第36話 お目覚めになられたんですね

 目が覚めるとベッドの上だった。


 内装を見る限り俺の寝室みたいで、周囲に誰もいない。


 執務室で膝枕をしてもらった後、ルミエに運んでもらったみたいだ。


 服も寝巻きに替わっているので、これも彼女がやったんだろう。


 まだ体は重く頭はボンヤリとしている。


 二度寝の誘惑に負けてしまいそうになるが、勇者というワードを思い浮かべながら強引に体を動かす。


 ベッドから降りると立ち上がって、窓から外を見ると真っ暗だった。


「夜か。寝過ぎてしまったな」


 俺が倒れる前は昼前だったので、かなりの時間を無駄にしてしまったことになる。


 レッサー・アースドラゴンの素材は売れたのだろうか。


 金がなければ勇者がジラール家を排除するきっかけを与えてしまうので、失敗は許されない。


 そんな重要な仕事を他人に任せてしまっているので、心がそわそわとして落ち着かないのだ。


 もう夜なので皆は寝ているだろうが、今から起こしてでも現状を確認しに行くか?


 部屋を出ようとしてベッドから降りて立ち上がる。


 ドアを見ると、ギィと小さい音を立てて開く。


 暗殺者が来たと思って身構えていると、水差しと陶器のコップが置かれた銀のトレーを持つルミエが入室した。


「お目覚めになられたんですね」


 夜中だというのに俺の様子を見に来たようだ。


 ――私たちにも頼ってください。寂しいじゃないですか。


 意識を失う前に聞いた言葉だ。


 正直に告白しよう。


 俺はこの世界で、好感度や忠誠心といった目に見えないパラメータ管理をしようと思っていたし、ケヴィンやアデーレ、そしてルミエをゲームキャラの延長線上のように見ていた。


 そうすれば裏切られても、設定通りに動いたんだから仕方がないと諦めがつくからな。


 だが、今は違う。


 相手も人間なんだと、当たり前の事実に気づいてしまった。


 それぞれが意思を持って動いているのだから、『悪徳貴族の生存戦略』のシナリオが狂いつつあるのも当然だな。


 勇者が存在しなかったとしても、そう遠くない未来にシナリオは大きく変わっていただろう。


「ゆっくり休んだから体調はいいぞ」


 実際はまだ不調なのだが正直に伝える必要はない。


 また休めと言われたら仕事が出来ないからな。


「素材の売却はどうなった?」


 水差しを持ったルミエがコップに水を注ぐ。


 質問に答えることはせずにトレーにコップを乗せると、俺の前に立った。


「先ずは水分を取ってください」


 喉が渇いていたのでありがたくコップを持つと、水を飲む。


 隅々まで水分が行き渡るような感覚があって体が喜んでいるようだ。


「おかわりはいりますか?」


「不要だ」


 コップをルミエが持つトレーに置くと、じっと目を見てさっきの質問に答えろと伝えた。


「ケヴィンと私が対応して、売却は完了しております」


「いくらだ?」


「金貨310枚。販売先はセシール商会にいたしましたが、問題ございますか?」


「いや、ない。よくやった」


 ジラール家から物を売る場合は、お抱えのセシール商会だと決まっているので、販売先や金額は問題ない。


 むしろ俺の予定より金貨10枚も上乗せされているので、上手く交渉したと褒めてもいいだろう。


 必要な金が手に入って、緊張が抜けてしまった。


 フラフラと歩いてベッドに腰を下ろす。


「後はベルモンド伯爵に分割返済すると伝える手紙、今月分の金貨を送れば、しばらくは安心出来る」


 立ったまま近くで控えているルミエを見た。


 何を考えているのかまったくわからない。


 無表情である。


「伯爵に手紙を書く。道具を持ってきてくれ」


「かしこまりました」


 ルミエが頭を下げてから部屋を出ていた代わりに、今度はアデーレが入ってきた。


 ここは当主の寝室で、気軽に来ていい場所ではないんだが……。


「ジャック様! 倒れたと聞いて心配したんです!!」


 と、言われてしまえば文句なんて口には出せない。


 俺の腹に顔を埋めて泣いているアデーレの頭を撫でることにした。


「ただの寝不足だ。心配するほどではない」


「心配します! 私はジャック様の護衛なんですからッ!」


 抱き着こうとして俺の体に腕を回してきた。


 もう離れたくないという強い意思を感じる。


 これもゲームのキャラクターではなく、人としての感情がアデーレを動かしているのだろう。


「わかってる。いつも頼りにしているぞ」


 アデーレがいなければレッサー・アースドラゴンに殺されていた。


 兵の訓練だってできなかったし、俺も剣術は素人のままだったはず。


 武力という面では頼りっぱなしなのは事実で、俺の言葉は本心から出たものである。


「任せて下さい! 絶対に守りますからッ!」


 褒められて嬉しかったようで、アデーレは顔をグリグリと動かして俺の腹を圧迫してきた。


 嫌な気分ではない。


 他人と一緒にいて落ち着くだなんて久々だ。


 妻に裏切られてから感じたことはなかったな。


 ルミエとアデーレのおかげかもしれない。


「俺も、ジラール領を必ず守る」


 楽して贅沢な暮らしがしたいという気持ちは変わっていないが、もう一つ領地を守る理由が出来たのだ。


 もし本当に勇者が領地を乗っ取ろうとしているのであれば、徹底的に戦ってやる。


 自分のため、そしてルミエやアデーレのためにもな。

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