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馬鹿みたいな偶然が、目の前で起こっている。


いや、目の前どころか、自分自身に起こっている現実だった。


現実を直視できない僕は、目を瞑った。


目の前が真っ暗になった。


ああ。


神様。


楽に死のうだなんて、やはり虫のいい話だったんだ。


自分の死を自分で好きにしようだなんて、虫のいい話だったんだ。




長い沈黙があった。


周りの音が聞こえない、と思った。


たぶん無意識に耳がシャットアウトしていたのだろう。


音がないことに気づくと、その瞬間、周りの喧騒が耳に入ってきた。


目の前にへたり込んでいる彼女も、茫然自失といった感じだ。


とにかく、なにかしらの声をかけてあげるべきだろう。


僕の方がきっと少し大人なんだろうから。


勇気を出して、声を震わせずに。


僕は沈黙を破った。




「あのさ、僕、今からファミレスで仕事をしようと思ってたんだけど、君はこれから……」


「あ、えっと、私は今から予備校です」


「予備校なんだ」


「は、はい、もう、行く気なんてなくなっちゃいましたけど」


「僕も、もう仕事モードにはなれそうもない」


「ですよね……」


そして驚いたことに、彼女はふふっと笑った。


おかしなことでも起きたかのように。


笑いを堪えきれない、といったように。




「あ、不謹慎でしたね、すみません」


彼女は口元に手を当てて謝る。


「いや、よく笑えるな、と思って、ちょっと感心した」


それは本心だった。


「や、私も、ちょっと絶望しかけてたんですけど、なんか笑えてきちゃって」


「タフだな」


「だってどうせ死ぬことも考えて、最悪だと思って、鬱々と日々を過ごしていたのに、もっと下があったんですもん」


「まあ、確かに」


「『最悪』なんて言葉、軽々しく使っちゃだめですね」


そしてまた、彼女はあはは、と笑った。


そこに死を望む絶望の色は見当たらなかった。




近くの小さな喫茶店に入り、向いあって座る。


アンティークの大きな時計がお洒落な、常連の多そうな店だ。


ギシギシと不吉に鳴る椅子に座る彼女を、あらためて見つめる。


予備校と言っていたから18,19くらいだろうか。


そんな歳で安眠スイッチを買って、どんな心境でいるのだろう。


大学に受かってやりたいことでもあるのか。


それとも何年も浪人していて憂鬱になっているのか。


なんにせよ僕よりもずっと若い。


未来をつぶす決断をするには早すぎる。


「あの」


不意に彼女が声を発した。




「注文、決まりました?」


「は?」


「あ、だから、注文。喫茶店に二人で入って水だけでっていうのはさすがに……」


注文。注文か。確かにそうだ。


「ホット」


「わかりました。あの、すみませーん」


そう言って彼女は店員を呼んだ。


先ほどのへたりこんでいた姿はもうない。


空元気にも見えない。


不思議だ。


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