ⅩⅥ

 円卓会議は順調に進み、貴族たちは王城の会議室から解散となった。ヤーフェは王城に残ってやることがあるらしく、ルゼルトは彼に頭を下げてからシエラヴェールの城へと戻った。

 ……その足取りは重い。正直、今の城にはあまり帰りたくなかった。ルゼルトは大きく溜息を吐き出した。


 ──帰ってきて、1度マントを脱ぐため自室に行くと、そこにはアナスタシアがいた。ぺら、ぺら、と捲っているのは、あの小説だ。ルゼルトに気づくと、彼女は微笑んだ。

「こういった本を読まれるとは思いませんでしたわ」

「……なぜ部屋にいるのです。それと……それは別に趣味ではありません。……貰ったんです」

「エレナ様に?」

「他に誰がいるというのですか」

 部屋にいる理由はスルーされたが、まぁもう一度改めて聞いたところで笑顔でスルーだろう。そういう女だ。なんてことを考えていたら、アナスタシアは本を閉じて、表紙をなぞった。

「この作者、私も存じておりますわ」

「……え?」

「マルレナ・カーター……小説好きな人の間では有名人ですもの」

 アナスタシアも小説が好きなのか、とルゼルトはキョトンとしていた。アナスタシアとは街中で何度も会ったことがあるし、その度に世間話程度には付き合ってやっているが、小説の話を彼女が持ち出したことはない。エレナが小説を好きだということは彼女も知っていると思うが(どういう小説が好きかはとにかく)、そのエレナとルゼルトが一緒にいる時も同様、本の話などしてなかった。話をいていれば、仲良くなれそうなのに。

「……初耳ですね」

「言いませんでしたもの。……そうですわね、言ってしまってもいいかもしれませんわ」

「……何を?」

 アナスタシアはにっこりと深く微笑んだ。


「私、男性の同性愛が好きですの」


 …………エレナに趣味をカミングアウトされた時より大分堂々と言われた。別にいいけど。

「あぁ、もちろん男女の恋愛も、女性同士でも好きですのよ?」

「……そうですか……」

 どうして私の周りはこうも同性愛好きが多いのか、と若い賢者は考えたが、答えは出てこなかった。まだ妖精召喚と使役ができ大賢者になる資格がない己が考えても無駄なことなのかと思考が飛ぶ。大賢者にも多分わからない。

「ついでにもう一つ言ってしまいましょうか」

「何をです」

「私、マルレナ・カーターの正体も存じています」

「…………はぁ? いやいやそんな馬鹿な……そういった情報に詳しいエレナすら知らないことですよ? 教会にいた貴方が知り得ることでは……」

「性別は女性」

 何を言っているんだと言うルゼルトの声を遮り、彼女は言葉を紡いだ。

「歳は17。……本名はマルレタ・カーナー」

 ひく、とその名を聞いたルゼルトの頬が引きつった。その名前なら……知っている。『アナスタシア』とは、教会での名前だ。本名は違う。通りがいいと言うか、ずっとアナスタシアと呼んでいたため婚約者となった今でも本名を呼ぶことはないが、覚えている。

 マルレタ・カーナーこそ、アナスタシアの本名だ。

「嘘でしょ!?」

 ルゼルトは久々に大声を出した。




 娘と共に領地に帰ってから早数日、グランツはまだクタヴェートの屋敷にいた。エレナは王都に帰ってももう大丈夫だと言っているが、グランツは基本騎士団の砦よりも、叔母の住む王城のパラスにいることが多い。そこだと今回の婚約破棄で他の貴族の視線が痛いのだろう。それに、恐らく婚約破棄となれば、もうそこに置いては貰えまい。きっとスレイドと共に騎士団の砦で暮らすことになるだろう。

 エレナは帰ってきてから、何度も何度も父に涙ながらに謝られた。謝られすぎて、エレナの方が参ってしまうほどだった。普段はあまり感情を表に出さず、遊びに行くのがバレれば令嬢としての自覚を持てと叱られるのが常である。その上母親はとても優しい人だったものだから、父は厳しい人なのが彼女の中の大前提だった。不器用な人だとは分かっていたが、それはそれだ。だからこそ、涙を流しながら謝られたのは新鮮だった。


