列車よ止まれ!

 その頃。

 激震に襲われる客車内では、大勢の人が椅子や手すりにしがみついて悲鳴を上げる。その只中を、エルフリーデとイレーネは駆け抜ける。

 そして石炭車の脇を抜け、機関室にたどり着いた。

「スミレ!」

「エルフリーデ! 今どうなってるの!?」

「ゼルエルと名乗る男が、盗賊のボスのアーダルベルトごと第二貨物車と列車と分離したわ。列車は止まるの?」

 エルフリーデのその答えには、機関士が答えた。

「はっきり言って難しい。いや、絶望的と言っていい。それでも僕は、最後の最後まで乗客を守る。何か策はあるはずだ。何か、きっと!」

「そうだよ、エルフリーデ! 何か方法を考えよう!」

「そうね、賛成だわ。イレーネも一緒に考えてちょうだい」

「は、はっ、かしこまりました! でも、あまり時間が……!」

 何か策はある。そう信じて考えを巡らせている間にも、湖のそばのカーブは差し迫る。

 その事実が彼らから冷静さを奪い、思考力をも奪ってゆく。

 ――そもそもカーブで列車が脱線するのは遠心力の働き。

 ――風の魔法で車両を押し返す? ううん、六台もの車両を支えるなんて無理。

 ――鐘吾くんパパのバイクに乗せてもらった時、カーブの反対側に体を傾けたっけ。

 ――北三陸大震災の時、『姫川消防署』の後ろの地域は津波の被害が少なかったっけ。

 ――遠心力、傾き、重心、面積、バランス、一点で支える限界、守れる範囲……。

 ――……これだ!

 そしてスミレは、機関士たちに呼び掛けた。

「機関士さんたちは、石炭車と客車の連結を解いてください! エルフリーデ、イレーネ、乗客をみんな第一客車に誘導するからそれを手伝って!」

「どういうことなの、スミレ!?」

「客車ひとつ、多くてもふたつまでなら、わたしの魔法で助けられるかも! 迷ってられない、早く!」

「分かったわ!」

 そして、避難誘導は開始された。

 機関士と火士は協力して石炭車と第一客車との連結を解除し、その間にスミレは窓の外を飛びながらすべての乗客たちに避難を働き掛ける。第二客車、第三客車のデッキでは、エルフリーデとイレーネが慌てないようにと声をかけながら誘導する。

 こうしている間にも湖の前のカーブは近づいてくる。ブレーキが働いていないため更に加速する。第三客車までが空になったが、もうこれ以上第一客車に人が入りそうにない。

「スミレ! 第三客車はボクで最後だ、やってくれ!」

「了解!」

 イレーネが避難するとともに、スミレは第二客車と第三客車の間に手をかざした。

「連結よ壊れろ!」

 すると、第三客車側の連結器は粉々に砕け散り、第三客車が徐々に離れてゆく。また、石炭車と第一客車の距離も開いてゆく。そしてスミレは、非難した乗客たちに呼び掛ける。

「皆さん、車両の右側に集まってください! 重心をできるだけ右側に寄せるんです!」

「みんな、スミレの言うとおりになさい。大丈夫、私たちは助かるわ!」

 エルフリーデの呼び掛けで、すべての乗客は戸惑いながらも右側の座席に座り、あるいはしがみついた。そしてとうとう列車はカーブに差し掛かり、遠心力が車体を、更に乗客たちを襲う。機関車と石炭車は遠心力によって右側の車輪が浮き、ついには大きく傾いて脱線してしまった。

 そしてスミレは、風の魔法でそれを食い止める。

「風よ支えよ!」

 スミレが生み出した風は客車左側を強く押し、脱線を抑える。

 だが坂道を下る客車の加速は止まらず、スミレの魔法を以ってしても脱線を防ぐのが精いっぱい。スミレが魔法の制御をわずかでも誤れば、少なくとも脱線は免れず、最悪の場合遠心力に負けて湖に落下する。

 この恐怖と緊張感と戦っているのはスミレだけではない。

 乗客たちの平衡感覚は大きく狂い、襲ってくる遠心力に耐えるよりできることはない。そしてエルフリーデもイレーネも、悲鳴を上げる乗客をなだめながらこの状況を必死に耐える。

 ――頼んだわよ、スミレ。今この状況で頼れるのは、あなただけなのだから!

 ――ボクたちの命、きみに預けてるんだからな。死んだら化けて出てやるからな!

