訳あり魔法使いと家に帰りたい勇者
古井雅
第一章 転生
第1話 勇者さんよ、こんにちは
シロウは、意識が戻る直前の記憶が曖昧に揺れていた。自分に何が起きたのか、それが酷く曖昧で、今目の前に起きている事柄に対して上手く説明ができない奇怪な状況に、混迷の声を上げる。
「……オレは、一体どうなったんだ? それに、なんだこれ?」
シロウの混乱は無理もない。なぜなら、周囲は清々しいほどの青空と、それに浮かんでいるフローリングの上にシロウは立っていた。既に意味の分からない状況であるが、更にそこに、ダイニングテーブルに座って紅茶を入れている少年が、コーヒーカップを揺らして堂々とお茶を楽しんでいる。
少年は現代風の衣服をしており、まるでそのあたりの少年のティータイムを眺めているような印象を受けるものの、その表情はとても子どもとは思えないほどに大人びていた。
「おはようシロウ、僕は君を待っていたよ」
少年は初対面であるはずのシロウのことを知っており、当然ように会話を始める。もちろんシロウは、その少年のことは見たこともなく、思わず身構えるが、少年はそれすらもあざ笑うようにケラケラと笑う。
「まぁまぁ収めてよ。君にとってもいい話だと思うよ」
「君は一体……? どこかであったことが?」
「峯岸史郎さん、君はさっき交通事故で死んだ、覚えているかどうかは知らないけれどね」
少年の言葉にシロウは強く逡巡させられる。そうだ、自分はあのとき、交通事故に見舞われ、そのまま死んだんだ。突きつけられた事実に言葉が出ないが、呆気にとられているシロウに対して、少年は態度を変えることなく微笑む。
「君、後悔ってある?」
少年の言葉がシロウに突き刺さる。「後悔」なんて、ないはずがない。新しい環境、新しい関係、人生の一挙手一投足が後悔になるなかで、シロウは年甲斐もなく少年を睨みつけた。
「そんなこと……あるに決まってるだろ! オレ、まだ二十歳にもなってないんだぞ……」
「そうだよね。後悔のない人生のほうが少ないよね」
しかし少年は、どこか含みのあるような言葉遣いでそう言葉を投げる。シロウは思わず更に怒りを発露しそうになったが、少年は更に話を続ける。それはシロウの想像を越えるものだった。
「もし、一度だけ蘇る方法があるならどうする?」
「一度だけ、蘇る方法?」
「今から君を、君がいた世界とは全く違う世界に送る。君はそこの世界を救うことになるだろう。そこで君が世界を救う事ができたのなら、君の最大の望みを叶えよう」
少年の言葉にシロウは困惑する。別の世界? 世界を救う? どれ一つとして今まで生きてきた人生の中で問いかけられたことのない言葉に、上手く意味を咀嚼する事ができなかった。
しかし少年は、「言葉の意味は説明しない。すべて君独りで解決しなければいけないよ」と嘲りの眼差しを向けてくる。
選択肢が極限まで狭められてしまった時点で、シロウの下す結論は決まっていた。どんな過酷な条件であっても、「生きて帰る可能性」が少しでもあるのであれば、その甘言に流されてみたいと、心の何処かで確信していた。
「それを受けなければ、オレはそのまま死ぬの?」
「もちろん。君が受けなければそのまま死ぬだけだ。どう? 別の世界にいってまで、命を繋ごうと思う?」
別にその質問をしたのは、自分にとって都合の良い選択をしようとしたわけではなかった。いわば、確信に加えて背中を押させる何かが欲しかった。だからシロウは、心強く少年の言葉に同意する。
「なら、世界を救う。絶対救ってやるから、そうすれば絶対、生き返らせてくれるんだろう?」
少年はけたたましく笑った。その邪悪とも思える声と同時に、シロウはまばゆい閃光に包まれる。それが「別世界」の入口になっていたことは、極端な光の遮りが晴れ渡った後に理解することになる。
見えてきた世界は、それまでには見たこともないような緑が闊歩する広大な自然だった。都会のコンクリートジャングルからは想像する事もできない美しい緑、そんな中シロウは気がつけば手の中に不思議な感覚が犇めいていた。
シロウの手の中にあったものは、手のひらサイズのスライムのような感覚を残す、奇妙な塊だった。
これは一体なんなのか、疑問符に駆られた瞬間、その半液体状の塊は突如シロウの手を離れ、ドロドロと不定形の変化を始める。
シロウが驚いていると、塊は一瞬にして人型へと形を変えて静かに話し始める。
「ボクは神より授けられた力……、貴方を守護するためにあり、貴方の目的を果たすための存在です」
人型の塊は、人間の少年のような形となり、そのようにつぶやく。
一体これがなんなのか理解が追いつかないが、どうやらこれは、奇妙な取引条件を持ちかけてきた少年の意識が投影されたものなのだと容易く理解できた。
「……味方である証拠は?」
「ボクは貴方の守護そのものが目的、故に、証拠は貴方自身で確かめてください」
少年の姿をしたそれは、一瞬にして姿を先程の塊へと変え、今度はファンタジーで見たことのあるレイピアのような形に変わる。
それがふいに手のひらの中でぬくもりを帯びる。そのぬくもりは、形の変化とはまた別の異質な力のように感じられた。これを信じるか信じまいかは、シロウの主観にかかっているが、その非現実的な満足感は一定の充足を与え、「敵ではない」という感覚を突きつける。
「信じているわけではないけど、一緒にいるってことだな」
誰に言い聞かせるわけでもないが、そう呟いたシロウは広く続く野原をあるき出す。ひとまず、このだだっ広い野原に立ち尽くしている道理もないということで、頭を整理させる意味でも、地平線まで続きそうな原っぱを歩み始める。
起こった出来事を頭で整理をつけようにも、なかなか「世界を救う」ということのイメージがつかない。まるで昔見たアニメの中での世界観に飛ばされてしまったようだった。
もし仮に、シロウのイメージ通りに「戦って世界を救う」ということなら、昔習っていた剣道程度の心得しかなく、激しい心もとなさに晒される。途端に不安な気持ちが増殖するが、「蘇り」がかかっているとなると、四の五の言っている暇はない。
シロウは抱えた不安をすべて飲み込むように、野原を悶々と歩いていく。
するとシロウの目に飛び込んできたのは、人工的な切り口を思わせる大きな岩窟である。その岩窟は妙に神々しい雰囲気を放つところで、どこかそこにいざなわれるように、シロウはふらふらとそこへ向かっていく。
シロウはそこで、自分の体力がここに来るまでと比べると明らかに上がっていることに気がつく。岩窟が目に飛び込んできて、更にそこに向かおうとするまで、目視していた限り相当な距離があったはずだ。
それなのにシロウがそこにたどり着くときでも、体は全く疲労を感じていない。それがどういうことかはシロウには理解に至らないが、それでも体力が異常であるということは十分感じるに至る。
シロウはその時気が付かなかった。自らの肉体の生じた、異常な変化の数々を。
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