Ⅲ
クタヴェートの屋敷は、王都から少し離れた土地にあり、その背後には森を背負っている。一度ルゼルトのほうが王都からエレナを訪ねに来たとき、彼は「空気が美味しいですね」と笑っていた。そう、それはよく褒められる点だし美点ではあるのだが……正直、退屈である。
そもそも何故クタヴェートの屋敷が王都になく、平民からの出世である騎士団長家が王都にあるのかというと、まだこの国が戦争をしていた時代、その時の当主が騎士たちの怪我を一気に治そうとして、失敗して悪化させてしまい、そのために命を落とした騎士たちが多かったためだ。王都にいたクタヴェートは郊外へ移され、今もまだそのままでいる。
エレナは自然の中も嫌いではないが、王都のほうが好きだ。いろんな催し物がやっていてルゼルトと二人でお忍びでそれを見に行ったり、こっそり本を見に行ったり、そういうのは王都ならではの楽しみだ。早く2年経たないか、エレナは窓から空を眺めながらそんなことを思った。ルゼルトと会った日から数ヶ月後のことである。季節は初夏に差し掛かっていた。
「はーぁ、退屈ねジェシー」
「元気を出してくださいお嬢様、また今度お忍びで遊びに行きましょう」
「うっかりそれでお父様に見つかったら雷が落ちるわ」
エレナとスレイドの父であるグランツは基本家にはいない。スレイドとともに王都で暮らしており、騎士団の仕事に貢献している。……最近は暇なのだが。クタヴェートの屋敷にいるのは基本エレナと使用人たちだけで、グランツとしてはあまりエレナに王都に遊びに来てほしくないのだ。屋敷にいるクタヴェートの人間がいなくなるのだからその心配もわかる。
母のマリアは、数年前に死去している。思い病にかかり、医者や聖職者が手を尽くしても治らなかった。せめて母が元気に生きている状態であれば、少しは遊びに行くことも許してもらえたのだろうが、それも叶わぬ夢だ。
「せめて誰か遊びに来てくれないかしら。叔母様とか」
「リーナス様は王都……それも王城にいらっしゃいますしそう簡単には」
「お嬢様ー!」
ジェシーの声を遮ってメイドが玄関から大きい声で彼女に呼びかけた。何事かとエレナが部屋から出て玄関へ向かうと、噂をすれば影、エレナの叔母のリーナスがいた。
「久しぶり、エレナ!」
「叔母様!」
エレナの顔が綻んだ。
リーナスはグランツの妹で、元王の従弟に嫁いだ身だ。シエラヴェールがエレナを欲しがった理由でもある。18で子供を産んだため、彼女の子供はもう20歳を超えていて、エレナも何度かあったことがある。叔母によく似た顔をした男性で、やはり魔術の腕前はかなりのものだった。
「上がって叔母様。今日はどうなされたの?」
「可愛い姪の顔を見に来たのと……もう一つ、王都でいいものが手に入ったのよ」
「いいもの?」
「エレナの好きなものよ」
「何ですって……!?」
エレナは紅茶を淹れるようにメイドに言い、客間に叔母を連れて行った。紅茶が差し出されるのと同時に、リーナスはエレナの好きなものを差し出した。
「はい。この作者の本、好きでしょう?」
「! マルレナ・カーター……! なんてことなの! 新刊が出ていたなんて……!」
マルレナ・カーターはエレナが好きな小説作家だ。正体不明で作者名もペンネームとのことだが、まるで自分のために書いているのではないか、と思えるほどエレナの趣味に合う小説を書いている。書くのは男性同士だけでなく、女性同士の恋愛や男女の恋愛まで多岐に渡るが、どれもこれもストーリーも文章も最高だ。王都にいないエレナは新刊が出たという情報も得られず、得たとしても王都にいる兄に買ってほしいと頼むだけで、それでも即刻売れてしまうため中々手に入れることができないのだ。読んだことがあるのは、ほんの数冊。ルゼルトと王都の店を見て回っていたとき偶然見つけたものと、兄が奇跡的に買えたものだ。
「一体誰に聞いたの叔母様? この作者、お兄様に言っても多分覚えていないのに」
「息子よ。ヤコスに聞いたの」
「ヤコスお
「話したことはないけど、あなた一年くらい前に婚約者様と本屋にいたでしょう」
「……まさかお従兄様もそこに?」
ヤコスには何度かあったことがある。数回という程度ではあるが、小さい頃から猫可愛がりされていて、正直実の兄よりその態度はわかりやすい。
「えぇ、偶然ね。そこで貴女がカーターの本が奇跡的にあったって嬉しがっていたのを聞いたらしいの。そこで、よく王族分家の屋敷来る商人に、マルレナ・カーターの本が入ったら教えてくれって頼んでいたのよ」
「そうだったの……お従兄様にお礼を言わなきゃ。……そういうことだったらお従兄様が来てくださればいいのに」
「私も言ったけど、最近ニアリカ独立反対の話し合いのために呼ばれることが多いから王都から離れられないのですって」
「そう……久々だからお会いしたかったわ」
二人はそれからしばらく雑談に興じ、数時間の後にリーナスは王都へ帰っていった。エレナは貰った本を手に、ウキウキの気分で部屋に戻っていく。
「夕飯になったら読んで頂戴ジェシー。私はそれまで本を読みますから」
「はい! ぜひお楽しみください!」
ジェシーはそばかすの散らばる顔に笑みを浮かべて、エレナの部屋の扉を閉めた。
本の内容はエレナの好きな男性同士の恋愛ではなく、その逆──とある敵対する二人の貴族の婚約者である女性二人が恋をするというもの……女性同士の恋愛模様だった。
「…………」
やはり、文章が、情景描写が、雰囲気が美しい。きっとこれを書いているのも、男女どちらかはわからないが美しい人なのだろう。一体どんな人が描いているのか想像もつかないが、会ってみたい。小説をかけるということは、それなりの教養を持つ人に違いないのだから、騎士団に親しい家の令嬢たる自分が会えないような人ではないはずだ。
「素敵……」
ポツリと声が出る。そして、ふと思い立った。
ルゼルトにこれを渡してみたらどうだろうか。彼は男性同士の恋愛に偏見や差別的な視線を持ってはいないしその点でエレナを否定することもないが、それまでと言ってしまえばそれまで。ルゼルトが、そこに興味を持つこともなく、彼はいつも微笑んでエレナの話を聞いているだけ。
女性が男性同士の恋愛を好むのに対し、男性は女性同士の恋愛を好むことも多いと聞く。趣味がないルゼルトも、これは好きになってくれるのではないか……そうすれば、好きな作者という共通点ができる。そうなれば、エレナにとってはとても嬉しいことだ。
「失礼しますお嬢様。お食事の準備が整いました」
「わかったわ」
呼びに来たジェシーとともに食堂へ行く。今ここにいるクタヴェートの人間は自分だけ、テーブルに一人では寂しいためエレナはいつも次女たちとともに食事を摂る。
行儀は悪いが折角みんなで食べるのだから雑談しながら。みんなに本は面白いかと聞かれ、エレナは笑顔で肯定した。ルゼルトに渡すのはとりあえず内緒の夜が更けていく。次に彼に会うのは一ヶ月後。エレナは胸を弾ませた。
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