 乗客たちの中には、小さな子供たちもいる。母親とイレーネが浮き上がる小さな体を必死につかみ、泣き叫ぶ子供たちをなだめる。

「ママ、怖いよ! 手が痛いよ!」

「大丈夫だから、ね。魔法使いのお姉ちゃんが助けてくれるから」

「ああ、ボクたちが絶対に助けてやる。今はがんばれ。きみは勇敢な子だ!」

 スミレは風の魔法で客車を押し返し、エルフリーデや乗客たちは必死に遠心力に耐える。ひとたび脱線・横転すれば大事故必至の状況は、果てしない絶望を彼女たちにもたらす。

 だが、その絶望も終わりに近づいてきた。

「もう少し! あと少し!」

 カーブが終わりに近づいてきた。

 それに伴い、車体の傾きも戻りつつある。

「よっし! でも一気に戻って反動でバウンドしないように……」

 スミレは風の威力を弱める。

 線路はほとんどストレートの状態になり、このまま車輪が元の状態に戻れば。

「おっけー。車輪が元に戻れば、あとは自然に止まるのを待つだけになる」

 そのはずだった。

 浮き上がった右側の車輪がレールに触れる。

 しかしその瞬間、右側の車輪がすべてはじかれ、左側の車輪が内側に入り込む。事実上二両の客車は。

「脱線っ!?」

 バランスを崩す、第一客車と第二客車。

 左側の車輪がレールの内側に入り込み、右側の車輪がレールの外にはみ出てしまう。

 車輪が枕木や砂利を噛み、すさまじい衝撃が二両の客車を襲う。

 客車に押し込められた乗客たちは悲鳴を上げ、誰もが混乱に陥る。

 その状況下でも、スミレは冷静に対処する。

「雪よ包め!」

 大気中の水分を一気に凝縮・氷結させ、レール上に粉雪の平原を出現させた。

 粉雪はブレーキとクッションの役割を同時に果たし、暴走する客車をノーダメージで受け止め、徐々にではあるが減速させてゆく。

 二両の客車は左右に揺れながらも粉雪の平原を突っ切ってゆき、そして。


「……止まった」


 車両は完全に停止。

 スミレが雪を溶かした後は全員が客車から脱出。

 多少の負傷者は出したものの、誰ひとりの死者も出さずに済んだ。


 湖のほとり。

 スミレとイレーネ、そして火士と車掌たちが乗客たちのケアをし、操縦士はエルフリーデに礼を述べた。

「ありがとうございます、殿下。あなた方のおかげで、我々は生きていられます」

「代表としてありがたく謝意を頂戴します。でも、まだ残っている課題もあるわ。盗賊団をどうするか、今夜の食事と寝床、そして救援依頼。最後のはスミレにもうひと頑張りしてもらうとして、今夜はここでキャンプでもしようと思うの。まだまだやることはあるわよ。手伝ってくださるわよね?」

「はっ、もちろんでございます」

 すると。

「おう、お姫さん。アーダルベルトならこの通りだ」

「えっ? ぜっ、ゼルエル!」

 ゼルエルが運転士とエルフリーデの間に、アーダルベルトを放り投げた。

 彼は止血と拘束のため包帯とロープを巻かれているが、胸には咎人の証である『いばら十字』が刻まれている。

「これは……?」

「クライス正教国では『聖クライス』を信仰している。一度は議会から異端者とされ『四方十字の磔』に処されたセントクライスになぞらえ、かつては同様の死刑が、今では棘十字のタトゥーないし焼き印による刑が執行される。そして胸に棘十字を刻まれた咎人は、冬は粗末なシーツ一枚、それ以外の季節では一切の衣服の着用は認められず、罪と恥をさらして生きていかねばならない」

「一切の衣服の着用を認めないって、それでは……。いやでもさすがに、ねえ?」

「昔の話だが、女性だけは腰布を許されていたらしい」

「それはありがたいことで」

「意外とそう言うこと気にするんだな、お姫さんでも」

「うるさいですわ!」

 そこに、スミレが戻ってきた。

「けが人の手当て、大体終わったよ。話は聞いてた。わたしがレイゼン侯爵領に行って助けを求めてくればいいんだよね?」

「そうよ。あと、この咎人を収容する準備も整えてもらえればなお助かるわ」

「りょーかい。あっ、ゼルエルさん。さっきはありがとうございました」

「いいってこった。さっさと行け」

「はい、では!」

 スミレはアイビスを起動し、まっすぐにレイゼン侯爵領に向かって飛んでゆく。そんなスミレを見上げて、ゼルエルは「ひゅー」と口笛を吹く。

「あれも魔法の道具か?」

「ええ、そうよ。私たちが使っている道具のほとんどはスミレが作ったもの。どうやらスミレには、もの作りにおいてとてつもなく天才的な幼馴染がいたらしいわ」

「それでか。ところでお姫さんは、何だって魔法士なんてやってるんだ?」

「私がスミレに惚れたからよ。防災と人命救助に命を懸ける、そのためだったらどんなに危険な現場であろうと勇んで赴く、そんな彼女にね」

「そうか。いい家臣を持ったじゃねえか」

「家臣じゃないわ、仲間よ」

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