第59話 ヨン卿がいらっしゃいました

 俺が婚約者候補として選んだ相手は、ゲームには登場しない騎士家系の娘だ。


 今まで頼っていた知識は全く使えないので、ケヴィンたちが集めた追加情報を確認している。


 剣術が得意というのは聞いていたが、実戦経験も豊富なようで、十二歳の頃から魔物退治を何度もしているらしい。


 それだけでも男爵の婚約者としては問題あるのだが、さらに一年前、人肉を好んで食べる大型の人型魔物――オーガによって、首筋から胸にかけて斬り傷を作ったらしい。


 大きな傷、それもドレスを着たら見える場所にあるので、同性の令嬢には嫌われているようだし、男性からは異性として見ることはできないと言われているようだ。


 だから、婚約が決まらずに焦っているのだろう。


 俺が見た似顔絵に傷は描かれてなかったが、あれは首まで覆う服を着ていたからである。


 直接会えば判明するというのに隠したか。


 もし会ったときまで傷のことを言わないのであれば、それは裏切り行為に当たる。


 婚約は絶対に断ってやるし、デュラーク男爵にクレームの一本でも入れてやろう。


 向こうの立場は悪化するはずである。


◇ ◇ ◇


 今日は婚約者候補が来る日だ。


 アデーレと剣術の訓練をしていると、ルミエが中庭にやってきた。


「ヨン卿がいらっしゃいました」


 婚約者候補として選んだ騎士家の名前だ。


 確か正式名称は、ヨン・フロワだったはず。


 娘の名前は貴族でも何でもないので、ただのユリアンヌになる。


「客間に案内しておけ。俺は汗を流してから行く」


「……よろしいので?」


 爵位は俺の方が上だが、婚約者になるかもしれない相手だ。


 待たせてしまい、悪印象を与えてしまうと懸念しているのだろう。


「別に構わん。ヨン卿が怒るようであれば、それまでの相手だということだ」


 まだ何かを言いたそうだったルミエに木剣を投げ渡すと、屋敷に戻り風呂で汗を流す。


 井戸からくんだ水で汗を流し、石けんで汚れを落としていく。


 日本とは違って性能は落ちるが、体を清潔に保てるので毎日入るようにしている。


 脱衣所に置いてあるタオルで体を拭いて、服を着ていく。


 大物貴族なら侍女にやらせるのかもしれないが、ジラール家は貧乏なので自分でやることになっている。


 まぁ、金があっても裸という無防備な状態を他人には晒したくないので、一人でやるだろうな。


 スーツっぽい服に着替えて通路に出ると、ルミエが立っていた。


「ご案内いたします」


「任せた」


 返事の代わりに頭を下げてからルミエは歩き出した。


 後を追って客間の前に立つと、ドアをノックする。


「ジラール男爵が到着されました」


 ドアが開くと、中からメイド服に着替えたアデーレがいた。


 今は頼れる護衛として控えているので、スカートの中には大ぶりのナイフが仕込まれていることだろう。


 部屋の中に入ると、男女の二人がソファーから立ち上がった。


 男性の年齢は40前後に見える。


 こいつがヨン・フロワだな。


 騎士としては全盛期を過ぎているが、体は鍛えているようで、体格はしっかりしている。


 きっと数々の魔物を屠って、魔力貯蔵の臓器を鍛え上げてきたことだろう。


 短い銀髪で清潔感があり顔は整っているので、女性に困ったことはなさそうだ。


「お待たせした」


 ヨンの前に立つと、手を差し出されたので握手する。


「いえいえ、素敵な紅茶を堪能させていただきましたよ」


「我が領地が唯一誇れる紅茶の味は、どうでしたかね?」


「甘みがあって疲れた体に染み渡りました。疲労回復の効果があるのでは?」


「そんな特別な効果があれば特産物として売り出せますよ」


 同時に、お互いが笑い声を上げた。


 別に面白かったわけではなく、挨拶前の会話が終わったという合図ぐらいの意味しかない。


 手を離すとヨンが口を開く。


「私はデュラーク男爵に仕えている騎士、フロワと申します。娘を婚約者候補として選んでいいただき、感謝しております」


「ジャック・ジラールだ。こちらこそ、よろしく頼むよ」


 短い挨拶を終えると、ヨンは隣にいる赤いドレスを着た女性の方を向いた。


 俺も視線を移して、ようやく婚約者になるかもしれないユリアンヌの顔をしっかり見る。


 娘のユリアンヌはショートボブっぽい髪型で、父親と同じ銀髪をして……。


「!!」


 容姿を分析する途中で止まってしまった。


 右側の首筋から胸の谷間にかけて、縦長の斬り傷があったからだ。


 化粧で隠すと思い込んでいたので驚きである。


 声は出さなかったが、動揺したことは伝わってしまったかもしれない。


「娘のユリアンヌです。私に似て剣術が得意で、そこら辺の魔物には負けない腕前を持っております」


 貴族の嫁としては、欠点になることを自慢げに話している。


 家族仲は悪いと思っていたのだが、どうやら父親は戦える娘が誇らしいらしい。


 だったら、平民と結婚させればいいのにな。


「では、その傷は戦いの中で?」


 反応を確かめたかったので、少々不躾ではあるが直接聞いてみた。


「オーガを討伐した際に負った、名誉の傷でございます」


 傷を指摘したことに無礼だと怒ることはなく、恥ずかしがることもないか。


 俺が抱いていた印象と大きく違うな。


 隠すべき傷を誇るだなんて、貴族の常識に囚われていないようにも感じる。


 不覚にも少しだけ、人としての好感を持ってしまった。

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