第19話 このままでは

 


 厨房で料理人にクッキーを焼いてもらい、もうすぐ休憩のはずのルシアンと食べようと執務室に向かっている時だった。

 事前にシャルルから伝えてもらい、メリムはお茶の準備をすると言ったのでセリーヌは一人で先に歩いていた。


「ルシアン陛下、顔色が優れませんね。体調を崩されていませんか?」


 ――ハッ。

 廊下に届いたシャルルの声に、セリーヌは息をのんだ。

 思わず足が止まる。


「そうか? お前の気のせいだろう」

「私もそう思っていましたが、やはり顔色が良くありません。自覚はありませんか? 夜も遅くまで眠れていないでしょう?」

「……お前はめざといな」


 ルシアンの体調がよくない……?

 指先からサッと血の気が引いていく。


「セリーヌ様がこれから陛下とお茶をするためにいらっしゃいますが、お断りして少しでもお休みになりますか?」

「いや、セリーヌとの時間こそが僕の一番の癒しなのは分かっているだろう?」

「……そうですが」

「この話は終わりだ。もうすぐセリーヌが来るころだろう?」


 少し待ったが、その後は他愛のない話が漏れ聞こえるだけだった。


「あれっ。セリーヌ様入らないの〜?」


 お茶を運びながら、追いついてきたメリムが不思議そうにセリーヌの顔を覗き込む。

 その声にやっと体の硬直がとけた。

 それでも足に力があまり入らないが、このままでは不審に思われる。


「いいえ、行きましょう」

「あっ、ひょっとしてメリムを待っててくれたの〜? えへへっ!」


 執務室に入ると、すでにルシアンは実務机からテーブルの方のソファに移動していた。

 セリーヌの顔を見るとパッと表情を明るくしてすぐに立ち上がり、額にキスをして自分の隣にエスコートするルシアン。

 その様子もいつもどおりで、特に変わったところもない。


 けれど。


(……たしかに、少し顔色が悪い気がする)


 なぜか湧き上がってくる嫌な予感に心臓がどくどくと脈打つ。


「可愛いセリーヌ。シャルルが僕に疲れているんじゃないかって言うんだ。僕を癒してくれる?」


 明るく、わざとらしく嘆いてみせるルシアンに、それでも上の空になってしまう。

(私が、魔王様を癒す……)


 言われた言葉を心の中で繰り返しながら、セリーヌは全く逆のことを考えていた。


「セリーヌ?」


 再度呼びかけられて、これではいけないと無理やり考えるのをやめる。


 その後はルシアンにねだられて、持ってきたクッキーを手ずから食べさせてあげたりした。

 初めてマカロンを食べさせてあげた時から、ルシアンはこうしてセリーヌに甘えるのがお気に入るなのだ。


 しばらくお茶をして、そろそろルシアンは休憩を終える時間になった。

 執務室をあとにするセリーヌを、名残惜しそうなルシアンがわざわざ廊下の外までエスコートする。どうやら少しでも一緒に並んで歩きたいらしい。

 その様子に胸が温かくなりながら、セリーヌはまとわりついて離れない嫌な考えを必死に振り払おうとしていた。


(きっと、勘違いよ。だって今更……そんなわけがないわ)


「ああ、いい加減戻って仕事しないと、シャルルに怒られてしまう」


 そう言ってセリーヌをぎゅうぎゅうと抱きしめるルシアン。


 セリーヌは気持ちの赴くままにそんなルシアンの手を引くと、それにつられて身をかがめたルシアンに顔を寄せて──初めて、自分から唇へのキスをした。


「っ!」


 ルシアンは驚きのあまりか、すぐに身を離してセリーヌを見つめた。

 ブルーグレーの目は動揺に満ちていたけれど、熱に潤んでいて顔が赤い。セリーヌは恥ずかしさを感じる余裕もなく、そんなルシアンの反応にわずかに安心を覚える。


(……え?)


 しかしルシアンのその赤く染まった顔は、次の瞬間みるみる蒼白へと変わってしまった。


「あっ……す、すまない」


 最後にセリーヌを一度軽く抱きしめると、ルシアンはそそくさと執務室へと戻っていった。


「え〜? 変なルシアン様ー! セリーヌ様からチューしてくれたから嬉しすぎておかしくなっちゃったのかな??」


 少し離れたところに立っていたメリムはそう言ってケラケラと笑った。……きっと彼女にはルシアンの顔色が見えなかったのだ。


 その後、セリーヌはどうやって部屋まで戻ったのか覚えていない。

 メリムに体調が悪いと嘘をついて、一人にしてもらった。

 夜もその嘘のまま、食事もとらずに寝台の中で丸まり、心配して訪ねてきたルシアンが部屋に入ることも断った。



 そうして一人で、セリーヌはずっと震えていた。



 ――伝えられている聖女の伝説は詩的な書かれ方が多く、死に至るまでの詳細な状況はよく分からない。

 セリーヌはまだ自分が生贄だと思い込んでいた時、ルシアンが死ななかったことについて口づけ程度では効果などないのかもしれないと思った。

 そして、魔族や魔王ルシアンについて知っていくうちに今度は聖女の力のおよぶ範囲がどうであれ女神の神託にあった『悪しきもの』は彼らのことではないのだと考えるようになった。

 だって、ルシアンは聖女であるセリーヌと口づけを交わしても死ななかったから。


(……けれど、違ったんだわ)


 勝手に即死でイメージしていたけれど、口づけ程度ならば遅効性である、なんて可能性も十分にある。

 そんなことも思いつかない程、セリーヌは自分に与えられた幸せに浸っていたのだ。

 セリーヌにそんな資格などなかったのに。


 湧きあがる嫌な予感は、ほぼ確信に変わっていた。


(私は間違いなく聖女で、そして私の口づけは魔王様にとってやっぱり猛毒だったんだわ)


 だから今、彼は目に見えて体調を崩し始めている。シャルルが気付くほどに。

 時間をかけて、自分の力がルシアンを蝕んでいったに違いない。


 セリーヌは丸まったまま震えながら、溢れ出る涙を止められずにいた。

 どうか勘違いであってほしかったけれど、もう目をそらすことはできない。


 セリーヌは魔王の天敵である聖女なのだ。




 このままいけばきっとセリーヌの愛は、魔王であるルシアンを、殺してしまう――。


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