Round2 ――略奪敢行――

第13話

「であるからして、問五の答えは9になるわけだな。みんな大丈夫か? この辺りは定期テストで絶対に出題するからなー。完璧にできるようにしておけよー」


 六限目、数学。

 黒板に書かれている文字には見覚えがあって、先生の話にも聞き覚えがある。こっそりスマホで日付を確認すると確かに昨日のものだった。


 ……ほんとにまた戻ってこれるなんて。


「さぁ、君の望みは叶えられた。あとは思うがまま、感情のままに行動するといい――」


 クピドの声が頭の中で響く。

 それは私の中に燻っていた怒りに確かに火をつける。


 復讐。


 もう、悠一を取り戻そうとか藍花に騙されないようにしようとか、そういうレベルの話ではない。

 あの女には、自らのやったことを確実に悔いてもらう。


「じゃー御影。この問題解いてみろ」

「はい」


 考え事に耽っていると、悠一が教師に当てられている声が聞こえてきた。悠一はどちらかといえば賢いほうだし、教科書に載っているような基本問題でつまづくような生徒ではない。

 案の定、あっさりと答えを記して、担当の先生から褒められていた。

 こういう時、あんなことがあってもしっかりかっこいいと思ってしまうのだから、私はきっと恋愛脳だと思う。


 ――でも結局、悠一はあの女とデキてるわけだしね……。


 録音されていたデータを思い出す限り、二人はそれなりに長い間交際していることになる。きっと最後まで進んでいるのだろう。熱い夜を幾度となく過ごしてきたに違いない。

 私も、その相手は悠一が良かった。でもその瞬間はきっともうありえない。


「それはどうかな」


 いつのまにか現れた少年天使は私の机の隅っこの方に腰掛け、足をぶらぶらとさせる。


「君はもっと自分から動いてみた方がいいんじゃないか? とりあえず、君のスマホに使えそうなラブホの情報を送っておいたから使いたまえ」

「はぁっ!?」

「おい。出海ーーどうしたー。俺の解説がなんか癇に障ったかー?」

「い、いや、そういうわけじゃなくて……、ちょっとありえないミスをしていたので……」

「そうかー。だったらもうちょっと声気をつけろー」

「は、はい。すいません」


 私はおとなしく着席する。恥ずかしさを感じる暇もなく、私はポケットからスマホを取り出して画面を見る。

 するといつの間にかメモアプリが起動していて、そこには書いた覚えのないURLが書き留められていた。その一つをコピペして検索してみると、やけに綺麗なデザインのホームページが出てくる。


「マジじゃん…………」


 私は小さく呟く。


「値段もリーズナブルで、ここからは少し離れるから知り合いに見つかる心配もない。年齢確認もあってないようなものだ。普通に堂々としていれば容易く入れる」


 クピドが得意げに言うが私には全く意味がわからなかった。


「え、私が悠一を誘うってこと?」

「そうとも。御影悠一だって一人の人間のオスだ。君が誘惑すれば案外ころっと落ちるさ。樋口藍花は確かに強敵かもしれないが、君だって十分魅力的なんだからね」

「なっ……」

「君はもう、手段を選んでいられないのではないのかな? 僕は言ったはずだ。綺麗なままで全てを掴めることはできないと」

「それはそうだけど……!」

「おい出海。さっきから何こそこそしゃべってんだー」

「す、すいません!」


 また注意されてしまった。私はクピドに鋭い視線を向けるが、クピドはどこ吹く風、何も気にしていないようだった。


「まぁやり方は君に任せるよ。せいぜい上手く使ってくれると嬉しい」


 そう言うと、クピドは一瞬の瞬きのうちに消え去った。

 私はポケットの中にあるスマホに触れる。


 ……悠一はどう思うだろうか。私からホテルに誘われたらついてきてくれるだろうか。


「きっと断るだろうな……」


 良いこと思いついた。悠一にはこれまで付き合ってきた仲もあるから、一度だけチャンスをあげても良いかもしれない。私が求める答えを示してくれたなら、私は悠一のことを許してあげられる気がする。

