警察の捜査は遅々として進まなかった。事件発生から数日が経ったが、如何なる証拠も掴めなかった。ついに警察は方針を転換し、当初の方針である心中事件として捜査を進める決定を下した。それは遺体が離れた場所で発見された事象についてさじを投げる格好になる。高村はこの捜査方針の転換を娼館の主人へ説明する役を命じられた。それは同時に捜査が進んでいないことを暗に示すことでもある。高村は貧乏くじを引いてしまった、と内心で毒づいた。


 高村は娼館へ向かった。道中でよしのの遺体が発見された桜の木へ立ち寄った。真っ直ぐに娼館へ向かう気にはなれなかった為である。

 桜は悲劇の舞台らしく、寂しげにその体を風に揺らしていた。既に花びらは散り去っていた。華やかな姿は失われており、別の木に豹変しているようであった。こうなると有象無象の木と変わらんな、と高村は思った。


 娼館に到着した高村は主人に事情を説明した。高村の話を無言で聞いた主人は当然納得した様子ではなかった。その顔には警察に対する怒りと失望が浮かんでいた。しかし警察がそう決定した以上それに従う他に無い、と受け入れた。高村は丁重に詫びを入れた。


 主人の元を去り、警察署へ戻ろうとした時、小春と出会った。偶然の出会いに高村は驚いたが、同時に嬉しさを覚えた。今後彼女と出会うことは無くなるだろうと考えていた為である。高村は小春に挨拶をした。小春は捜査に進展がございましたかと尋ねた。高村は苦々しい表情を浮かべながら事情を簡潔に述べた。それを聞いた小春はそうなりましたか、と呟いた。その姿は以外にも安堵している様に見えた。高村はその小春の姿から、ある考えが脳裏に浮かんだ。それは高村にとって考えたくないものだった。


 その考えとは、小春がよしのを脅迫した、というものである。


 よしのには鈴木の元への身請け話が出ていた。それはつまりよしのと小春は離れ離れになることを意味する。小春は鈴木を、そしてよしのを恨むようになった。私を放っておいて他の男のものとなるのか、私ではなくあの男を選んだのか、と。そしてあの夜、計画を実行した。事前に薬屋から盗み取った眠り薬を酒に仕込んでおいた。その酒を鈴木とよしのがいる客間に運び、鈴木に飲むように唆した。そして眠りに落ちた鈴木を横目に、よしのに対してある二択を突きつけた。男を選ぶか私を選ぶか、という二択である。男を選ぶならば私を殺せ。私を選ぶなら男を殺せ。女中の部屋から盗み取った洋鋏を片手に脅されたよしのは恐怖の中、鈴木を殺すこと選んだ。そしてよしのは眠りに落ちた鈴木に手を掛けた。その姿に満足感を覚えた小春はその場を立ち去った。小春は一連のやり取りで掛かった時間を誤魔化すために鈴木に絡まれた、と証言をした。本来鈴木は品よく遊ぶ男であった。しかし、その様な嘘をついたことに十歳程度の少女の考えの甘さが出ている。その後鈴木の遺体と二人きりとなったよしのは己の罪を悔やんだ。絞り出すように鈴木への最期の愛の言葉を囁いた。それが証言にもあった「愛しております」という言葉であった。覚悟を決めたよしのは桜の噂を思い出した。桜の木の下で心中すれば来世で結ばれるという噂である。それに縋る様によしのは桜の木の元へ向かった。今では桜の木へ向かう女など珍しくもない。そのため、夜に桜に向かい駆け出したとしても、彼女のことを誰も気に留めなかった。どれだけ美しい桜も花を散らせば有象無象の木と変わらなくなる様に、生気を失ったよしのは美貌を失い、辺りを彷徨うろつく女と同じ様に見えた。そしてよしのは人気がない夜中に桜の木の下へ至った。花が散りつつある桜の下、よしのは意を決した。愛した男から贈られた簪を喉にあてがった彼女は最愛の人を殺した方法と同じやり口で己の命を奪った。

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