嵐の夜の訪問者
さかのぼること十年前。
天候は大荒れ。
時刻は深夜。
レギン工房。
「うぅ。夏だというのに冷えるなあ」
賢者レギンことレギン・アウグストは、長い白髪とひげを蓄えた老人だった。
工房には、魔法、錬金術、天文学の研究開発に使う道具や材料にまみれ、レギンは錬金術に使うはずの炉に火をともし、それに削いだ肉と刻んだ野菜、そして数種類の調味料を混ぜてスープを作っていた。
「しかしこうも寒いと手足が動かんで仕事も手につかん。まあ急ぎの納品があるわけでもなし、自由気ままな隠居生活で無理を働くものでもなし。いやーしかし寒い」
スープが煮詰まり具材に火が通るころ、これまた錬金術の道具である計量皿に注ぎ入れてぐいとあおった。
「あー、うまい。だが味薄い」
すると。
「ん?」
扉を乱暴にノックする音とともに、男の叫び声が聞こえてきた。
「や……、夜分に申し訳ない。どうか、助けていただきたい……!」
「何じゃ、何が起こった?」
レギンは皿を置いて扉に向かうと、壁に立てかけていた剣を抜いた。そして警戒しながらゆっくりと扉を開け、客を迎えた。
「何者か?」
そこにいた人物は、雨と泥にまみれたローブをまとう、やつれた表情の青年。彼は絶え絶えの息でレギンに言った。
「まっ、待たれよ、怪しい者ではない。……ただひとつ、どうか頼みを聞いていただきたい。我が名はアルフレート。『ノルトライン王国』の騎士。これが、その証である」
アルフレートと名乗った青年が泥にまみれたローブを翻せば、血まみれの左手で鎖につながれた紋章と、その紋章と同じものが刻まれた剣を掲げた。しかも剣は根元から折れてしまっている。
「どうした!? 一体何がどうしたというのだ、アルフレートとやら!?」
青ざめるあまり自らの剣を放り出したレギンは、アルフレートの左手と肩を取った。
アルフレートは言う。
「我がノルトライン王国、は……、今、隣国から侵略を、受けて……、うっ、ぶほっ!」
「アルフレート!」
「圧倒的な、火力、兵力……。両陛下は崩御なされ、残された、王子王女殿下らも……! しかし、どうかこの命だけはお助け願う。ノルトライン、最後の……」
それだけ言うと、アルフレートは大量の血を吐き出して地に臥せた。
ローブの中に隠した幼い命を守るように、自らの両腕で強く抱き寄せて。
「アルフレート、お主……」
アルフレートの中で眠っているのは、目を赤く腫らせた幼い少女。銀色の髪も王族用のドレスも赤黒い血に染まっている。よほど泣き叫んだのか、ひっく、ひっくとのどを引きつらせている。
そして。
「我らが、姫君、フライハイト、殿下……」
小さくそうつぶやき、アルフレートは静かに息絶えた。
レギンは小さな命を最後まで守り切った青年に敬意を表し、彼の瞼を下ろして冥福を願った。
「安心せい、お前さんの大事な姫殿下は、わしが大事に育てよう」
翌朝。
レギンレイヴ工房二階、レギンの寝室。
「んぅ……?」
少女フライハイトは、静かに目を覚ました。
眠い目をこすり、左手を支えとしてゆっくりと上半身を起こす。
「ふわぁぁぁ~っ……。おはよう、お姉ちゃん、鐘吾くん。って、あれ?」
フライハイトは、あたりを見回す。
「ここ、どこ? 病院じゃない……?」
そこはすさまじい空間だった。
スーツではない上着とロングパンツはハンガーに壁に掛けられ、わきにあるシャツも襟の形状が見慣れないもので、コートもまた変わったデザイン。しかし壁掛けの衣服以外は下着を含め乱雑に散らかされており、本棚と思われる家具には、革表紙の本のみならず『天球儀』や『アストロラーベ』のような奇妙なものが多く陳列されている。
「不思議な感じ……。鐘吾くんのガラクタ部屋だってこんなにひどくなかった、よね……?」
ひと言で言えば、そこは『ゴミ屋敷』だった。
「とっ、とりあえず状況を確かめないと。呼吸器も外されてる。確かすごく苦しくなってナースコールを押したんだけど、一気に落ち着いたのかな?」
フライハイトは布団をめくり、部屋を出る。ドアのすぐ前に階段があり、頭より高い位置にある手すりに手をかけて降りてゆく。
「ジャックと豆の木に登場する巨人の家じゃ、まさかないよね」
辿り着いた一階は、まるで鍛冶屋。何に使うのだろう、そう思いながら一階の景色を見渡す。暖炉と思われる場所には金網に乗った鍋があり、おいしそうな香りを立ち込めさせている。
すると、フライハイトのおなかが鳴った。
「うぅ、恥ずかしい……。って、ん?」
すると、建物の外からコンコンコンと乾いた音が聞こえる。
フライハイトは、これまた高い位置にあるバーをつかんで引き寄せる。
「うっ、重い……」
そしてフライハイトの目に飛び込んできた色は、青と緑。
雲ひとつない澄み渡った空、近くに見えるのは芝生と畑の作物、遠くには森。
雨の香りがかすかにする風が、フライハイトの肌をなで、鼻をくすぐり、銀色の髪をなびかせる。
「ふわぁ~、素敵な場所ぉっ!」
すると。
「おや。もう目を覚ましたのかね、フライハイト殿下」
「えっ?」
老人の声が聞こえてきた。
フライハイトがそちらを見やると、随分と水ぼらしい服装の老人がそこにたたずんでいた。手には鉄槌、そばには大きな木箱があるのだが。
「おっ、おはようございます。おじいさんはどなたですか? って言うか、ここはどこなんですか?」
「ここはわしの工房で、わしはレギンと言う。魔法士団では賢者レギンで通っており、若かりし頃は魔法士団団長をやっておった。さてフライハイト殿下、わしは殿下の保護を任されておる。こんな粗末な工房で申し訳ないが、さっそく朝食にしよう」
「へっ? ちょっと待ってください。フライハイトって何ですか? 魔法って何なんですか?」
「なんと? まさか殿下、ご自身の名も覚えておらんのか。まあ無理からぬ話か……」
「そんなことないです! わたしの名前は対島菫、十一歳、小学五年生です! えっと、まあ、肺炎のせいで学校には行ってないですけど、わたしはそんな長い名前でも偉い人でもありません!」
「ぬ? 一体どういうことじゃ。とにかくフライハイト殿下、朝食の準備はできておる、まずは」
「だからわたしは、フライハイトじゃないですーっ!」
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