第238話 最高の気分だ

 ジャックは笑いながら殴り続けてくる。


 精神体だからなのか痛みは全く感じないが、存在が希薄になってきている。


 ダメージを受け続ければ、白い部屋から俺は消えてしまい、肉体には戻れないだろうという実感があった。


「ほらほら! 抵抗してみろよッ!」


 精神体は動かせない。


 意志の力ではどうにもならないようだ。


 殴り飽きたのか、今度は蹴られ、踏みつけられる。


 体力なんてものは存在しないようで、息切れすることなくジャックは何十分も攻撃を続けていた。


「あと数回殴れば消えそうだな。今の気分はどうだ?」


 別に死ぬのは怖くない。


 だが、絶対に後悔は残る。 


 俺を嬲り、空虚な優越感を覚えているジャックが、ゲームのシナリオ通り成り上がれるとは思えん。


 本来のジャックが体を動かすようになれば、俺を慕ってくれた人たちを悲しませるだけでなく、ほぼ間違いなく領地を巻き込んで破滅する。


「なんか言えよッ!」


 黙っていたら腹をけられてしまった。


 また存在が薄くなる。


 お望み通りお前の質問に答えてやるよ。


「お前のものは、すべて俺のものだ」


 ジャックの眉が吊り上がった。


 死にかけてなお、喧嘩を売られるとは思ってみなかったんだろう。


 年寄りのように指を震わせながら、なんとか中指だけを立てることに成功した。


「さっさと死ねよ」


 決定的な言葉を放つと、ジャックは俺の顔を殴りつけた。


 ちょっと調子に乗りすぎたかな。


 このまま消えてしまうかもと覚悟を決めていたのだが、ジャックの手が急に止まった。


「助けてと泣いてわめくようであれば、このまま消していたが……」


 どうやらクソなアイデアを思い浮かんだらしい。


 憎たらしい顔をしている。


「お前が作ったすべてを破壊してやる。ここで見ているんだな」


 ジャックの姿が少しづつ消えて消えていった。


 白い部屋に映像が浮かび上がる。


 最初は天井が見えていたが、セラビミアが顔を覗き込んできた。


『生きていたみたいだね。調子はどう?』


 嬉しそうに聞いてきた。


『最高の気分だ』


 体の主導権は完全に奪われてしまったようで、俺ではなくジャックが返事をした。


 ゲーム通りの性格であれば、この後は女遊びをして、破滅するまで遊び惚けるだろう。


 不正していたやつらを断罪し、領地を回復させ、周囲の信頼を集めた努力は全て無駄となるわけだ。


「許せるはずないだろッ!!」


 俺はまだ終わってはいない。


 精神体が残っている限り、何度でも抗ってやる。


 腕をついて立ち上がろうとする。


 力が入らず失敗して倒れてしまった。


 この程度では諦めない。


 何度も、何度も、繰り返す。


 諦めなんて言葉はない。


 セラビミアが作ったクソゲーを忍耐強く遊んでいた俺にとって、この程度は普通である。


 赤子のように立ち上がろうとしては転倒する。


 数十回目でようやく、立ち上がれた。


「どうだ。根性の勝利だ」


 揺る得る指を動かして中指を立てると、セラビミアの眉間にしわがよった。


 別にお前に向かってケンカを売ったわけじゃ……。


『君、誰? 私の知っているジラール男爵じゃないね』


 これは驚いた。


 まさかたった一言で、中身が変わっていることに気づいたようである。


 俺が思っている以上に中身を見ていたようだ。


 嬉しくはないが。


『何を言ってるんだ? 俺はお前が愛するジャック・ジラールだぞ』


『ふーん。それで?』


『それでってなんだよ! 態度が違うじゃないか』


『人形のクセにうるさいな』


『なんだよ! その言い方は!』


 ゲームプレイヤーが操作しないジャックは、俺が出会った人の中でもトップクラスで愚かなようだ。


 肉食獣の様に鋭い目つきをしたセラビミアに掴みかかったのだから。


『こうなったら、無理やりヤってやるッ!』


 紐なしバンジージャンプをするつもりか?


 手を出したら最後、必ず死ぬぞ。


『君にできるはずがない』


『魔力を封印されているクセに生意気だ!』


 ジャックはセラビミアを床に押し倒した。


 ヴァンパイア・ソードで装備を壊そうとしているが、刀身が長いこともあって密着した状態では上手くいかない。


『クソッ! クソッ!』


 反撃するタイミングなんか、何度もあるのにセラビミアはじっと見たままだ。


 その視線は、俺に向いているように感じた。


「戻ってくるのを待っているのか」


 お前の一途な想いについては認めてやろう。


 理想を追い求める姿はすばらしい。


 できれは、俺以外に向いて欲しかったが。


『下手くそ』


 男が最も女に言われたくない言葉だ。


 しかも見下すような顔をされているのだから、プライドの高そうなジャックは、かなりのダメージを受けたはずだろう。


『テメェ!』


 ヴァンパイア・ソードの柄を握ったまま、ジャックはセラビミアの顔を殴りつけた。


 一回では怒りは収まらないようで、二度、三度、と続ける。


 口内が切れたようで、セラビミアの口から血が流れ落ちた。


『どうだ! 俺の方が強いんだ! 大人しく従え!』


 セラビミアは、ペッと血の混じったつばをジャックの顔に当てた。


 なんだか急に、戻りたくなくなったぞ……。


『私のジラール男爵を返しなさい』


『俺がジラール男爵だッ!!』


 体を取り戻しても認められないとは。


 あまりにも愚かな行動を繰り返していることもあって、哀れだなと同情するような気持ちが湧き上がっていた。

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