 私はその後を追って廊下に出る。でも廊下は生徒たちで混雑していて中々前に進めない。悠一は上手く身体を使ってスイスイと追い抜いていく。


「悠一!」


 呼びかけても全然絵気づいてくれない。私は必死に背中を追う。

 追って追って、やっと追いついたのは下駄箱の前。ちょうど悠一は靴を履き替えようとしていた。

 私は悠一の元まで駆け寄って、その手を取った。


「悠一。こっち来て」

「え、ちょっ……蓮乃っ?」


 私は無言で体育館の方に連れて行く。悠一はなんだかんだ私にされるがままでいた。

 体育館の近くには部活に向かう生徒たちがいて、私たちもその流れに乗る。だけど更衣室には入らず、そのまま動線を外れて、体育館の裏手の方へ向かった。


「どうしたんだよ。こんなところまで連れてきて」


 打って変わって人気はない。多くの生徒たちに見られたが、話は一瞬で終わるし、ここでは何もするつもりもないから大丈夫だ。


「蓮乃、僕は部活に行かなきゃ……」

「ねえ悠一。部活サボって私とホテル行こうよ」

「え……ちょ」

「大丈夫。年確されないラブホ探してあるんだ。制服のまま行くのはちょっとまずいけど、適当に着替えたら絶対にバレないとこ。ねぇ、いいでしょ?」

「いきなり……どういうことだよ」

「悠一って私の彼氏だよね? 私と付き合ってるならちゃんとエッチしてよ。もう付き合って何ヶ月経つの?」

「……無理だよ。無理だ」

「なんで? どうして?」

「そんなこと……いきなり言われてできるわけないだろ。どうしたんだよ蓮乃。こんなこと言う奴じゃなかっただろ。なんかあったのか?」

「――なんかあったかって? そんなの、」


 あったに決まってる。あんたが浮気したからに決まってる。でもそれだけは言えない。それを言ってしまえばきっと全部が変えられなくなる。一縷の望みを賭けて、悠一を取り戻そうとするなら私は今のまま全部を隠し通すしかない。


「……いや、別になんにもない。でも、うん、そうだね。私が急ぎすぎたかも。ごめん」


 私はそう言って踵を返す。

 そのまま体育館裏から出て校舎の方へと戻る。悠一が追ってくる気配はない。結局はそういうことだ。私と悠一の距離は、あの女と悠一の距離よりも遠い。それだけ離れた場所にいるということだろう。


「クピドにせっかく教えてもらったのにな」

「全くだよ。あんな誘い方じゃ誰も引っかからないことぐらいわかってただろ」


 いつのまにか私の肩に乗っていたクピドは意味がわからないと嘆く。


「そうだね。ごめんごめん」

「どうするのさ。無理矢理にでも連れて行くかい?」

「いや。もういいの。私、とっくの昔に駄目になってたんだ」


 終わりはあまりにもあっけなく、劇的なことは何も起こらず、気づいたら全てが終わっている。

 人生にはたくさんの選択肢があって、みんな毎日、毎分、毎秒、無数の選択肢の中から一つを選択している。だけどその選択肢は全て見えているわけではなくて、きっと私たちが知らないものもある。そういう分岐を――あり得たはずの未来を私たちは自分の手で摘み取っているんだ。


 悠一の前には私を受け入れることと、拒絶することの二つの道があって、悠一は後者を選んだ。その道の先に何が待ち受けているのかも知らないで。


「あーあ。かわいそうな私」


 哀しすぎて、思わず笑ってしまいそうになる。

 楽しすぎて、思わず涙が出てしまいそうになる。


「確かに病みつきになりそう。――


 私は上履きのまま、土の上で軽やかにステップを踏む。

 悠一は必ず断る。

 そして藍花と浮気をしているのなら、私の希望を叶えられないことに対して、罪悪感を抱く。

 その感情を、確かに私は彼の表情に見た。だから。

 

「せっかく最後にチャンスをあげたのに」


 くすくす、と笑顔が溢れる。掴むにしてはあまりにも細すぎる糸だったかもしれない、と思い直してまた笑う。

 あぁ。これで容赦なく、やり返せる。藍花と一緒に心置きなく、悠一にも復讐することができる。

 私を受け入れなかった彼に。

 私に打ち明けず藍花とも関係を持っていた彼に。

 私に屈辱を与えた彼に!!


「――――♪」


 愉快になってきた私は鼻歌混じりに歩みを進める。夕方に差し掛かる空は、薄い茜に染まっていた。

 スカートのポケットに入れていたスマホが震える。

 見ると、藍花から連絡が飛んできていた。『今からちょっとだけ話せる? もし大丈夫なら中庭まで来て』と言っている。今までと同じ流れ。


「仕方ないなぁ」


 呟いた声は思ったよりも弾んでいた。もう三回目になるけど薄ら寒い茶番もこうなってくると楽しささえ覚えてくる。せっかくだから付き合ってあげよう。

 それに、これからきっともっと楽しくなる。

 だって、ここからは私のターンだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る