Ⅱ
翌日、エレナが帰る時間になり、ルゼルトが馬車まで見送り別れの挨拶をしようとした時、赤い髪に青い瞳の男が顔を見せた。エレナがぱっと笑うのと対象的に、ルゼルトの瞳からハイライトが消える。
「カルブ様!」
「おはようございます、ルゼルト様、エレナお嬢様」
カルブ・スターレイター──騎士団長家の長男であり、次期騎士団長である。ルゼルトは一つ咳払いをして彼に近寄った。
「おや、お風邪ですか? 中でお休みなったほうがよろしいのでは?」
「いいえ? ただまさか次期騎士団長殿がここまで来るとは思っていなかったので緊張してしまいまして。シエラヴェールに御用でも?」
「シエラヴェールには特には何も。しかし普段スレイド殿に世話になっていますから、エレナお嬢様がお帰りになる前に挨拶に伺った次第で」
……二人とも口元がにこやかだが、目が笑っていない。この二人が仲が悪い……というのもあるが、騎士団長家を代々務めるスターレイター家と大賢者たるシエラヴェール家は元々仲が悪いのだ。
騎士団長家はその役職を誇りに思っているが、シエラヴェールをはじめとする王に近い立場の貴族は、猪突猛進な騎士たちを戦う以外出来ない能無しだと嘲笑い王家の犬と呼んでいる。元々騎士団長家は貴族ではなく平民がそう取り立てられた身で、その時点で他の貴族からの受けは悪かった。
シエラヴェールは生粋の貴族であり、国家創立時から王の相談役をしている。本来騎士団長家が彼らに牙を向ける理由も立場もまるでないのだが、如何せん自分たちと繋がりの深いクタヴェートの娘が自分たちを蔑むシエラヴェールに嫁ぐというのだから、気に入らないのは当然の話だ。
ルゼルトとしては、自分に対しては流暢に「男の愛人を娶らないのか」とかそういう話をするエレナが、このカルブの前では恋する乙女さながらにしどろもどろになるのが気に入らない。政略結婚なのはわかっているし、優秀な子さえ作れれば何の問題もない。その後は彼女がどうしようと構わないが、現状自分の女になる予定のエレナが他の男に靡くのはつまらない話ではあった。
「わざわざ挨拶に来てくださるなんて……」
「いえ、当然のこと。サピュルスにも来るように言ったのですが……全くあいつは訓練や仕事以外は部屋にこもってばかりで」
やれやれと呆れたような顔で腕を組むカルブに、エレナはくすくすと小さく笑った。
「……エレナ。あまりここで長話すると御者たちを待たせてしまいますよ」
「あ、そうですわね。では、これにて失礼します、旦那様。カルブ様、団長とサピュルス様によろしくお伝えください」
「はい、勿論」
話が済んだと判断した御者が近寄ってきて、彼女の手を取り馬車へと乗せる。馬車が去っていくのを二人で見送ったあと、二人は横目で互いを見た。
「狙ってきましたね貴方。全くいい趣味をしてます」
「おや、なんの話で?」
「しらばっくれるのもいい加減になさいよ。あんた、別にエレナが欲しいわけでもないのに暇なんですか?」
「生憎、ここのところは大変平和で、暇しているのは確かです」
「ちっ、内部分裂でも起こればいいのに」
「その場合連動的に大賢者様も忙しくなるのでは?」
にこにことカルブは笑顔を崩さない。それが余計に神経を逆撫でされる気分だった。しかし、挑発に乗ってしまえば大賢者家シエラヴェールの恥である。彼は耐えるように溜息を吐き出した。
「早く帰ってくださいよ、暇とはいえ訓練はあるんでしょ」
「えぇ、そう致しますとも。嫁に叱られると不味いので」
カルブはそう言って頭を下げたあと踵を返して去っていった。ようやく苦手なやつがいなくなった、とルゼルトは脱力感に襲われた。
「やっぱりお似合いだと思わないかしらジェシー!」
馬車の中では、エレナがキャッキャと騒いでいた。専属メイドのジェシーは食い気味の笑顔で話を聞いていてる。彼女もそういった趣味がある女性である。むしろその趣味だからエレナに取り立てられたと言っても過言ではない。
「旦那様とカルブ様に直接言ったら流石に怒られるでしょうけど……あの二人はとってもお似合いなのよ!」
「えぇ、家のこともあり見かけには仲が最悪なお二人ですが……! きっと心を開けば最高のお二人かと……! というか人前では仲が悪いのが良い、そうですねお嬢様!」
「わかっているじゃない! その通りよ!」
二人きりでないと出せない薔薇の咲き誇るかのような空気。男性同士の恋愛は、普段と二人の空間でギャップがあるからこそ輝くのだ。きっと私の目がないところでいちゃいちゃしているに違いない(自覚済み強めの幻覚)と彼女は顔を恍惚とさせていた。ちなみに彼女的には年上受けが好みであるため、ルゼルトより2歳年上のカルブは御愁傷様である。嫌いな相手に取られた良い血統にそんな妄想をされているとは夢にも思うまい。ちなみにジェシーはどちらも行ける口だ。
……ルゼルトは一つ勘違いをしていた。エレナはカルブの前になるとしどろもどろしているのではない。たしかにカルブは、ルゼルトよりはエレナ好みの顔をしているが、彼女はこの二人が揃っているからそうなっているのだ。ルゼルトは当然二人きりでいるカルブとエレナを知らないために勘違いしている状態で、何ならエレナはカルブとその弟のサピュルスが揃っていてもソワソワしている。あまりサピュルスに会ったことはないのだが。とにかく、カルブだけに会ってもしどろもどろではない。
「それにしても、お嬢様の婚約者がいい人で本当に良かったと思います」
ひとしきり妄想を話したあと、ジェシーは安堵したような顔をして笑った。何度も見た顔だ。
ジェシーがルゼルトに初めて会ったのは去年のことだった。その頃のジェシーはエレナに仕え始めて2ヶ月が経ったくらいで、エレナの信頼も厚かったし、既に仲が良かった。そんなジェシーが心配しているのは、世間的に認知されているとはいえ、男性よりは女性の愛好者が多い同性恋愛が好きな女性を婚約者が受け入れてくれているのか、ということだった。
ジェシーが仕える前からエレナは今の趣味だったが、その頃はまだルゼルトに趣味をカミングアウトしていなかった。そこで、ジェシーが同席する場でお茶の時間に彼に伝えてみたのだ。すると──。
『なんだ、難しい顔するからどんな話だろうと思ったらそんなことでしたか。全然構いませんよ、私にはこれといった趣味もないので、あなたの好きな話を聞かせてください』
──という、百点満点の答えが返ってきたのだ。以来、エレナは彼の前で堂々と本を読むようになったし、ジェシーのルゼルトへの信頼はカウントストップした。
女性の意見も前よりは取り入れられるようになったとはいえ、まだまだ男尊女卑、女性の政治参加には消極的な国だ。男性が……ルゼルトがその趣味を拒否すれば、エレナは今頃窮屈な生活を強いられているだろう。それがないのは従者としてとても嬉しい。エレナの喜びはジェシーの喜びだ。
「……ねぇジェシー、私が結婚しても、貴女は私の専属メイドとしてついてきてくれる?」
「勿論です、お嬢様がそれをお望みで、それをシエラヴェール家が許してくださるのならば」
「……! よかった! 私達はずっと主従で、友達よ!」
「はい!」
こうして二人はまた仲良く妄想の世界に耽るのだ。誰かの尻を犠牲に。
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