第21話 セリーヌの決断


「セリーヌ、さま」

「昨日は来れなくてごめんね、ビグ」


 大きな体で少年のような目が輝いていた。


「こんなに、いっぱい。はじめて」


 花がたくさん咲いていることに興奮しているようだ。

 まだ少なめではあるけれど、庭園と言ってさしつかえないくらいには咲いている。


 ビグとメリムと花に水やりをしながらセリーヌは考えていた。


(魔王様にお別れを言おう。私が聖女だってことは……言う勇気が出ないかもしれない。だけど、とにかく一刻も早く彼から離れなければ)


 メリム達に異変がなさそうなところをみるに、ただ近くにいるだけでは何の影響もないのだろう。言い伝えでも聖女の体液や血液が猛毒になると伝えられていた。


 けれど、気持ちはそうもいかない。このままそばにいれば、本当に離れられなくなる。

 今でも少し難しいけれど、ここが引き返す最後のチャンスのような気がした。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



「セリーヌ、もう体調は大丈夫なのかい?」

「はい、昼間にはビグやメリムと花のお世話もしました。すっかり元気です」


 ルシアンの執務室に入ると、セリーヌに気がついたルシアンは慌てて立ち上がり近づいてくる。

 セリーヌの顔を覗き込んで、最近いつも浮かんでいた憂いがないことに気付き、ルシアンはホッと安堵した。


「じゃあ今日は夕飯も一緒にとれるかな?」

「はい」

「すぐに残りを片付ける!」


 嬉しそうにいそいそと執務机につくルシアンを見ながら、セリーヌはソファに座った。

 隅に控えたメリムとシャルルも心なしか嬉しそうだ。


 最近仕事に身の入らなかったルシアンはものすごいスピードで残りの書類をさばいていき、夕方になる頃にはあっという間に今日の分を終わらせてしまった。



「少し早いけど、もう食事にしよう。せっかくだからその後お茶しないかい?」

「そうしたいです。魔王様とゆっくりお話しできたら……」

「じゃあそうしよう! シャルル、美味しい焼き菓子がなかったかな?」

「準備しておきます」

「焼き菓子ですか?」

「セリーヌが元気になったら一緒に食べようと思って、君の好きそうなものを用意してたんだ」

「まあ……」


 ルシアンは本当に優しい。

 セリーヌは心からの喜びに顔を綻ばせた。それをみたルシアンも嬉しさを隠しきれない。最近ではあまり見ることができなかったセリーヌの本物の笑顔だったからだ。


 その表情を見て、ルシアンは今日の食後のお茶の時間に、話をしようと決めた。

 しかし、セリーヌもまた大きな決意をしていたのだ。


 食事はいつもより少し豪華だった。おまけにどれもセリーヌが好きだと伝えたものばかりだ。

 ルシアンと会話を楽しみながら、味わって食べていく。


「よかった、セリーヌ。食欲も戻ったみたいだね」

「……はい。ご心配をおかけいたしました」

「君が元気ならそれでいいんだ」


 実際のところ、そこまで食欲が戻ったわけではなかった。

 けれど、この時間を、この心のこもった料理の味を忘れないようにしたかったのだ。

 食事だけではない。魔界に来てこの魔王城で過ごした全てを、心に刻みつけたかった。


(きっと、最後になるから……)


 食後はティールームで過ごすことにした。

 いつも就寝前はセリーヌの部屋で過ごすことが多く、この場所を使うのはほんの数回目だ。

 けれど、この後のことを考えると自室ではない方がいいだろうと思ってセリーヌから「たまにはここでもお茶をしたい」とお願いした。


「庭園の花がとても綺麗に咲いているらしいね」

「はい。ビグがずっと心を込めて手入れをしてくれていたからだと思います」

「君も手伝ってくれていたんだろう。聞いたよ、人間界でも君が育てると綺麗に花が咲くと評判だったんだって?」

「メリムから聞いたんですか?」


 テーブルを挟んでソファは二つ、向かい合っておかれている。けれどルシアンはいつでもセリーヌの隣に座るのだ。

 今も肩が触れそうに近くに座り、膝に揃えたセリーヌの手に触れていた。


 初めの頃はこの距離の近さに戸惑っていたセリーヌもすっかり慣れ、今ではむしろこうでなければ落ち着かないくらいだ。

 魔界に来るまでは考えられなかった程、存分に甘やかされてきた証拠だろう。


「花だけじゃない」

「え……?」


 ルシアンは幸せそうに微笑み、セリーヌを見つめて続ける。


「セリーヌがここへ来てくれてから、誰もが以前よりずっと元気で明るく、幸せそうだ。メリムもシャルルもいつか言っていただろう?心だけじゃなくて、体まで健康になったようだしね」


 いつだったか、セリーヌを揶揄うようにそんな会話をしていた。その時のことをさしているのだろう。


「ビグもそうだし、フレデリカも。あいつは口は悪いが、セリーヌが来るまでもっと無気力な奴だった」

「本当ですか?」


 セリーヌからすればフレデリカは明るく快活で、気も強い。無気力だったなんて、そんな風にはとても見えないけれど。

 ルシアンはそうだよ、と頷く。


「フレデリカは何にも興味がわかなかったんだよ。それがセリーヌをすぐに気に入った。……だからこそ、僕としては君を彼女に会わせたくなかったわけだけど……あいつは欲しいものを手に入れる為なら遠慮しないから」

「実は私、初めてフレデリカさんに会った時に彼女が魔王妃殿下で、だから生贄である私に接触させたくなかったのかと思っていました」

「まさか!」


 ルシアンの悲鳴のような否定に思わず笑ってしまう。


「それに一番初めは、メリムのことも魔王妃殿下かと勘違いしました」

「……それ、シャルルにだけは言わないでくれ。あの冷静でいつもすましている男はメリムのことになると死ぬほど恐ろしくなるんだ」

「ふふふ」


 メリムが淹れてくれたお茶を飲む。いつかセリーヌが好きだと漏らしたものだった。

 今はメリムもシャルルも退室して、このティールームにはルシアンと二人しかいない。


「セリーヌ」

「はい」

「僕は君が本当に好きだ。これからもずっと一緒にいたい。もちろん君の返事を急かしているわけじゃないよ。……だけど、だからこそ一つ、聞いてほしい話があるんだけど……」


 真剣な目をしたルシアンの言葉を、セリーヌは遮った。


「魔王様、その前に私の話を聞いていただいてもいいですか?」


 予想外の展開に、ルシアンは瞬き、先を促す。


「なんだい?」


 セリーヌはふわりと微笑んだ。

 不思議そうなルシアンのブルーグレーの瞳にうつる自分の姿がよく見える。

 与えてもらった愛と幸せを踏みにじる、とても薄情な卑怯者の顔だ。



「私、魔王様のお名前をお呼びすることはありません。この先もずっと、絶対に」


 セリーヌの手を握るルシアンの手に、ぎゅっと力が込められた。


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