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後に「安眠少年」の手術のための親の同意書は、親の書いたものではなかったらしいことが分かった。


やはり本人による偽造だったのだろう。


しかしこのことは、「偽造でも未成年が安眠スイッチを持てる」ことを証明してしまった。


言い換えれば「金さえあれば誰でも持てる」ということだ。


安眠スイッチの存在が公になり、人々の生活が徐々に変わり始めた。


金融会社と銀行の審査が、前よりも厳しくなった。


借りた金で安眠されては困るからだろう。




それから、政府が安眠スイッチに高い税金をかける法案を異例のスピードで通した。


建前は自殺率を下げる名目だった。


しかし背景には、どうせ死ぬなら国の為に少しでも貢献せよとのメッセージが見え隠れしていた。




安眠スイッチ手術を始める医者が増えた。


宣伝などしなくても、勝手に客は増える。


中には腕が心配な医院もあったようだが、どの医院も予約で溢れかえった。




「高校生になったら、安眠スイッチ買ってもらうんだ♪」


そんな会話が聞かれることもあった。


「10年病気をしなければ、安眠スイッチをプレゼントさせてもらうプランもご用意しています」


そんな保険プランを始める保険会社も増えた。


「そんな軟弱なもん持てっかい!!」


極道の世界では軟弱者扱いされた。


しかし、いつ死ぬかわからない世界、いつ苦しんで死ぬかわからない世界だ。


こっそり小さな医院で格安でスイッチを手に入れる者もいたらしい。




死刑制度に組み込もうとする動きもあったようだ。


海外にその技術が高く評価されつつも、その技術の及ぼす社会的混乱を危惧する声が上がっていた。


闇に葬られた「黒い取引」もあったようだ。


不治の病に侵された大物俳優がお忍びで手術を受けたとも言われた。




いわゆる保険のようなものだ。


誰しも苦しんで死にたくはない。


もしそうなったとき、痛みを、苦痛を、和らげてくれるという安心が欲しいのだ。


手術をしてすぐに死ぬものは、ごくわずかだったそうだ。


「これで、いつでも安心して死ねる」


そう思えば、割と前向きに生きられるものだ。




「生まれてくるのは不自由、死ぬのは自由」


そんなキャッチコピーも生まれた。


批判を浴びてすぐに廃れたが、それを納得して受け入れた層も多かったと聞く。


「生きるのに苦労しているんだから、死ぬときくらい楽に逝きたい」


中高年や、老人にも、このスイッチは普及していった。


もはや「○○にもスイッチが普及している事態に」と言えないほど、多くの層がスイッチを購入していた。




「手術をしてしまったんですが、戻したいんです」


そう訴えた少女がいた。


勢いに任せて手術をしたはいいが、死ぬのが怖くなったそうだ。


そういう人は、少なくなかった。


散々迷った挙句に手術をしたとしても、いざ死ぬとなると怖くなってしまう。


人間とはそういうものだ。


それは若いころの無茶な生活や、軽率に入れてしまったタトゥーにも似ている。


もう、戻すことはできない。




ある日、都内のビルから飛び降りて死んだ中年の男がいた。


明らかに飛び降り自殺であり、その死体は無残に砕け、血に塗れていた。



「安眠スイッチが買えなかったんだな、可哀想に」


「スーツも薄汚れている、借金苦かな」


「しかし何もこんな大通りで死なないでも……」



警察が来るまでの短い時間、野次馬が遠巻きにその死体を眺めて好き勝手に話していた。


その時、ある者が言った。



「あの腕……スイッチ持ってないか?」




離れてしまったその腕は、携帯電話のようなものを持っていた。


それは、うわさに聞く「安眠スイッチ」ではないか。


野次馬が色めきだった。


しかしいくら興味があるといっても、死体に駆け寄って近くで見ようとする者はいなかった。


ただその代わりに、携帯やカメラを向ける者は驚くほど多かった。




次の日のニュースで、驚くべきその内容が明かされた。


その男は「格安」で、正規の医者ではない者から「違法手術」で「安眠スイッチ」を買っていた。


仕事のミス、ギャンブル、借金、会社の金の使い込み、その結果死を選ぼうとした男。


男は確実に死ねるよう、ビルの屋上でスイッチを押したのだ。


そして。


男は地面に激突するその前に、大量に出血していたそうだ。


ビルの屋上に血だまりがあった。


内臓からも出血をしていた。


つまり、男のこの死は、「安眠」などではなかったということだ。




「安い手術で得たスイッチでは、苦しんで死ぬ可能性がある」


その事実に、多くの人が震えた。


すでに持ってしまった「安眠スイッチ」


それを押せば、もしかしたら大量出血をし、苦しみの果てに絶命することになるかもしれない。


これをもし誰かに奪われたら。


どんな拷問よりも精神的につらい気分を味わうだろう。


スイッチをずっと大事に抱え、怯えながら暮らす生活を送る羽目になる。




高い金を出して手術をした人も、安心してはいられなかった。


「本当に安眠できるのだろうか」


それを思うと、安心してスイッチを押すことなどできなくなった。


「安眠スイッチ」による自殺者が、急激に減った。


手術自体、前は予約でいっぱいだったのに、今では気軽に申し込める状態だそうだ。


妙な割引をする医院も増えた。


それが逆に、不安感を募らせることになった。


そして……


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