ⅩⅢ
「はぁっ、はぁっ……エレナー!」
アナスタシアとルゼルトが話していた頃、スレイドはどんどん酷くなっていった雨の中、市街地でエレナを探し回っていた。ジェシーに着替えとタオルの用意を命じたのと、雨が酷く視界が悪いため、妹の姿を見失ってしまったのだ。犬猫ではないのだから声をかけて出てくることはないが、それでも呼びかけずに居られなかった。
スレイドは少し意地悪な兄だ。エレナのドレスが似合わなければ大声で笑うし、クタヴェートに帰ってもエレナの魔法の練習にはほとんど手を貸さず、エレナがやり方が分からないと言っている所をケラケラと笑って眺めて、それにエレナが怒り始めたらようやくアドバイスをするような性格をしている。エレナに対する性格が良くない自覚はあるし、それを治そうというつもりはない。でも、それでも、たった1人の妹、大切な身内。自分は風邪をひこうが何だろうが構わない、とにかくエレナの安全を確保したい。それがスレイドの気持ちだった。
「ハァ、ハァ……」
騎士団所属とはいえ、彼は魔法使い。騎士ではないし、動くのは専門ではない。走り回ることもほとんどない。おまけに冷たい雨に体温は奪われ、服が濡れて重い。雨が大粒で横殴りになるほど風も強いため全身に少しずつ痛みが蓄積する。膝をつきそうになるほど、疲弊していた。それでも、エレナを保護しなくては。ここは王都で治安は悪くないが、それでも全員が全員善人ではない。悪人に襲われたらどうしよう、この雨で増水しているであろう河川に行ったりしていたら──不安で口から心臓が出てきそうで、悪い想像を振り払うようにぶんぶんと頭を振った。
「エレナ! どこいったんだ!」
再び走り出そうとした時、ずるっと雨で濡れた石造りの道が滑り、見事に転んでしまった。あぁ、情けない……そんなことを思っていると、トントンと誰かに肩を叩かれた。驚いて振り向くと、フードを被った人物が自分を心配そうに眺めていた。一瞬誰だろうと思ったが、すぐにわかった。
「カルブ!」
「スレイド様……こんなところで何を?」
「エレナを見なかったか!? ちょっと色々あって……逃げてしまったんだ!」
「エレナ様が? いえ、今日は見かけていません……とにかく砦に行きませんか? 今のままでは貴方の方が参ってしまいそうだ」
カルブの冷静な意見に、疲弊した脳がそれもそうだと頷く。本当は探すのを続行したいが、探すのも騎士団の手を借りる方がいいだろう。
「……わかった」
騎士団の砦へ来て正解だった。何とそこには、びしょ濡れのエレナがいたのだ。
「エレナ!」
スレイドはその姿を見るや否や、妹に駆け寄って抱きしめた。身体が冷えている。
「ああ、良かった、無事だったんだな……」
「……ごめんなさい、お兄様……」
彼女のことはカルブの弟であるサピュルスが保護してくれたらしい。市外警備を行っていたら、路地裏で蹲っているところを見つけたそうだ。
「ありがとうサピュルス、安心した」
「……いえ、当然のことをしたまでですので……」
砦にいるメイドは既に湯を沸かしてくれたらしい。エレナに先に行かせて、スレイドは体を軽く拭いてから、砦の食堂で何があったのか説明を始めた。
2人の反応は神妙なものだった。カルブなんかはシエラヴェールの身勝手さに怒るのではないかと思ったが、そんなことはないらしい。
「信じられない……一体どうして……」
「……」
「勤務時間外によくエレナ様とルゼルト様へ……まぁ、挨拶、に向かいましたが……ルゼルト様はエレナ様が帰る際、必ず外に出てエレナ様を見送っていましたし、俺の事を心底邪魔者扱いしていたのに……」
「……兄上、心底邪魔だと思われていたのに邪魔しに行くのは如何なものかと……」
何言ってんだこの人、とでも言うような目をサピュルスが向けるもので、スレイドは少し笑ってしまった。
「ともあれ……2人は婚約破棄の原因を知らないのだな?」
「お力になれず申し訳ありませんが、まるで心当たりがありませんね……」
それもそうかとスレイドは溜息を吐き出した。そも、婚約者の兄である自分ですら知らないのだ。騎士が知らないのは当たり前だろう。
「とりあえず……今日のところは我がスターレイター家に泊まっては? すぐにクタヴェートに帰るのも難しいでしょうし」
「それはありがたい。湯浴みが済んだら提案してみよう」
そうせざるを得ないだろうが、嫌だと言われたら問題だ。いや、嫌だと言うことはないだろうが、態度で示すことはあるかもしれない。何しろ、スターレイター家は今でこそ位はそれなりに高いが、少し前まで庶民と同等の家だったのだ。屋敷はあるが、それでも騎士の家だ。綺麗な屋敷で暮らしてきたエレナが馴染めるかどうかは分からない。
やがて湯浴みを終えてメイドの予備の服を来たエレナが、3人が話していた食堂にやってきた。何があったのか説明をしたことを話し、今日のところはスターレイターに泊まることを提案すると、彼女は嫌がらずに受け入れた。
「そうだ、ジェシーにタオルと着替えの用意をさせていたのに……俺は一旦シエラヴェールに行く。カルブ、革のローブはあるか? あとジェシーを連れてきたいから馬車を用意してくれ」
雨はまだ激しい。雨を弾くためのローブは必要不可欠だ。
「ありますけど……私が行きますよ。スレイド様はまだ湯浴みをしてませんし……」
「行かせてくれ。父上はまだ残っているだろうし……ルゼルト様とももう一度話がしたい」
「旦那様……いえ、ルゼルト様と話をするなら私も行きます」
「……お前は待っていろ。今のあの人はお前を遠ざけようとしている」
「! …………」
エレナはついて行きたいとスレイドの袖を握っていたが、遠ざけようとしていると言われてしまっては近寄るつもりになれなくなったのか、その手を離した。普段は生意気なところもある妹が、いつになく素直だ。こういうところを可愛いと思ってしまうのだから、自分は相当兄馬鹿なのだろう。
「お前は、いつもみたく楽しいことを考えていればいい。俺とルゼルト様が何の話をしてるのかとか、歪な方向に考えるのは得意だろ?」
「なっ……! お兄様! 人前でそういうことは言わないでください!」
「はいはい、ごめんって」
歪な方向って何だ、と言う顔をする兄弟は見えてないふりをして、スレイドはローブを羽織った。馬車も用意してくれている。
「じゃぁ、行ってくる。夜までには戻るから」
スレイドを載せた馬車は、雨の中霞んでいく。ちゃんと話を出来ればいいけど、とエレナは不安そうだ。
「…………」
楽しいこと……お兄様と旦那様で……。
「…………」
『ルゼルト様! なぜ妹との婚約を破棄なさったのです!』
『エレナに優しくしたのは貴方の信頼を得るためだと……まだお気づきになりませんか?』
…………とか?
『えっ……俺の……?』
『その瞳……宝石のように綺麗なのでずっと欲しかったんですよ』
…………いや、ナシね。旦那様はそんなふうに回りくどい方法で好きな人を手に入れないでしょうから。
そこまで考えて、こんな状況でなおアリかナシか考えてしまうエレナは、思わず自分の頭を抱え、その様子を頭痛かと心配したサピュルスに。
「ちが、違うんです……お兄様とルゼルト様の恋愛を妄想してしまって……」
──と、素直に暴露してしまったのだった。
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