第20話 それはもうできない
「セリーヌの様子がおかしい」
ルシアンの呟きに、シャルルがため息をつく。
「陛下もそう思われますか」
そう、ここしばらくセリーヌの様子が明らかにおかしいのだ。
どこかよそよそしく、笑顔も引き攣っていることが多い。最近ではルシアンのスキンシップに対しても嬉しそうにしていることが多かったのに、今はその全てを強張った顔で受けている。
それならばまだいい方で、さりげなくかわされることさえあった。
(それに、少し避けられている)
目に見えて落ち込むルシアンに、シャルルがたずねる。
「何か心当たりはないのですか? また誤解が生じている可能性は?」
誤解はどうだろうか、わからない。
ただ、心当たりについては実はひとつだけルシアンにも思い当たることがあった。
(セリーヌの様子がおかしくなったのは、あの時からだ)
初めてセリーヌの方から唇への口づけをしてくれたとき。
あの時ルシアンにはとある変化が起こっていた。もちろん良くない変化だ。
その自分の変化に気づかれてはいけないと慌てて執務室へ戻ったのだ。今思えばとても不自然な行動だっただろう。
セリーヌはそんなルシアンを不審に思ったのかもしれない。そしてそこから何か誤解が生じた可能性はないとは言い切れないだろう。
(いや、そもそも絶対にバレてはいけないと思ったあの変化に気づかれてしまった可能性も……)
ルシアンは頭を抱えた。
「あああ、どうしよう……」
「なにか心当たりがあるのであれば、きちんとお話しするしかないのでは?」
「分かっている……」
しかし、そもそも隠したくてこうなったわけだ。話をするのにも勇気がいる。
(話したことで、セリーヌが自分から離れて行こうとしたらどうしよう……)
それでもやはりこのままではいられないと、ルシアンは覚悟を決めてなんとかゆっくり話をしようとしたが、セリーヌはそれすら避けはじめた。ルシアンとしても嫌がるセリーヌに無理強いをすることもできず、どうすればいいのかますますわからなくなっていく。
そうしているうちにセリーヌは食事を前ほど取らなくなり、部屋に篭ることも増えた。外に出るのはビグたちと花の世話をする時と、最低限ルシアンと食事を共にする時間だけ。
その食事の時間も数回に一回は体調が悪いと言って断られてしまう。
セリーヌは、たった数日でみるみるうちにやつれていった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
セリーヌは葛藤の中でもがいていた。
心配をかけてしまっているのもわかる。
それでも、普通に振る舞う余裕すらない。
(私は、どうしたらいいの……?)
本当はその答えは決まっている。
全てを打ち明けるしかないのだ。……自分が聖女であることを。
(だけど、そうすればもう魔王様とは一緒にいられなくなる)
どうしても、その決心がつかない。
セリーヌが聖女である以上、ルシアンとは絶対に結ばれることはない。
頭では理解しているのに、簡単には決別できないほど、セリーヌのルシアンへの気持ちは大きくなりすぎていた。
しかしこのままズルズルとそばにいて、ルシアンが自らの体調の変化の原因がセリーヌにあると気がついてしまったら。
そう考えると恐ろしくなる。
(私は魔王様が好き。だけど、魔王様からすれば自分を殺すためにそばにいたのだと思われてもおかしくない)
最初はそうだった。けれど、今のこの想いを殺意だと誤解されるのは耐えられそうにない。
寝台から出てこないセリーヌを、メリムがドアから顔を覗かせて心配そうに様子をうかがっている。
「セリーヌ様、何かあったらすぐにメリムを呼んでね」
不安そうにそう告げて、希望通りに一人にしてくれた。
(メリムもシャルルもフレデリカさんも、ビグだって私を心配してくれている。もちろん、魔王様も……)
ヒソヒソと、他の使用人たちが囁いている話も耳に入ることがあった。
「セリーヌ様、陛下のことが嫌いになってしまわれたのかしら?」
「妃殿下になってくださるの、楽しみにしているのに……」
「もしや、陛下のご寵愛が重すぎたのでは!?」
「陛下、クールに見えてセリーヌ様の前で別人のようにデレデレだったもんね……」
「どうかまた明るい笑顔を見せてくれるようになればいいのだが……」
セリーヌは笑ってしまった。ルシアンに妃がいるのかもしれないと思うきっかけの一つだった、「魔王妃殿下」や「陛下のご寵愛」と言う言葉はセリーヌをさしていたのだ。
(今になって、そんなことを知ってしまった。少し前の私だったら、素直にそのことを喜べたでしょうね)
けれどみんなは知らない。セリーヌの正体を知れば、今の様に好意的に接してもらうなど到底無理だろう。
セリーヌが魔王妃殿下になる未来はこない。
ルシアンのセリーヌへの寵愛は、彼の命を脅かす。
セリーヌは、魔王の天敵『聖女』なのだから。
昼を過ぎた頃にセリーヌは寝台を出てビグの庭園へ行くことにした。昨日もこもりきりで花の世話にもいっていなかった。ビグが寂しがっているかもしれない。
寝てばかりもよくないだろうと、体調が悪くないならどうかとメリムに誘われたのだ。
「あのね、セリーヌ様、きっと喜ぶと思うよっ! 楽しみにしててねっ!」
その言葉の意味はすぐにわかった。
「花が……」
「ねっ! すごいでしょっ? 昨日急にいくつか咲いててびっくりしたんだ〜。セリーヌ様に見せたくて、先にバラしちゃわないようにメリムすっごく我慢したんだよっ」
こちらに振り向いてにこにこと笑うメリムの向こうには、いくつも花が咲いていた。
蕾がついていればいい方でなかなか咲かなかった花たち。
そのほとんど全ての蕾が一斉に花開いたのだ。
その中にはセリーヌが願いをかけた花もある。
「あは、はは……はい、すっごく綺麗ですね……」
「ねー! すごいねっ! って、セリーヌ様泣いてるの!? どうしたの? どこか痛い?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと、感動しちゃって……」
「本当? それならよかったー! うんうん、すごいもんねっ!」
この花が咲いたら、セリーヌはルシアンの名前を呼ぼうと決めていた。
けれど、もうそれはできない。
綺麗な花たちをみて、改めてそれを思い知ってしまったのだ。
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