ⅩⅤ
それは5年前の事だった。エレナはまだ10歳で、ルゼルトと同い年のサピュルスは13歳だった。サピュルスは昔から引っ込み思案で、時折2年後に自分たちが世話になるスレイドに挨拶するため、クタヴェートに赴くことがあったが、彼はいつも恥ずかしがってまともに挨拶ができなかった。その年は帰る前、厳しい父にクタヴェートの屋敷門から出た時にいい加減にしろと怒鳴られてしまい、 彼はその場で泣き出してしまったが──何故か屋敷から出てきたエレナに、その様子を見られた。驚いたのか、怖かったのか、唖然として固まってしまったエレナを見て、父が慌てふためいていたのを覚えている。
「えっ、エレナお嬢様!? い、今のはですね、その……」
自分の家の目の前で息子を怒鳴っていたなどグランツに知られたら困る、父はあたふたと言い訳をしようとしていたが、エレナは別にそれを咎めるつもりはないようだ。彼女は特に何も言わず、サピュルスに歩み寄った。
「エレナお嬢様……?」
「サピュルス様、緊張してしまうならおまじないをしますね。私も国王の前だと緊張してしまうのですが、お兄様に教わったのです」
彼女はそう言うと、サピュルスに少し屈むように言い──その額にくちづけを落とした。あまりのことに、父も、兄も、もちろんサピュルス自身も驚いた。
「これで大丈夫です!」
彼女の笑顔には屈託がなかった。恐らくは、王家との挨拶の際、兄がおまじないだと言って、魔法的な効果を誤魔化すために額にキスをしたのをそのまま実行したのだろう。魔法効果を兄が含めたのを知らなかっであろう彼女のキスでは、何か変わったようには感じなかったが──彼にとってそれはさほど重要なことではなく、それよりも、彼女が自分を心配して来てくれたことの方が余程大切だった。
13にもなって父に叱られて泣いて、情けない、辛い、どうしようもない。こんな小さな子にまで気を使われて恥ずかしい、けれど──嬉しかった。
彼は剣の腕も兄に及ばず、兄のように堂々としていないし、体も大きくない。何かも兄に劣り、みんな兄ばかり見る中で──彼女は自分を見て、心配して、わざわざ来てくれた。それが嬉しくて、嬉しくて嬉しくて──恋に落ちた。
知っている。彼女は将来、シエラヴェールに嫁ぐのだ。それでもいい。ただ、自分は彼女に、この淡い想いを抱いているだけでいいのだ……と、思っていたらこういったわけである。しかも、彼女の趣味を暴露されてしまった。
正直、またとないチャンスだと思った。しかし、弱っているところにそんなことを言うのは卑怯だとも思った。それに、婚約破棄されたところで、彼女はルゼルトのことを(趣味を否定しないという意味で)理解のある友人のように思っていた──恋愛的な意味でなくても、好きだったのだ。
兄が風の噂で聞いた話らしいが、ルゼルトはエレナの趣味を聞いた時、拒絶しないどころか自分には趣味がないからあなたの好きなことを聞かせて欲しいとまで言ったらしい。驚いて固まったというのもあるが、そうでなくてもそこまでスラスラと言えるほどの度量はない。
そうして結局、彼女に何かすることは出来なかった。これから王都に来るかどうかも分からないのに、全く自分は。
この国の会議は円卓で行われる。どの貴族にも等しく発言権があるという平等の象徴である。もちろん、円卓であってもその中に順位というのはあるが、それでもこの円卓会議に発言を許されない者はいない。
第一席、国王フライツェ・エルカディア。
第二席、第1王子アントム・エルカディア。
第三席、大賢者ヤーフェ・シエラヴェール、並びに賢者ルゼルト・シエラヴェール。
第四席、公爵家代表マルドレア・ナークス。
第五席、侯爵家代表ドナハ・ライベルト。
第六席、伯爵家代表カレンバル・ネクスレイト。
第七席、子爵家代表リツァ・マイレング。
第八席、男爵家代表レーミング・サイトレイ。
第九席、騎士団専属グランツ・クタヴェート、並びにスレイド・クタヴェート。本日グランツは欠席。
