ⅩⅧ
通常、この国では婚約している未婚の男女が会う時は、女性の方が男性を訪ねる。だが、それは貴族同士の話だ。貴族のエレナと騎士団のサピュルスの間には、貴族か否かという身分の壁があるため、
「えっと、こ、こんにちは、エレナ様……」
サピュルスはガチガチに固まっている。エレナはクスッと笑って屋敷の中に招いた。
「どうぞ上がってくださいな。メイドにお茶を用意させますので。あ、コーヒーの方がよろしいかしら」
「あ、いえその、お構いなく……それより、今日は……」
今日は、エレナの婚約者として訪れたと言うより、今回のことについての説明に来たのだ。客間に通され、サピュルスはこほんと咳払いをしてから、早速本題について話し出した。
「今回のこと……その、了承のお返事、ありがとうございます……」
「いえ、そんな……」
「それで、その……なんと言いますか……実は俺もよく分かってなくて……突然父が、王家とシエラヴェール家の許可を取ったと言いながら帰ってきたと思ったら、あの手紙を送ってしまったのもので……」
「え!?」
突然、父が、許可をとって。つまりサピュルスも、エレナと自分の婚約話が上がっているなど知らなかったのだ。なんなら、相手はともあれ結婚の意志があるかどうかすら聞かれなかったらしい。
「で、ではサピュルス様は今回のご結婚ご不満で……」
「え!? あっ、その、そうでは、ないのです……驚いただけで……!」
サピュルスはぶんぶんと両手を振った。口下手な分、行動に出やすいのだろう。元々の質なのか、それとも後継者として鍛えられたのか分からないが、ルゼルトは口でしっかり物事を言える分、身振り手振りは控えめだった事を思い出して、まだ人とルゼルトを比べてしまうなと、エレナは苦笑しそうになった。
「……その、エレナ様はどうして、了承のお返事を……?」
「──私は……理由がないと言ってしまえば、ないのです。まだ未成年で、結婚できるようになるまで1年かかります」
「理由がない……?」
首を傾げるサピュルスに、エレナは少し目を伏せて話した。
「……サピュルス様は、騎士団のお方ですし……あまり分からない感覚だと思うのですが……貴族に生まれた女性は、基本恋愛というものを許されません。父母の……家の決めた結婚を受け入れざるを得ないのです。政略結婚の道具として使われるのが普通ですから。事実、賢者ルゼルト様との婚約も政略結婚でした。私の父と兄が私との結婚を認めたとなれば、あとは欲しがる家に貰われる……そうなることに疑問を感じることが、私にはできません」
……騎士団は、基本的に男女ともに恋愛結婚が許される。立場がどうなろうと円卓会議には参加出来る上、その席順が変わることはない。貴族と騎士団の政略の婚約というのは、今回が初めてというレベルですらあった。故に、サピュルスは少し驚いた顔をしていた。そういう、ものなのか。男性で、自分もいつかは好きになった人と……いや、自分の性格では生涯独り身かもしれないが、なんにせよまさか政略結婚になるとは思わなかったサピュルスに、たしかにその感覚は分からない。……だが。
「し、しかし、えっと……理想の、男性像はあるのではありませんか?」
それも、そう言われるとエレナとしては微妙な感覚だ。何しろエレナはずっとルゼルトを未来の旦那として見ていて、その他に親しい男性など父兄と騎士団長家の人々、ついでにアザンツ程度のものだ。顔は確かにルゼルトよりもサピュルスやカルブの方が好きだが、それを理想と言っていいものか。
「……そうですね……私は、
ちらりとエレナは少し伏せていた目を上げてサピュルスの反応を伺った。僅かにショックを受けているような顔をしていた。それが、エレナを気の毒に思っているからなのか、それともルゼルトを比較対象に置いているからなのかは分からないが。エレナは恋をしたことがない。故に、サピュルスが自分に恋心を抱いていることも知らない。
サピュルスのショックはエレナを気の毒に思うでもなく、ましてや地位と人格が違いすぎるルゼルトと比較されたでもなく──エレナは本当に、趣味が否定されなければいいという程度で、サピュルスは別に彼女に選ばれた訳ではない、というところにあった。
「……分かりました」
こんな調子で夫婦としてやって行けるのか分からない。だが今回の件について、サピュルスに拒否権はなかった。
その場にいなかったサピュルスとカルブは後で知った話だが、ルゼルトは至って冷静にエレナとサピュルスの婚約を認めたと父は言う。野心家のところがある父の目的は、騎士団家の地位の向上にあった。クタヴェートとの結び付きを強くすることで諸貴族に拮抗できる権力を持ちたいのだ。クタヴェート家そのものはそう権力は強くないが、この家は王家にすら嫁を出せるのだから。シエラヴェールからは、魔法使いとして優秀な子ができるとは思えない、という了解を得た。なぜなら、魔法が使える者と使えない者の結婚では、魔法の能力の是非はとにかくとして、使えるか使えないかで言えば父親の遺伝に寄る場合が多いのだ。いくら母親がクタヴェートでも魔法が使えないサピュルスが父親では魔法が使える子供は生まれないだろう。王家もシエラヴェールも、とくにサピュルスとエレナの結婚に危機感は抱いていなかった。
──エレナに父の目的を教えるつもりはない。だが、伝えることがある。
「お、俺も」
「?」
「ルゼルト様ほど、立派なことは言えませんし……あの時は驚いてしまいました、が……エレナ様の趣味を否定して、制限するつもりはありません……!」
サピュルスは、不安そうではありながらも真っ直ぐにエレナの目を見て言った。エレナは少し目を見開いたあと薄く笑って、深く頭を下げた。
「そうなるでしょうね」
ルゼルトがアザンツからエレナの返事を聞いたのは、エレナが騎士団家に返事を出した3日後、まさにサピュルスがクタヴェートを訪ねた日の夕食時だった。ショックを受けるだろうかと思ったが、彼は至って冷静だ。
「……予測できていたのですか?」
「エレナは貴族の女性で、生まれた瞬間からシエラヴェールに貰われた身です。それが破棄されたところで、これから自分の意思で決めようとは思わないでしょう。王家と大賢者、それと父兄が良しとしたなら受け入れるだろうとは思いました」
「…………」
アザンツは溜息を吐き出しそうになってこらえた。こうも冷静なのは、予期していたからショックが薄いのか、隠しているのか、それとも、その両方で且つ……感情の起伏がなくなってきているのか。
アナスタシアを抱いた翌日、彼はようやく精霊の召喚に成功した。たった1匹で、使役を試みる前に消えてしまったしあまりにも多大に魔力を使ったが、それでもようやく召喚に至ったのだ。──これを続ければ、アナスタシアを抱き続ければ──使役を焦るルゼルトがまた心を殺してでもアナスタシアを抱こうとしているのは目に見えて明らかだった。心を殺している影響が、日常生活に出てきているように見えて仕方ない。
「…………」
どうか、サピュルスとエレナが上手く行きませんように。アザンツは強く祈っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます