第60話 この条件だけは譲れません

「なるほど。自慢の娘だというのはわかった」


 相手の意図が読めないので傷には触れず、曖昧に答えると会話を打ち切った。


 少し様子を見るか。


「二人とも座ってくれ」


 俺たちは向かい合うようにソファーに座ると、ルミエが新しい紅茶を淹れてくれた。


 一口飲んでから会話を再開する。


「遠方から来ていただき感謝している。二人に会えてうれしく思う」


 ヨンはニコニコと笑っていているだけで表情は読めない。


 ユリアンヌはじーっと俺のことを見ているだけだ。


 やりにくいな。


「来訪の目的は、婚約の話についてで相違ないな?」


 目的は手紙に書いてあったので既に知っているが、本人の口から聞きたかったのであえて質問した。


「その通りでございます。私の一人娘、ユリアンヌと婚約していただけないか、ご相談にまいりました」


「本当に私との婚約を望んでいるのか?」


 ヨンの許可が取れなければ俺に似顔絵を送ることはできないので、目の前にいる男が婚約を望んでいるのは明白だ。


 この言葉はユリアンヌに向けたものである。


 表情は……読めんな。


 絶対に嫌だというわけではないが、喜んでいるようにも見えない。


 普通の政略結婚にありそうな反応だと思えた。


「もちろんでございます。18歳にもなって婚約者すらいない娘です。ジラール男爵に選んでいただけるのでしたら、これ以上の喜びはございません」


 俺の方が爵位は上だし、ユリアンヌは18歳になっていて行き遅れているので、下手に出るのはわかる。


 だが、少々やり過ぎな気もした。


 先ほど、体の傷は名誉と言っていたので、見た目について引け目を感じているということもないはず。


「ヨン卿の言いたいことはわかった。ユリアンヌ嬢はどうだ?」


 オヤジの方に聞いても本音は言わないように感じたので、娘の方に話題を振ってみた。


 黙ったままで反応はすぐに返ってこない。


 しばらく待っていると、ヨンの方がしびれを切らしたようだ。


「ユリアンヌ」


 俺と話しているときとは違って、威厳のある声だ。


 騎士らしく力強い。


 そこまでされてようやく、ユリアンヌの口が動いた。


「私は……」


 何を言うつもりだ。


 少し緊張しながら言葉を待つ。


「やりたいことを認めない男性とは、死んでも結婚したくはありません」


 日本人の感覚が残っている俺からすれば、ユリアンヌの言いたいことはわかる。


 だがここは『悪徳貴族の生存戦略』をベースに作られたと思われる世界であり、男女平等とは異なる価値観が常識となっている。


 父親であるヨンの意向を無視するなんて、当然、許されるわけがない。


「お前は! まだ、そんなことを言っているのかッ!!」


 顔を真っ赤にして怒ったヨンは、立ち上がるとユリアンヌを叱った。


「18になったら諦めると、約束しただろッ!」


「お父様、いくつになろうが、この条件だけは譲れません」


「お前ッ!!」


 俺やルミエたちがいる場で、娘が父に反抗した。


 これは侮辱されたと感じても不思議ではない。


 ヨンが拳を振り上げて、この場で教育的指導をしようと動き出していた。


「この場で暴力を振るうので? ジラール男爵が見ておりますよ」


「くッ……!」


 婚約者になるかもしれない相手の目の前で、娘を傷つけるわけにはいかない。


 ただでさえ体に大きな傷があるんだしな。


 納得はしてないようだが、ヨンは拳を下げた。


 揺さぶったおかげで二人の関係が見えてきたので、さらに深く突っ込んでみるか。


「ユリアンヌ嬢、君がやりたいこととは何だ?」


「戦士、そして将来的には騎士として、戦うことです」


 ヨンは手を顔の上に置いて、天井を見た。


 こいつ、ついに言っちまった。


 そんな反応だろう。


 貴族に嫁がせようとしている女性が、騎士のまねごとをしたいと。


 そりゃぁ、体の傷以上の大きな問題だ。


 家に入って内側から旦那を支え、子供を産むのが仕事だというのに、正反対のことをしたいと言ってるんだからな。


 見合いを何度しても断られたはずだ。


「言いたいことは分かった。一つ質問をさせてくれ」


「何でしょうか?」


「事前に送られてきた似顔絵に、体の傷はなかった。隠したいことなんだと思ったが、君たちは名誉だと言ったので疑問が残る。もし本当に名誉だと思っているのであれば、傷を描くべきだったのではないか?」


 婚約者になるかもしれない相手に嘘をついていたのだ。


 最悪は、顔を見た瞬間に出て行けと言われてもおかしくはない不義理をかましている。


 その点について、二人がどう思っているのか気になっていた。


「似顔絵については申し訳なく思っております。どうしても、母が隠せというのであのようなことになりました」


 ユリアンヌは一切の言い訳をせずに頭を下げた。


 少し遅れてヨンも同じようにする。


「この私に責任がございますので、どのような処分もお受けします」


 この発言はヨンだ。


 頭を下げたので表情は読めないが、妻の暴走を止められなかった責任を取る覚悟はあるらしい。


 俺と会ってまで傷を隠していたのであれば、信用できないと追い出していただろうが、似顔絵はなぁ……微妙なところである。


 特に貴族階級であれば、子供は親の命令に従うしかない。


 計画して実行したのは母親で、ユリアンヌは押し切られただけだろうし、被害者という見方もできる。


 俺の目の前で、名誉の傷だと自慢してたしな。


 父親とユリアンヌは、裏でコソコソと動くタイプではないように思えるし、こいつらには使い道がありそうだ。


 許してもいいか。


「事情は分かった。傷ぐらいで文句を言うつもりはない。顔を上げろ」

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