第10話:正直に白状すれば、僕たちは魔王に勝っていません


「いやあ、全くめでたいことです! 邪悪な魔王が討伐されて、世界の未来は明るい! それもこれも勇者パーティーの皆様、『六人』の英雄のご活躍のおかげで――」


 ああ、またか。

 聞き飽きた賛辞に混じった誤りに、【星剣の勇者】オーレンは内心で歯軋りする。

 十三歳で故郷を旅立ってから五年。ただの村人の息子は、多くを経験して多くが変わった。そのうちの一つとして、彼は六という数字が嫌いになった。


「男爵殿。僕たちは『七人』揃ってのパーティーです。誰一人欠けても、魔王討伐の使命をやり遂げることは叶わなかった。なにより『彼』の存在がなければ、僕たちは旅路の途中で斃れていた。彼を蔑ろにする物言いは慎んで頂きたい」

「ハハハハ! ご謙遜を! 荷物持ちのクズまで平等に扱おうという勇者様のお慈悲には感服いたしますが、人の価値は霊格レベルに出るモノ。人の上に立つ者として、霊格に相応しい付き合いというものを覚えなくては」


 恰幅のいい男爵の馬鹿笑いに、オーレンの目が見る見る温度を失う。

 この男は親友を侮辱された自分が、にこやかに相槌を返すとでも思っているのだろうか。男爵だけではなく、魔王の討伐後に始まった話でもない。自分たちが功績を上げるようになってからすり寄ってくる貴族たちと、何度この手のやり取りを繰り返したことか。


 鬱積した感情は最早限界に達し、半ば衝動的に拳を握る。


「…………」


 それを押しとどめたのは隣に立つ、栗色の髪と翡翠の瞳が美しい人。

 勇者パーティーの一員にして、オーレンの恋人である【星天騎士】メルだ。


 彼女はオーレンの手を取り、無言で首を振る。

 わかっている。こんな、王宮の廊下で暴力沙汰など起こしてはただでは済まない。


 たとえ自分が、魔王を討伐した勇者であっても。勇者だからこそ余計に、そんな無法は許されない立場だ。――ザックなら誰が相手でも、自分の立場さえ気にせず、仲間への侮辱に黙っているような真似は決してしないだろうに。


 怖いもの知らずな親友が羨ましく、そして申し訳ない気持ちで胸が締めつけられる。

 そんなオーレンの表情と、メルに握られた手をどう都合よく解釈したのか。男爵がにやついた笑みで顎髭を撫でる。


「星天騎士殿も勇者様の護衛、大義ですな。しかしあまり付きっ切りというのも、勇者様の息が詰まってしまうのでは? 勇者様にも、王女様と逢瀬の予定が……」

「おや、余がどうかしたか?」

「リ、リアン王女様!?」


 男爵の背後から声をかけたのは、今や次期女王と目されている金髪碧眼の少女だった。

 王家の血統に裏打ちされた美貌。オーレンたちより一回り幼く、しかし大人も委縮させる覇気。堂々とした佇まい、狼を彷彿させる鋭い眼差しには既に王者の風格があった。


 リアン=オーダイン=アスガルド。このアスガルド王国の第一王女だ。

 長い前髪の下に隠れた左目を恐れるように、男爵は身を強張らせて後退りする。


「逢瀬の予定など特になかったが、二人にちと用ができてな。歓談中のところすまないが、席を外してくれ」

「は、はいぃ! 私はこれで、失礼いたします!」


 王女とこれ以上目を合わしていては魂を抜かれる、とでもいうかのような怯えようで走り去る男爵。その背中を笑って見送った後、リアンは軽い手招きでついてくるようオーレンたちに促した。深く一礼を返した上で、先導する彼女に続く。


 案内された先は、王女の私室だった。豪奢な調度品は、ただ金がかかっているだけではない。王女自身の鋭い審美眼で選び抜かれた、超一級の芸術品ばかりだ。

 驚くほどの腰の収まりが良いソファーで向かい合い、まずリアン王女は頭を下げた。


「我が臣下が重ね重ね失礼をしたな。不快な思いをさせてすまない」

「い、いえ! 王女様から謝罪されるようなことは、なにも!」

「どうかお顔を上げてください! 殿下のつむじを見下ろすなど、あまりに畏れ多く!」


 未来の女王だというのに、否、だからこその潔さか。

 却って恐縮してしまうオーレンたちに、リアン王女は苦笑を浮かべる。


「彼奴らめ、余に国政の実権を握られるのが嫌らしい。勇者の名声を盾に余を押さえつつ、平民出のオーレン殿を傀儡にして、自分たちが権益を独占しようという魂胆なのさ。元々、政争に負けて死んだ兄様方の派閥に入れなかった連中だからな」