 エレナは、案外普通通りの日々を過ごしていた。そもそも、森を背に持つクタヴェートだ。町は近くにあるが、あまり庶民はこの屋敷に近寄ることは元よりないし、エレナも領地内の街に出ることはあまりない。買い物に行くメイドによれば、婚約破棄の話はもう出回っているらしいが、悪い噂は特になく、エレナが可哀想だという話が主だそうだ。

「でもそれで良かったわ。ということは、諸貴族はクタヴェートの悪い噂を流さなかったのね」

「はい、恐らく……旦那様に届いたスレイド様からの手紙に、円卓会議の話があったらしいのですが……シエラヴェールは今回のことについて、牛乳が飲めないのでは今後苦労するから、それを牧師に相談したところ、アナスタシアとの婚約を勧められた、とシエラヴェールは説明していた……との事です」

「新しい婚約者はアナスタシア様だったのね」

 そういえばそれを聞き忘れていたな、とエレナは思い出した。きっと、アナスタシアはとても喜んだことだろう。手が届くわけのないルゼルトとの結婚、それが突如として手に入ったのだから。

「……私はどうなるのかしら」

 エレナは外を見て呟いた。空は青く、風がエレナの髪を揺らした。


 グランツはその後、王都へと帰った。父がいると思う存分はしゃげない、といつもは思うのだが、今回に限っては父がいてくれて安心していたため少し寂しくはあったが、いつまでも甘えてはいられない。だが、スレイドが来年20歳になれば、正式に騎士団の魔法使いはスレイドになる。その時はクタヴェートに帰ってくるはずだ。


 事態が動いたのは、7日後のことだ。騎士団長のカルティアから手紙が届いたのだ。

「……うそ」

 エレナはその手紙を見て、息を飲んだ。


『エレナ・クタヴェート様


 シエラヴェール様との婚約破棄、残念に思われ、またまだその傷も大きいことかと存じますが、お願いがございます。

 どうか、我が次男サピュルスとの婚約をお願いしたく、筆を執りました。

 グランツ様、並びにスレイド様からはエレナ様さえ良ければ、という返事を頂いております。

 良きお返事を期待しています。どうか、よろしくお願い致します。


 カルティア・スターレイター』


「……どう、しよう……」

 サピュルスとの結婚、まるで考えたことがなかった。サピュルスの方はおそらく了承しているのだろうけど、クタヴェートとの関係が濃くなりすぎないだろうか。騎士団とクタヴェートの婚姻が認められ、自分とサピュルスとの間に魔法が使える子供が生まれてしまえば、 国家において重要な貴族と騎士の力関係が崩れる。それも懸念されて、騎士団とクタヴェートの婚約は良しとされていなかった。シエラヴェールがエレナを欲しがった理由は、王家との力関係もあったが、騎士団との力関係も理由にあったはずだ。

 婚約破棄はいい。だが、それでこんなに早く騎士団が自分を欲しがる理由とは?シエラヴェールは……それを認めたのか?それを認める……否、認めざるを得ないほどのことを、シエラヴェールは隠している?

「…………」

 だが、王家が認めたのか、そしてシエラヴェールが認めたのかは聞きづらい。そもそも、こうして手紙を出しているということは認めたというのも同義だ。聞くのも馬鹿らしい。

 政治的な力関係も心配だが、懸念はもう1つ、そう、騎士団とは基本男所帯だ。女中もいることにはいるが、基本彼らは自分のことは自分でやる生活を送る。女中がやるのはせいぜい湯を張ったり料理をする程度のことで、ほとんど出る幕はない。そんな環境で私の心臓は大丈夫か?男同士の恋愛が大好きなのに?ドキドキしっぱなしでは?

「…………」

 だが、どうせまだエレナは未成年、結婚できるまでに1年かかる。そして、筆を執った。


『私でよければ、よろしくお願い致します。』

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