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信号が変わる。
僕たちはとにかく、荷物を拾い上げ、自転車を押し、近かった方の歩道に戻った。
そこでため息をつき、再び手の中のスイッチを見つめる。
「どうしよう……」
どれだけ見比べても、普段持っているのがどちらなのか見当がつかなかった。
「どうしましょう……」
彼女の方も泣きそうな顔をしている。
「こ、この片方は確実に僕のだと思うんだ」
「ええ、もう片方が私のだと思います」
「いつも持っているのと、同じ形?」
「ええ、でも、どちらも同じ……ですね……」
「……そうだね……」
まったく同じ型だ。
型番などがどこかに書いてあるだろうが、そんなもの、どうせ覚えちゃいない。
本当に絶望しそうだった。
他人に自分のスイッチを持たれているなんて、どれだけの恐怖だろうか。
そして、それはこの子も同じはずだ。
「あ! だ、大丈夫ですよ!」
突然彼女が明るい顔で言った。
「暗証番号! それを入れればどちらが自分のか、わかるはずです!」
そうか。
パニックになってそれをすっかり失念していた。
「ははは、そっか、そういえばそうだったね」
「はい! 一つ、貸してください!」
そう言って、彼女は一つのスイッチを手に取り、操作し始めた。
僕も残された方を開いてみる。
久しぶりに中を見るけれど、暗証番号は忘れていなかった。
「あ! 開きましたよ! ほら!」
彼女はそう言って、画面を僕に見せてくる。
【本当に、安眠を望みますか?】
【はい/いいえ】
その文字の怖さは慣れないけれど、この時は僕を安心させる効果があった。
僕の方も、暗証番号をするっと受け入れ、同じ画面が現れた。
「僕の方も大丈夫だった、ほら」
笑顔でそれを彼女に見せる。
心底ホッとしたような、眩しい表情。
こんな表情を見せる人が、「安眠スイッチ」を持つのか、と思うと少し憂鬱になった。
しかし、僕はなぜか、少し引っ掛かりを感じた。
本当にこのスイッチは僕の物だろうか?
ランダムに混ぜたスイッチから僕の物を一回で選ぶ確率は50%だ。
つまり、50%の確率でこのスイッチは彼女の物だ。
本当に、これは、僕のスイッチか?
信じていいのか?
そんな声が、聞こえた気がした。
「あの、一応聞くけど、ちゃんと自分の暗証番号で開いたんだよね?」
「ええ、そうです、安心しました」
「あの、もし、仮にだけど、僕たちの暗証番号が偶然同じだったら……」
「え、そんなことあるわけないですよー」
彼女は笑った。
一瞬だけ。
一瞬だけ笑って、真顔になった。
「……そんなわけ……ない……はずですよね?」
「4桁の数字だから、10000分の1の確率で、同じ暗証番号を選ぶことがありうるよね」
「それだって……偶然ぶつかって、偶然二人ともスイッチを持ってて、それが落ちて、そのうえ暗証番号もだなんて……」
笑おうとするけど、口元が引きつっている。
僕も同じだろう。
「さ、先に言っておくよ、僕の番号は、誕生日なんだ」
「10月26日生まれでさ、そのまま、1026」
「い、一緒なんてこと、ないよね? そのスイッチが1026で開くなんて……」
慣れない早口でまくし立てる。
周りから見たら、変なカップルだと思われるだろう。
「安眠スイッチ」の暗証番号を街中で大声で叫ぶ男は異常だろう。
だが彼女がホッとして笑って「違いますよー」とか言ってくれるなら、どうでもよかった。
彼女は目を見開き、口をぽかんと開けていた。
その目は僕を捉えて離れなかった。
僕も彼女の顔から目が離せなかった。
早く、早く安心させてくれる言葉を発してくれ。
しかし、彼女は泣きそうな顔で予想もつかないことを言いだした。
「俳優の、首藤タカユキって知ってますか?」
「は?」
「えっと、首藤タカユキ、最近ドラマにも少し出てるんですけど……」
「い、いや、知らないけど」
「その人と誕生日一緒なんですね」
「へ?」
「私、その人の大ファンで、劇団のときから追っかけてて……」
「?」
「大好きで、大ファンで、へへ、あはは、どうしよ……」
へたり、と膝をつく。
肩で大きく息をしている。
「だから私、その人の誕生日、暗証番号にしちゃったんです……」
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