衝動
陽野月美
衝動
常に死を求む生き方というのは、どうやら、普遍的とは言えないらしい。
自殺願望、という言葉がある。願望、つまりは願い。己の意志と思考を通して、そこに現れた物。それは飽く迄も願いであって、実際の行動と繋がるにはひとつステップを踏む必要がある。そんな意志や思考すら無に帰した死への衝動が、私の中では渦巻き、この喉笛を掻き切ろうと襲い来るのだ。
自殺衝動、とでも名付けてやれば、それはきっと収まりを得るだろう。自己殺人欲求、と言っても大袈裟ではない。いや、それは流石に、字面が大袈裟味を帯びることになってしまう。
この衝動、大袈裟な物では決してないのだ。それは当然のように日常におり、常に私のそばで何食わぬ顔をして着いてきているものなのだ。そこにいるのが当たり前で、それがそこにいるのは別段変わったことなどではない。ごくごく普通の、普遍的な、代わり映えのない日常の流れに過ぎないのだ。
くどいと思われるかもしれないが、しかしここまで言わないとこの感覚は伝わりはしないだろう。なんせ、これが普通で普遍的なのは、本当に限られた者だけらしいからだ。
呼吸よりさらに身近な存在が、その衝動なのである。心臓が一つ一つと打つ度に、胸の中に傷を増やして止まないのだ。
故に、苦しみや哀しみや辛さと言った、陳腐な言葉で言い表すしかない物が、私の人生のベースなのである。己が傷を吐露するなど、「私の心臓は動いています」と宣言するのと何ら変わらぬ、当たり前の滑稽さを大いに孕んだ行為なのだ。
苦しいのなんて当たり前だ。哀しいのなんて当然だ。辛いのなんてそれがどうした。
最早涙も烏滸がましい、弱音もとうに枯れ果てたのだ。
だから私は、ある意味幸せとも言えるのだ。なんせ、苦しいという事が苦しくなく、哀しいという事が哀しくなく、辛いという事が辛くない。
そこにあるのは―いや、そこには何も無い。己の呼吸や鼓動に、一々感想を持つ者が居ないのと同じように、私もこの衝動による痛みには、なんの感想も持ってなどいない。
ただただ背筋を登る死の気配を、骨身に染みて感じ取っているだけなのだ。
では、ここまで強い自殺衝動に襲われていながら、なぜ私は今、死んでいないのか。こうして言葉を紡ぎ、浅ましい戯言を滔々と並べ奉っているのか。
至極簡単な事で、わざわざ死んでやる義理がないからである。より素直に吐いてしまうのなら、衝動に押し負けて死ぬのは、なんとも癪だからなのである。
命ある生き物として産まれた以上、死ぬことはどうやったって避けられない。で、あるならば、その死を褒美とした方が得なのは言うまでもないだろう。いや、これは言うべきだ、声を大にして言うべきだ。
確かに、その衝動による傷から解放されるために死ぬのであれば、それはある意味褒美と言えるのかもしれない。しかし、それはマイナスがゼロになって喜んでいる、ということなのは、それこそ言うまでもない事だろう。
それはつまり、喜ばしき敗北の快感なのだ。それはそれで、人によっては尊い救いなのだろう。それはとても理解できるし、納得が行く。そこまでしないと救われることができない程の苦しみならば、そうやって解放されてもいいはずだ。その苦しみを取り除く術を持っている者以外、その救いを止める権利はない。
しかし、私はその取り除く術という物を持っている。まぁ、それは飽く迄も、自分にとって、でしかないのだが。だとしても、持っているものは持っているのだ。私には、私を止める権利がある。
そして何より、その敗北の快感は、その解放は、私に取って全く意味をなさないのである。私が求めているのは、それでは無いのだ。
私が真に求めるのは、心に求めているのは。襲い来る衝動に唾を吐き、気取った笑みで幸福を語る、気障な勝利の快感なのである。
苦しみに、哀しみに、辛さに、ざまぁみろと言って、気取った仕草で盛大に笑ってやる事なのだ。
故に、私は生きている。死なぬだけでは飽き足らず、輝き持ちて、生きている。永久なる眠りを夢に見て、寝床探して生きている。
とまぁこんな風に、意気揚々と息巻いてみたものの、私の人生のベースはやはり苦しみで哀しみで辛さで、自殺衝動であることに何ら変わり等ないのである。どんなに何を言ったって、この血腥い事実は一貫して、普遍的な迄に不変なのだ。
しかも私は現在、性懲りもなく、何度目かになる自殺を図っている始末なのだ。今回のこれは、中々に良いやり方だと自負している。
自身の全てを背負い込み、耄碌絡まるその日まで。
その自殺を私は、老衰自殺、と名付けて呼ぶことにした。無論、途中で死んでも構いやしない。そこが私の、老いの果てになるだけだ。それが私の、永久なる寝床となるだけだ。
こんな自殺のその先に、そんな自死の先にだけ、勝利の笑いが響くと信じて。
私は今日も、死んでやらん。
衝動 陽野月美 @Hino_Tukimi
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