第十席、騎士団団長家カルティア・スターレイター、並びにカルブ・スターレイター。
以上全10席、それにプラスされて次期当主が来る家もあり、最大で13人が出席するものが円卓会議である。今日はグランツが欠席しており、12人だ。
「では此度の定例円卓会議ですが……まずは去年の末より話題にございましたニアリカ、話し合いでは決着がつかず、マカレニータ王国はついに軍隊を動かした模様です。一月も経てば鎮圧、独立不可能となる見通しとなっております」
司会兼書記である王の側近が述べる。貴族たちは満足そうに頷いた。
「このマカレニータの軍事行動に置いてなにかございますか」
「……1ついいかね」
「は。なんなりとどうぞ、カルティア・スターレイター様」
「マカレニータは同盟国。この国の騎士団を支援に向かわせる必要性について王に問いたい」
「ふむ……少し前に熱を出して倒れたらしいが、今は体調も回復し、最近会議への出席率も高いシエラヴェールの次期当主よ。この問題、どう見る?」
「……では、恐れながら。端的に結論を申し上げるならば静観が懸命な判断かと思われます。ニアリカは小さな土地、マカレニータの軍隊が動いたとなれば我々の支援は頼まれた時に出動させるので十分かと。ニアリカはエルカディアから見ればマカレニータの中でも最も遠い場所に位置します。今は多量な資源を消費して向かわせる必要はありません」
「ふん、さすがは賢者殿。国を潤沢にする為ならば同盟国を見捨てるのも容易いというわけか」
「発言を控えよ第十席! 賢者の言うことは最もだ!」
不服そうなカルティアが喧嘩腰でそう言うと、別の貴族から叱責が飛んだ。ここでスレイドが立ち上がる。
「騎士団が申し訳ありません。しかしこの発言にも理由があります。先日マカレニータの軍事行動について吉凶を占ったところ、良くはない、という結果が出ました。今すぐ支援を送れば良いという結果になるでは、という発案の元なのです」
「悪いと言われているわけではなかろう? 第四席たる我々はシエラヴェールの意見に賛成する」
第四席が言うのと同時に、他の貴族も賛成を示し、ほっとルゼルトは胸を撫で下ろした。反感を買わずに済んだらしい。王と王子も反対の意はないようだ。
こういったことは度々起こる。騎士団とそこに属するクタヴェートは人情や友情などを優先すべきだという思考であるが、シエラヴェールを初めとする他の貴族は国の安定を優先したがる。王族は基本中立の立場であるため、位の高い貴族たちがシエラヴェールに賛成してしまえば、騎士団とクタヴェートはその意見を飲むしかないのだ。
「……では、支援については要請が来れば、ということで決定致します。……次の内容についてですが……シエラヴェール家とクタヴェート家、婚約破棄についてご説明願います」
全員の視線がルゼルトに向く。しかし、立ち上がったのはヤーフェだった。
「皆々様方、もう噂として存じているかと思われまするが……我が跡取りルゼルトと、クタヴェートの令嬢エレナ・クタヴェートは婚約破棄することと相成った」
「一体なぜかな? あれほどまでに血を欲しがっていたのに」
「……王もご存知の通り、ルゼルトはミルクを苦手としている。飲めば体調を崩してしまう。今やルゼルトも成人し、我が命もそう長くは持ちますまい。なればこそ、今後苦労のないようにミルクは飲めてしかるべき。それを牧師に相談したところ──教会に仕えた者を今後の生涯ただ1人だけ愛せば、神に祝福され改善されるだろうという答えを得た。よってシエラヴェールは、アナスタシアを跡取りの妻に頂く」
スレイドは僅かに目を見開いた。この中で唯一本当のことを知っている身としては、そういう話になったのか、と言う気持ちだ。
「今の話について皆様から何かございますか」
誰も、あーどこーだと言うつもりは無いらしい。確認した側近は、では──と次の話を始めた。
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