り越えてきた感覚。しかしこれまでの経験を一笑に付すほど、今回のソレは桁が違う。


 魔王城からこの森まで移動したのも、ユミルから逃げ惑った結果のことだった。

 それでも、折れるわけにはいかない。怖くていい。怯えてもいい。しかし、恐怖に屈することは許されない。誰よりも勇敢だった七人目には、もう頼れないのだから。


「……ふふっ」


 己を奮い立たせるこちらの様を、あたかも慈しむかのように魔王が笑みを零す。

 その小さな笑い声の震えが、轟音を伴う『死』の瀑布に変じた。


 魔王を中心に、森が黒く塗り潰される。木々も地面も一瞬で燃え尽き、真っ黒な灰になったのだ。そして瞬きの間に黒は白へ、灰が結晶に変じていく。並の戦士の目では、森が結晶化していく幻想的な光景にしか見えなかっただろう。


 しかし結晶は言わば白骨の亡骸。迫るのは、一瞬で命を灰燼に帰す死の波動だ。


『神秘光臨/我は汝で紡ぐ/牡羊座が描く神話の再来、堅牢なる星の護りを!』

「【牡羊座の守護結界ウォール・オブ・アリエス】!」


 オーレンは【星輝せいき】スキルを極めることで開花した最上級スキル、【黄金十二星天】の一つを開帳。星輝の障壁が六人それぞれを包み、死の波動から守った。

 あらゆる呪毒や瘴気からも仲間を守り、それが敵意のある攻撃なら、星の光弾に変えて反射する防御技だ。


 しかし反射は起きない。それも当然で、この波動は攻撃でもなんでもない。

 魔王は、ただ笑っただけ。その特に意図もない僅かな呼気が、一瞬で森を殺した。

 それは攻撃でなく、言わば生態。


 ただそこに在るだけで、彼女は他の命を殺戮する。並の生命では、彼女と相対することも敵わず死滅するのだ。オーレンたちでさえ、この守護結界なしでは危うい。魔法や精霊術の守りでは全く意味をなさず、星輝だけが死の波動に対して有効なのだ。

 つまりただ相対する間にも、オーレンは自分と仲間を守るため消耗を強いられ続ける。


「あは!」

「っ、散れ!」


 魔王が軽く指を振ると、今度は白い結晶が血色の赤に染まった。

 六人の背筋を悪寒が走り、一斉に散開。赤い結晶が無数の鋭い刃となって伸び、一秒前まで六人がいた空間を呑み込んだ。串刺しどころか細切れになるところだった。

 息つく暇もなしに、次は赤結晶の槍が豪雨となって降り注ぐ。


『神秘光臨/我は汝で紡ぐ/彼の矛に星の輝きを!』

「攻めるんだ、皆! 【星輝属性付与エンチャント・スターフォース】!」


『神秘演算/我は汝に命じる/炎の大地の灼熱を、竜の姿にて顕現せよ!』

「わかっていますよ! 【ムスペルの竜獄炎】!」


回路起動サーキットオン安全装置解除セーフティオフ座標設定ターゲットロック全工程完了オールクリア!』

「一〇一連式魔導氷結弾頭《一〇一匹フェンリルくん》を喰らえぇぇい!」


『神秘調律/我は汝と奏でる/宿る神秘を芽吹き、在りし日の姿で威を示そう!』

「射抜き、砕け! 《タングリスニルの雷角》!」


 守りに入っては一方的に磨り潰される。それは六人とも承知の上だ。

 まずはグレイフ、モネー、リュカの三者が最大級の攻撃を放つ。オーレンが攻撃に星輝を付与したのは、そうしなければ死の波動に威力の大半を殺されてしまうからだ。


 溶岩の濁流が魔王を呑み込み、超低温の爆発が氷山を築き、巨獣を象りし雷霆がそれを砕く。一つ一つでも災害級の巨獣を屠る威力。よしんば一つ一つは耐えられても、急激な温度変化で脆くなった装甲を雷霆が確実に粉砕するだろう。


