第170話 ほどほどがいいんですね……

「悪い、悪い、力の加減を間違っちまった」


 大笑いしながら、ナッティが話を続ける。


 まだ背中はヒリヒリ痛むが、この場で文句を言うつもりはない。


「ミスリルは魔力による強化、特別な能力を付与しやすいから便利だけど、それだけだ。交渉次第では鉱山ごともらえるかもしれないから、頑張れよ」


「もちろんだ」


 と、返事しながら重要なことに気づいてしまった。


 アラクネにとってミスリル、あとはアダマンタイトも身近な鉱石であって、貴重品だとは思っていないのだ。


 鉄と同等ぐらいの価値しか感じていないようである。


 これは、アラクネが物の価値が分からない愚か者というわけではなく、長年交易する相手がいなかったから起こってしまった現象だろう。


 交易が進み、レーアトルテが俺たちの常識を学んだとき、本当の価値を理解するはずだ。


 その時に俺がアラクネの鉱山を奪い取っていたら、どう思うだろう?


 間違いなく俺のことを恨むな。


 取引は中止されるだろうし、鉱山を奪い返そうとしてくるはず。


 両者で戦闘が起これば禍根が残る。


 しかもアラクネの寿命は人間や獣人より長いので、子や孫の代になっても和解は難しいだろう。


 安定して領地を発展、運用していくのであれば、富を独占するのは悪手。


 お友達になれそうなヤツらとは仲良く利益を分配するべき。


 俺は世界の覇者を目指しているわけではなく、男爵として贅沢な暮らしができれば良いのだから、鉱山を独占して手に入る利益は多すぎるのだ。


「人生を楽しむなら、自らを知り、満足を知ることが重要だからな」


「旦那様、どういうことですか?」


 誰にも聞こえずに呟いたつもりだったんだが、ユリアンヌに質問されてしまった。


 無視するようなことではないので、答えることにする。


「人間の欲望は際限がない。一つを手に入れたら、二つ、三つと欲しがってしまう。だから身分相応の満足を知ろうって話だ」


「何事も、ほどほどがいいんですね……」


 思い当たる節があるのか、手を顎に当てて呟いていた。


 デュラーク男爵のことでも思い出しているのかもしれん。


「俺の妻になりたいのであれば、忘れるなよ」


 浪費家の嫁になったら破滅まっしぐらなので、こうやって釘を刺しておくことも重要だろう。


 会話を切り上げてナッティを見る。


「ったく、目の前でイチャつきやがって」


 やりとりを静かに見守っていたナッティが、うんざりとした声で言った。


 俺とユリアンヌの会話は見てられなかったようで、作りかけだったナイフを研ぎ始めた。


 一度、鍛冶師の作業を見たことあるが、ナッティの技術力は、劣るどころか勝っているようにも見える。


 知りたい情報は得られた。


 仕事の邪魔をしてはいけないと思い、無言で家を出て行く。


 周囲は薄暗くなっていた。


 これ以上の探索は危険だと判断して、トリシュの家に戻る。


 天幕は張り終わっていて、兵たちは晩ご飯を食べている最中だ。


 周囲を警戒していたアデーレが気がつくと、俺を見る。


「ジャック様っ!」


 笑顔で走ってくると胸に飛び込んできた。


 しっかりと受け止めると、すんすんと鼻を動かして匂いを嗅いできたので、素直に受け入れてやる。


 お留守番をさせていたのでご褒美を上げたのだ。


 こういうとき、ユリアンヌは対抗してくるはずなのだが、じーっと見るだけで何もしない。


 少し不気味だなと感じつつもアデーレの頭を撫でる。


「ジャック様、御飯ができてるので一緒に食べましょう」


「そうしよう。ユリアンヌもどうだ?」


「ご一緒します」


 大鍋からお椀にスープを入れて、兵の集団から少し離れた場所で腰を下ろす。


 周囲には誰もいない。


 グイントが数人の兵を連れて巡回しているので、アラクネが潜んで様子を見ているということはないだろう。


 俺の考えを伝えるには、うってつけの場である。


「アデーレとユリアンヌにだけ、話しておきたいことがある」


 これから本格的に未知の種族と取引を始めるため、考えに齟齬があってはいけない。


 敵対せずに友好的な関係を築くためにも出だしが重要なので、俺がどれほどアラクネに気を使っているのか、それを二人に理解してもらい、兵たちに伝搬させなければならないのだ。


 こちらが上だと思い込んで、高圧的な姿勢を見せないように注意しなければならん。


「アラクネはジラール領にとって非常に重要な取引相手であり、友好的に接しなければならない相手だ。族長は俺と対等な関係だと考えてくれ」


「ここはジラール領の一部なのに、ですか?」


 ユリアンヌの疑問も最もだろう。


 最近、ヒルデがやっていた教育の成果が出たのか、貴族的な考えになっている。


 俺の領地にいるんだから、好き勝手しても問題はないという理屈はわかる。


 しかし、何事も例外はあるのだ。


 今回発見したアラクネは、俺たちの常識が通用しない相手であり、なおかつ強力な戦力を持っている。


 鍛冶屋での一件で、改めて今の俺が支配できる相手ではないと実感していた。


「その通りだ。詳しくは後日話すが、今は他の男爵家の領地に来ているとでも思ってくれ」


「分かりました」


 予想していたとおりユリアンヌは、素直に納得した。


 貴族の常識、プライドより俺の意見を尊重する。


 わりと暴走することも多いが、その点だけは評価できる女だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る