第29話 対峙
すっかり馴染んでしまっていた懐かしい匂い。ずっと包まれていたくなるような穏やかな温もり。痛いほどの強さで抱きしめられて、セリーヌの体から一気に力が抜ける。
「セリーヌ。セリーヌ! 会いたかった……!」
「ま、おうさま……」
どうしてここに?
ルシアンは少しだけ体を離すと、拗ねたような表情でセリーヌの顔を覗き込んだ。
「もうルシアンとは呼んでくれないの?」
「ル、ルシ──」
言いなおしかけて、セリーヌは口を噤んだ。
(違う、今はそれどころじゃない……!)
「どうして! どうやってここに?」
「……君が魔界に来てすぐに行った儀式。あれは僕の魔力とセリーヌの魔力を繋げるものだ。だから僕はずっとセリーヌの存在をうっすら感じられていた。無事なのがわかっていたから機会を窺っていた。さっきまでは、本当にうっすらで確実に君の居場所を把握できなかったし……」
ぎ、儀式……魔力を繋げるって、そういう効果もあるの……。セリーヌが初めて知る事実だ。
「儀式は途中で終わっていたから、繋がりが完全じゃなくて、すぐにセリーヌのところへは来れなかった。でも、ついに全部繋がった。……セリーヌのおかげだ」
「え?」
ルシアン様は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「儀式に必要なのは大きくふたつ。口づけを交わすこと。そして……愛を持って、名前を呼ぶこと」
「あっ……!」
「セリーヌが僕を愛しく思う涙を流して名を呼んでくれたから、その涙を媒体にここにゲートが繋がった」
セリーヌの気持ちは全部バレているのだと知った。
「セリーヌ。君にどんなに拒絶されようと、僕は君を愛しているんだ。離すことなんてどうしてもできない。こうして君が……僕を想ってくれていることも分かっていて、どうして諦めきれるだろうか? 頼むから、戻ってきてくれ」
泣き出しそうな顔で懇願するルシアン。
セリーヌは胸が苦しくてたまらなかった。このまま全部忘れて飛び込んでしまいたい。会えて嬉しい。感激でもっと泣いてしまいそうなほど。
でも……セリーヌにはできない。
「セリーヌ。どうか君の本当の気持ちを聞かせてほしい」
「あ……わ、私は…………」
答える前にバタバタと騒がしい幾つもの足音が聞こえてきた。
バン! と大きな音を立てて、扉と鉄格子がまとめて開く。クラウドを筆頭に何人もの騎士様や神官様が突入してくる!
「お前たちは誰だ! セリーヌから離れろ!」
クラウドが叫ぶ。
お前たち? 気がつくと、ルシアンだけでなく、クラウドたちとセリーヌたちの間に立ち塞がるようにメリムとシャルルも立っていた。
いつのまに来たのだろうか、全く気がつかなかった。
「ふふふ、そう言われて離れるわけがないでしょう?」
メリムはいつもと全く違う、妖艶な見た目にぴったりな艶やかな喋り方をした。
表情だって違う。オーラも違う。初めて見た時に感じた威圧的な雰囲気を纏った妖艶美女がそこにいた。
そんな彼女に魅せられて騎士も神官も数人が呆けている。
これは……メリムの戦闘モードというところだろうか?
あっけにとられるセリーヌに気付くと、メリムは他の人間たちには見えないように少しだけこちらを向いて、パチンとウィンクしてくれた。
「私達は魔王ルシアン陛下の最愛の女性を取り戻しに来たまで。誤解があるのならばひとつずつきちんと話をしようとこうして参ったわけですが、まさかこんな場所に監禁しているなど……セリーヌ様を害そうとしているのはあなた達の方では?」
シャルルが眉をひそめてそう吐き捨てる。
その言葉に反応して数人の騎士達が騒めいた。
「監禁? まさか」
「しかし、確かにこの部屋は犯罪を犯した貴族を収監する牢獄だ」
「おい、彼女は生贄になったセリーヌ・アレスター嬢なのか?」
「お前、知らなかったのか?魔族に対抗する術を見つけて生贄は救出されたんだ」
「しかし、救出したわりになぜこの牢獄に……」
騎士や神官、何人もの人がいる中で、今この場にいる者の間だけでも情報が行きわたっていないらしい。
そもそも生贄として捧げられたはずのセリーヌがこうして戻っていることを知らない人、救出までは知っていてもこんな風に閉じ込められているとは思っていなかった人、色々な驚きがあちこちで湧き上がっているようだった。
その中でも、クラウドはピクリと片眉を上げ、不快な表情を隠しもしない。
「最愛の女性、だと……?」
周りのざわめきが一瞬で消え、部屋の中が静まり返る。
「戯言を。生贄に私の大事なセリーヌを捧げさせておいて、悍ましい魔族が愛などと宣うのか?」
聞いたこともないほど、低く冷めきった声。本気の怒りを感じる。
「セリーヌは私の最愛、唯一だ」
クラウドは堂々とそう続けた。
だけど、セリーヌに言わせればクラウドこそ、自分に向けて愛など語らないで欲しかった。
(私を裏切った人。この後に及んでその台詞、エリザに対しても裏切りだわ……!)
けれど、セリーヌの憤りは長くは続かなかった。ギリっと引き絞るような殺気がその場に漂ったからだ。
それを発しているのはルシアンでもクラウドでもない。二人は怒りに塗れてはいるけど、まだ理性を保っている。
この殺気のでところは……。
神官たちの奥から、人が進み出てきて、騎士たちをかき分け前に躍り出る。
白く、煌びやかで神聖さすら感じさせる衣装を纏った、愛らしい顔立ちの人。
「エリザ……」
クラウドの斜め後ろで立ち止まったエリザは憎々しげな視線を真っ直ぐにセリーヌに向けていた。
エリザがこの場にいることを知っていて、あんなことを言えたのか。クラウドはそんな余裕も失うほど焦っていたわけだが、そんなことは分からないセリーヌの心はますます冷えていく。
初恋の僅かに残った甘やかな情すら消え失せていく。こんな人だとは思わなかった。最低のクズ野郎じゃないか、と。
暗い目をしたエリザはブツブツと小さな声で何かを呟いている。
「魔王を殺せば、私が完璧な聖女。今までの聖女なんて比べ物にならないくらい、大事にされるべき人間になるの」
「聖女だと……?」
ルシアンのセリーヌを抱き込む腕の力が強まる。
その表情に浮かぶのは強い警戒心。セリーヌは思った。ああ、やっぱり聖女が自分達にとって存在自体が毒だということは知っているんだ。
本当は目の前に立つエリザではなく、自分の腕の中でのうのうと守られているセリーヌこそがその猛毒だと知られたら……自分を慈しんでくれるこの人から、嫌悪を向けられるのだろうか。
(それでも、もう誤魔化せない。そもそも私が卑怯にも自分の正体を隠したままで逃げ出したのが間違いだった。嫌われても、憎まれても……私はルシアン様と、魔族のみんなを守りたい)
強い気持ちで顔を上げる。
ブツブツと呟き続けるエリザは、ドレスに隠れて見えにくかったが、よく見るとその手に剣を握っていた。
見たこともない煌びやかな宝石がたくさん嵌め込まれている。確かに不思議な力を感じる。あれはまさか魔石なのだろうか? よく見ると他の騎士たちが持つ剣も、神官が持つ杖もそれぞれ違う形でありながら、同じように宝石か魔石かで飾り立てられていた。
これがクラウドが言っていた特別な武器ということなのか。
「その武器は……!」
セリーヌの視線を辿って、武器に気がついたルシアンが驚いたように反応した。
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