 実のところ、勇者としての適性――すなわち【星輝せいき】スキルに開花した者はオーレン以外にも複数人いた。その勇者候補には、王家の第一、第二王子も含まれている。むしろ二人の王子こそが本命で、オーレンは補欠・予備として招集されたオマケだったのだ。


 だからパーティーメンバーも、実はそれぞれの派閥や勢力から邪険に扱われた、はみだし者ばかり。候補の中で最も期待されなかった勇者パーティーと言っていい。


 しかし最有力候補だった第一、第二王子は上級魔族にあっさり敗れて戦死。

 他の有力候補も次々と殺されていき、残った候補も怖気づいて上級魔族から逃げ回る始末。結局、上級魔族を一掃して正式な勇者と認められたのは、最弱の勇者候補とまで嘲られたオーレン一行だった。


 世界は霊格主義にして実績主義。失態を犯した者に世間が向ける目は厳しい。王宮でも第一、第二王子派の貴族は一気に権威を失った。


 そして新たに台頭したのがリアンだ。幼くして才覚を発揮していた彼女は、既に少数精鋭で有望な人材を多く抱え込んでいる。そこに第一、第二王子派の失墜で、中立を保っていた貴族たちが一斉に集まった。数も揃い、次期女王の座は決定的と言える。


 しかし自他に厳しい彼女の政権下では、臣下は権益という甘い蜜が吸えない。

 それを不満に思う貴族たちが、名声だけは高く教養のない勇者を傀儡に仕立て、王女と婚姻させようと企てているわけだ。


「仮に余が勇者と婚姻して見るがいい、勇者派と女王派で国が真っ二つに割れるぞ。余の伴侶となるなら、余と国を二分するような手腕も影響力も必要ない。あくまで傍らで余を支えてくれる人物が望ましい。たとえば、そう……曲者揃いのパーティーで全員の技術に通じ、全員の良き聞き手となって皆を支えた【冒険者】のような」

「王女様。その、ザックについてですが――」

「ああ、あやつについてはナグルファル辺境伯から報告があってな。伯爵家に立ち寄ったのを最後に行方知れずだったが、つい最近になって、ナグルファル領の僻地にある町で見つかったらしい。【龍霊射手】殿も一緒だそうだから、ひとまず心配はいらぬ」


 そう言いつつも頬を膨らませた顔は、恋敵に抜け駆けされて拗ねる少女のソレだ。


 なにを隠そう、リアン王女にとってザックは個人的に親しい友人なのである。勇者パーティーとの親交はそのついでに過ぎない。王女といい辺境伯といい、ザックは世間的な評価を得ていない一方で、多くの偉人貴人と個人的な友誼を結んでいる。


 ともかくザックの無事がわかり、オーレンとメルは安堵で顔が綻んだ。

 それも、続くリアン王女の言葉を聞くまでだったが。


「ま、世間話はさておき、いい加減本題に入らなくてはな。――魔王のことだ」


 途端に、部屋の空気が凍りつく。三人の表情と共に、重苦しい沈黙が下りた。


「宴や各地の復興で後回しになってしまったが、直に詳しい報告を聞きたくてな。それに……報告の際の、浮かない表情が気になった。とても勝利者の顔には見えなかった」


 アイコンタクト一つで侍女が下がり、人払いも済む。つくづく王女は慧眼だ。

 侍女が用意してくれた紅茶で乾いた唇を濡らし、オーレンはどうにか口火を切る。


「正直に白状すれば、僕たちは魔王に勝っていません。ただ、生き延びただけで」

「魔王は自滅した、というにも不可解な点があまりに多くて。どう説明したものか」

「ふむ。まず魔王との戦いが如何なるものだったか、順に説明してもらえるか?」


 リアン王女にそう促され、オーレンは込み上げた悪寒に耐えて振り返る。

 あの、魔王との絶望的な戦いを――

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