第31話 滅されるべき悪しきもの


 けれど、エリザの振り上げた剣がそのまま振り下ろされることはなかった。


「セリーヌ様を助けに来たのが魔王様だけじゃないって忘れてないかしら?」


 そう言ったメリムがその剣刃を素手で掴んで止めている。

(素手!?)


「エ、エリザ! そのままそいつを切れ!」


 クラウドが叫ぶ。

 待って、メリム! セリーヌは心の中で絶叫するがあまりのことに声にならない。

 あの剣は天からつかわされたものだと、魔族に対抗できる特別な武器だとクラウドは言っていた。

 そんな剣をそのまま掴むメリムが無事でいられるわけがない……!


(シャルル!)


 助けを求めてシャルルを見ると、彼は慌てることもなく、なぜか呆れた表情を浮かべていた。


「メリムを切る? 人間が? その剣で? そんなことができるわけがないでしょう」


 騎士達が騒めく。エリザに続くべく武器を構えるけれど、攻撃するより前にシャルルが手を大きく横に払うと全ての武器が吹き飛ばされた。呆気ないほどに一瞬だった。なんの抵抗もない。


「そんな……この武器は天から、女神様からつかわされたもので……」


 クラウドは顔を真っ青にして震えている。シャルルはそんな様子に肩を竦めた。


「これが? なんでそんなことになったのか。あなた方が私達に向けているこの剣や杖、全て魔王様より贈られた物です」

「ええっ!?」


 つい驚きの声を上げたのはセリーヌだった。

(魔王様がこんなにもたくさんの武器を人間界に贈った? いつ? なんで!? 天からつかわされた神器だったんじゃ……)

 ルシアンはセリーヌからついっと目を逸らす。


「……セリーヌを魔界に向かわせてくれた礼をしなければと……」

「まあ人間界で言うところの、いわば結納金のような物ですね」


 うんうんと頷きながら説明するシャルル。


(結納金って……)


 全然理解が追い付かない。


「人間はなんだってそうやってなににつけても思い込みが激しいのかしら?」


 戦闘モードメリムが首を傾げる。

 確かに、生贄のことだって人間が勝手な思い込みで贈り続けていた。この武器だって、勝手に天からつかわされた物だと思い込んだということ?


「そんな馬鹿な……」


 人間側の戦意が明らかに削がれていくのが分かった。そもそもメリムたちはこちらから攻撃を仕掛けるどころか、その攻撃をいなすだけで応戦すらしていない。

 そうだ。全ては思い込みだ。武器がどうとか以前に、魔族は人間を害する気なんて全くないのだから。


 ただ怖がりな人間が勝手に怯えて、勝手に魔族を悪者にして、今回だって勝手に攻め入ろうとした。


「それじゃあ、私達は、勝機もないのに兵をあげて無駄死にするだけ……」


 騎士の一人が絶望感あらわに膝をつく。しかしそれも間違っている。

 セリーヌがここで声を上げなければ、この思い込みはずっと続いていってしまう。


「聞いてください! そもそも私達人間が魔族と争う必要なんて全くないんです……!」


 注目がセリーヌに集まる。

 エリザはメリムに止められたまま、小さくうめき声をあげるばかりで動けずにいる。


「魔族の皆は人間を害する気なんて全くありません! 私が魔界に行って出会った人は皆心優しく温かい人達ばかりでした。魔族が恐ろしい存在で、邪悪なものだということ自体が間違いなんです!」


 人間側に戸惑いの空気が流れる。信じ込んできた価値観を覆すのは難しい。すぐに信じることは簡単ではない。

 だけど、実際に魔族は目の前で武器をかまえた人間に手も出さず、おまけに聖女であるセリーヌが声を上げている。

 心が揺れているのは明らかだった。


「でも、それならば聖女の力はなんのために……」


 ふと、急に思いついたことがあった。


「私は魔界に生贄として贈られる前日に、女神さまからの神託を聞きました」


 誰にも言っていなかったこと。神託は確かに下された。

 ――――わたくしの愛しい子、あなたは正統なる聖女。邪を清め悪しきを滅してくれますか。


 その場にいる者たちに聞かせるように神託で聞いた女神の言葉を告げると、もう一度セリーヌの全身が青白い光を放った。まるで女神さまが彼女の言葉が真実だと証明してくれているかのようで。

 神官たちは感嘆の声を上げて跪いた。


『聖女は、その身を賭して悪を滅する』


 聖女の血肉や体液は悪を浄化し、滅ぼすとされている。


 吸血鬼として描かれる悪に、か弱き乙女のふりをして血を吸わせることで。

 人のふりをして紛れた悪魔に、愛を捧げる花嫁の顔をして口づけをすることで。

 魔王様に、無抵抗な生贄として、その血肉を食べられることで。

 そうして聖女は悪を滅する。


「人間界ではそう伝えられていました。だから私も……私の使命は生贄として食べられることで、魔王様を……殺すことなのだと思っていました」


 ルシアンが息をのんだ。


「だけど違った。どう考えても魔王様も魔族の皆も滅するべき悪だとは思えないんです」


 それに、ルシアンも否定した。聖女の力が魔王や魔族の命を脅かすことはないのだと。

 ……最近の、魔王様の体調がどんどん崩れていったことはまだどういうことだったのか分からない。だからこそセリーヌも一度は否定したその可能性が真実だと思い込んでしまったという経緯もある。

 けれどそうじゃないと気付いた今、やっと分かった。答えは今、まさに目の前にある。


「女神様から神託を受けた聖女である私の血肉や体液が悪を浄化し滅ぼすのならば…………私の血を浴びて苦しんでいる、彼女の今の状態はどういうことなのでしょう」



 誰もが言葉をなくし、俯き表情が見えないエリザの方を見た。


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