 勇者パーティーが誇る遠距離火力担当の三段攻撃は、しかし魔王に通じなかった。


「あはははは! すごいすごーい! おもしろーい!」


 パチパチと拍手してはしゃぐ魔王には、かすり傷一つなし。

 攻撃の全てが、彼女の周囲にせり上がった赤結晶の壁で阻まれていた。赤く染まった結晶は魔王の意のままに操られ、自在に形を成すのだ。

 熱や冷気までは遮断できなかったはずだが、まるで堪えた様子がない。


 しかし、手番はまだこちらだ。壁の隙間を抜け、魔王に肉薄する人影が二つ。


『神秘拝聴/我は汝を祈る/輝きの御子よ。我が剣に光速の神威をお与えください』

「その邪悪を穿て! 【ブライトハート・バルドル】!」


『神秘開門/我は汝へ挑む/猛り狂う血のままに。一切を噛み砕け、蛮狼ばんろう紅牙こうが!』

「【ウルフサルク・ブラッドファング】……!」


 メルとウサギによる、左右からの挟撃だ。

 メルは光の超速で繰り出される、流星群のごとき無数の剣閃。ウサギは巨狼を象った闘気が吼える、斧の重撃。当然、どちらも星輝は付与済み。

 勇者パーティーの中でも最速と最強を誇る絶技だが、これも通らない。


 メルの剣閃は、咲き乱れる赤結晶の花に一撃も逃さず阻まれた。ウサギの重撃は、大輪の花となって咲く赤結晶を一ミリと押し込めない。決して二人の技に手抜かりがないのは、周囲の結晶壁を寸断・粉砕する技の余波が証明していた。

 結晶越しに二人の技をひとしきり観察した魔王は、満足そうに頷き。


「えいっ」

「ああぁぁ……!」

「が、ふ」


 メルには光剣と同じ数の槍を、ウサギには巨人が振るうようなサイズの大剣を。

 赤結晶で形成された武器で、二人は羽虫を払うかのごとく一蹴されてしまう。


 数多くの上級魔族、そして魔王に次ぐ四人の最上級魔族をも打倒した。その勇者パーティーの攻勢が、ここまで魔王に触れることすら叶っていない。


 最後に残されたのは、勇者が手にした《星剣》の一撃。


『神秘光臨/我は汝で紡ぐ/汝より授かりし星の剣、その輝きをここに解き放つ!』

「【星剣ヘキサ・グラム】――!」


 星の輝きを極限まで高めて繰り出す、単純明快にして最大の技。

 二人を捨て石にする形での時間差攻撃だったが、魔王は余裕を持って、正面から迫るオーレンを目で捉えていた。魔王の右腕に一体化した形で、赤結晶の剣が形成される。

 構うことなく、オーレンはただ渾身の力で星剣を振り下ろした。


 星の輝きが、魔王の剣が発する闇と激しいスパークを散らす。


「うおおおおおおおお!」

「あはははははははは! ……残念。やっぱりね」

「うぐあ!?」


 哄笑から一転、落胆の声を零した魔王の軽い一振りで、オーレンは弾き飛ばされた。

 さらに魔王の振り上げた剣が、周囲の赤結晶を取り込んで巨大化。

 ウサギへ見舞ったソレの何百倍何千倍、山脈を跨ぐ「」が振るう規模の大きさに、オーレンの顔から血の気が引く。


 落とされた一振りは、大地を真っ二つに割った。

 技でなく、単純な大きさと質量が地盤をも裂き、断層が壁となって隆起する。

 その断面を、土と泥にまみれたオーレンたちが滑り落ちていった。


「なんなのよ、これ。いくらなんでもデタラメが過ぎるでしょう!?」

「やばかった。マジで死ぬかと思った」


 間一髪でオーレンを助けたメルとウサギが、堪らずといった様子で叫ぶ。


「全てを灰に、そして結晶に変性させる、あの邪気――魔法でも精霊術でもない。私の知識にあるどの神秘とも違う、異質な力です」

「そもそもあの結晶、儂の【鑑定】でも組成や材質が全くわからん! それにあの莫大なエネルギー、周囲の霊素を全く消費しておらん! どこからリソースを持ってきてるのかサッパリじゃ!」


 頭脳担当の双璧であるグレイフとモネーも、まるで勝算が見い出せずにいる。

 楽な戦いなんて今まで一度もなかった。いつだって困難な戦いを、皆で乗り越えてきた。そうやってこれまで積み上げてきた経験を、自信を、積み木のごとく崩して嘲笑うような次元の違い。桁外れにも程がある、絶望的な強さ。


 オーレンの心が折れかけたそのとき、場違いに明るい笑い声。


「相手は意味不明に無敵で最強、絶望が女神の皮被ったような魔王様。なんていうか、アレだ。こいつは――今までになく最高……いや、なかなかにだよナ?」


 リュカが口にしたのは、ここにいない七人目の決まり文句。

 オーレンたちは互いに顔を見合わせ、思わず噴き出して笑った。


 そうだ。ザックならこんなときも、全力の意地と見栄っ張りで笑って見せる。

 そうやって、誰よりも前に踏み出す彼の小さな背中が、いつも六人に勇気をくれた。

 彼はもういない。自分たちが置き去りにした。だからこそ!


「行こう。七人分の勇気で、魔王を倒す!」


 頷き合い、笑い声と共に降りてくる絶望の化身へと身構えた。

 最終決戦は始まったばかり。夜明けは、まだ遥か彼方だ。

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