第30話 聖女という存在


「クラウド様は私のもの! 聖女たる私が魔王を殺す!」


 騎士達も差し置いて、エリザは叫びながらと剣を振り上げ、走ってくる!

 その目はしっかりルシアンを見ているはずなのに、焦点が合っていないように見える。昨日、セリーヌに襲い掛かってきた時と同じ、まともな状態じゃない。

 メリムもシャルルも、エリザの持つ武器に動揺しているのか? 一歩も動けず呆けている。

 このままではルシアンが危ない!


 セリーヌは無我夢中で、守る様に抱きしめてくれているルシアンの腕を振りほどき、一瞬の隙をついて前に出た。


「セリーヌ!」


 ルシアンとクラウドが同時にセリーヌの名前を呼んだ瞬間、エリザが剣を振り下ろす。


「うっ……!」


 肩から胸の下にかけて刃が掠める。プシュッと飛沫を上げた血がエリザの顔にかかった。

 でも、切り付けられた傷はそんなに深くない。エリザが騎士だったらもう死んでるところだっただろう。ひどく痛むが、多分死なない。

 それでもこんな風に傷つけられたのは初めてで……体が非常事態だと叫ぶように震える。

 一気に血が足元に向かって下がっていく感じがして力が抜けた。


 へたり込んだセリーヌにルシアンが駆け寄って来て支えてくれる。側にメリムとシャルルが構える。

 同じようにこっちに向かおうとしていたクラウドは近くの騎士に止められていた。


「もう、もう! もう! セリーヌ、また邪魔を……! いいえ、あなたも死ぬべきよね! ははは……えっ? ぎゃあ!?」


 セリーヌの方を殺意のこもった目で睨みつけていたエリザは、なぜか突然悲鳴を上げて苦しみ始めた!


「エリザ……?」

「いやああぁ! なにっ! いた、痛い! うううっ」


 クラウドの声にも反応せずもだえ苦しむエリザ。


(なに? 何が起きているの?)


 エリザは叫びながら、手で顔を覆っている。自慢の美貌に無残にも爪を立て、まるでかきむしるようにして擦っている。


「熱い! 痛い! なによこれえ!? ううっ、わた、わたしはっ聖女よっ! 誰か助けなさい……!」


 あまりの光景に誰も動けない。

 やっと我に返った一人の神官様が何とか近寄り回復魔法をかける。

 けれどエリザの苦しみは解消されるどころか増してしまうばかりのようだった。


「ぎゃああ! なに! なにをしたのよお!!」

「ひっ! えぇっ!? 私は回復魔法を……!」

「あんた偽物の神官なんじゃないのっ!? ううっ、痛い……クラウド様ぁ……!」


 クラウドは自分に伸ばされた手を見て思わず後ずさりした。

 あらわになったエリザの顔はまるで焼けただれたように赤く、腫れあがっている。

 騎士達や神官たちから「ひっ」と息をのむような悲鳴が上がった。


「どうなっているの……?」


 思わず呟くと、ルシアンがセリーヌを強く抱き寄せた。


「あんな女より、セリーヌ! 君の傷は……!」


 そう言えば痛みをあまり感じない。いつの間にか血も止まっている?

 傷は浅かったし、痛みは驚きで麻痺してしまったのかと思ったけれど。

 確かめるように恐る恐る血に濡れたセリーヌの肩に触れたルシアンが訝しむように眉を寄せた。


「ちょっと待て、セリーヌ、傷が……!?」

「え?」


 自分の体を見下ろす。傷が……ぼうっと青白く淡い光を放っていた。

(なにこれ!?)

 驚いたのも束の間、光は徐々に落ち着き、すぐに消えた。

 慌てて自分でペタペタと体を触って確かめてみる。

 服は刃の動きに沿って切られ、まだ乾かない血で冷たく濡れているものの、どこにも傷がない。

 これは、まさか……。


「回復した……? 今の神秘的な光、まさか、セリーヌ様が、聖女様…………」


 神官の誰かが発した言葉に頭が真っ白になる。

 咄嗟に顔を上げ、セリーヌを包み込みその人を見上げると、ルシアン驚きに目を見開き唖然としていた。


「セリーヌが、聖女……?」


(そんな! こんな、こんな形でバレるなんて……!)


 一気に絶望が押し寄せる。もちろんセリーヌはその事実を隠し通せるなどと思っていたわけじゃない。

 ルシアンが迎えに来てくれて嬉しかった。けれど、その手を取れると思っていたわけでもない。

 それでも、こんな形で知られるなんて最悪だ。せめて、自分の口から伝えるべきだった。

 そして愛してしまったことを、セリーヌが愛することで苦しめてしまったことを謝りたかったのに――。


「セリーヌ!」


 セリーヌの気持ちを知ってか知らずか、ルシアンは彼女を強く抱きしめた。

 ハッと我に返る。セリーヌの服は血に濡れている。その血にもしもルシアンが触れてしまったら……!



 けれど、焦ったセリーヌが何かを言う前に、ルシアンが上ずった声を出した。


「セリーヌ、君は聖女だったのか! すごい! さすが僕のセリーヌ……!」


(…………え?)


 まさかルシアンは、これがどういうことか分かっていないのだろうか……?


「だめ!!」


 我に返り、思わずその胸を強く突き飛ばす。

 腕の力が緩んだ瞬間にセリーヌは立ち上がり、もう一度ルシアンから距離をとった。


「セリーヌ?」

「ま、魔王様……私は、聖女です」

「? ああ、本当にすごい――」


「違うんです! 私は聖女だから! 私といると、魔王様は死んでしまう……! だから私はあなたとは一緒にいられないんです……!」


 目を瞑り、やっとの思いで、絶叫するように告げた。


「セリーヌ、何を言っているんだ?」

「だって、魔王様にとって聖女は、私は……命を脅かす存在でしかない…………」


 決死の想いで絞り出した言葉。だけど、ルシアンは不思議そうに首を傾げるばかりで。


「君は確かに聖女だろう。だけど、なぜ聖女であることが僕の命を脅かすことに?」

「え……?」

「どうしてそんな風に誤解したのかは分からないけど、そんな事実はないよ。現にセリーヌが魔界に来てくれて僕は毎日絶好調だし、魔界の皆もなんだかとても元気だ。君がいてくれて幸せ過ぎるから毎日が潤っているんだと思っていたけれど、今思えば聖女の力もあったんだろうね。本当に素晴らしいよ!」


(私が魔界にいって、絶好調……?)


「だって、魔王様――」


 そのときだ。


「――ふざけないでよ!! 聖女は私よ!!!」


 痛みに慣れたのか、少し落ち着きを取り戻していたエリザが落としていた剣を取り、もう一度セリーヌに向けて振り上げた!



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