警察は当初心中事件として捜査を進めていた。客間を荒らされた形跡がなかったこと、遺体に抗った形跡がないことが理由である。しかし遺体が離れている点がその捜査を阻んだ。心中ならば、同じ室内で亡くなっている方が自然である。男女の遺体が離れた場所で発見された心中事件など考えられない。

 次に浮上したのは娼館内部の人間による犯行という線である。娼館内の何者かが、鈴木とよしのを恨み彼らを殺したというものである。離れた場所で発見されたよしのの遺体については、皆が寝静まった午前零時に桜の木の下へ運んだのであろう。また複数犯であれば口裏を合わせることが容易である。凶器についても説明がつく。しかし、この線も即座に唾棄された。理由は娼館の人間に彼らを殺す理由がないからである。彼ら二人は少なくともこの娼館内で恨みを買うようなことはなかった。鈴木は品よく遊ぶ男であった。禿に対しても愛想の良い男であったらしい。またよしのは気立ての良い娘であった。穏やかな性格をしており、身請けを皆が祝福したという。加えて、娼館に居た人物に反抗は不可能であった。当時娼館に居た人物には現場不在証明アリバイがあることは証言から得られている。

 内部での犯行が考えられないため、警察は外部犯による犯行であると捜査方針を固めた。そして犯行に及んだのはよしのの他の客であると仮定し、事件のあらましを次のように考えた。

 よしのの他の客がどこかで身請け話を聞きつけた。俺を放っておいて他の男のものとなるのか、と怒りを覚えた客は彼女と鈴木を襲い、殺した。客間に潜み、通りから人が消えるのを待った。そして鈴木とよしのを引き離す様に別の場所に遺体を運んだ。


 高村はこの推理に違和感を覚えていた。まず何者かが侵入して殺したのであれば、不審者に誰かが気付くはずである。娼館内には何人も人間が居た。しかし不審な人物や物音なかったと証言している。また遺体に抵抗した痕跡が残るはずだが、その様な痕跡は発見されなかった。遺体を桜の木の下へ運んだ理由についても納得できなかった。その様な狂った振る舞いをする男なのだから、桜の木の下に運び出しそこでよしのの後を追う様に自殺するのではないだろうか。加えて凶器をいつどの様に盗み出したのか説明ができない。高村は空虚な会議の中で以上の考えを脳内に巡らせていた。

 会議を終えた高村は田上に声を掛けられた。

「何やら不満そうな顔をしているな。この事件の捜査方針についてだろう。俺に君の話を聞かせてくれるかい」

「顔に出ていたとは恥ずかしい限りです。しかし、お話を聞いてくださるとのこと、ありがとうございます」


 二人は連れ立って警察署の裏に向かった。

「さて、君の話を聞かせてくれるか」

 田上は古ぼけたベンチに腰掛けると、煙草に火を付けた。高村はその隣に腰掛けて、田上の方を向いた。

「では、お話しいたします」

 高村はそう言うと考えを纏める様に深呼吸をした。

「現在の捜査方針は何者かが侵入して彼ら二人を殺したとなっております。しかし私の考えでは、彼らは誰かに殺されたのではないと思います。彼らはやはり自殺をしたのです。しかし自らの意志で心中を図ったのではないと考えております。つまり、彼ら二人は自殺する様に脅迫されたのです」

 田上が煙草を吸う手を止めた。

「脅迫か。なるほど。興味深い。では、誰が彼らを脅迫したのだい」

「今捜査で挙がったよしの別の客でしょう。その中に特別よしののことを想う者がいるのではないでしょうか。それも偏執的に。その者がよしのの身請けの話をどこかで耳にしたのです。それで客はこう考えたのです。よしのは俺ではなく別の男を選びやがった。そう考えたのです」

「そこまでは先程の会議で出た話と同じだね。まあそう考えるのが妥当だ」

「そうですね。しかしここから先が異なります。客はよしのを脅したのです。身請けを断り、俺と一緒になれ。それが嫌なら死ね、という様に。その話を鈴木にしたところ、二人は桜の木の噂に縋って死ぬことを選んだ。というところでしょうか」

「なるほどな。しかし、それではいくつか疑問が浮かぶ。まず何時その客はよしのを脅したのだ。よしのは客を取る機会を減らしていたのだ。そういう男ならば直ぐに見つかるだろうし、主人も何かしらの対策を講じているだろう。それに女の遺体を離れた桜の木の下に運んだことの説明ができていないぞ。何故桜の木の下へ運んだのだ。どうやって桜の木の下へ運んだのだ。その点を説明できるかね」

 高村は即座に返答できなかった。

「それが説明できないのならば、君の妄想でしかない。なかなか面白い考えではあるがな」

 田上はそう言って高村の肩を叩いた。そして煙草の火を消して立ち去った。


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