第18話 何かがおかしい気がする

 

 花の世話を手伝い始めてしばらく経つ今日この頃。


 自分の気持ちを自覚し、花が咲いたら名前を呼ぶ──つまり花が咲いたらその時には自分の気持ちを伝えたい、と考え始めてから、セリーヌはより一層ルシアンへの想いを募らせていた。


 そうするとルシアンからの好意や愛情表現も以前より嬉しく感じるうえに、素直に受け取れるようになる。


 セリーヌは会うたびにこれでもかと贈られるルシアンからのあちこちへのキスを嬉しそうな顔で受け入れ、抱きしめられれば恥ずかしがりながらもその胸にすり寄った。



「僕の可愛いセリーヌ、おはよう」


 今日も今日とて甘い微笑みを浮かべたルシアンから頰にキスを受けて、腕の中に仕舞い込まれる。

 いつものようにその胸に頭を寄せようとすると、直前にパッと体が離れた。


(あっ……)


「今日の朝食はセリーヌのお気に入りのオムレツみたいだよ。さあ、行こう」


 ニコニコと嬉しそうに手を差し出すルシアン。セリーヌが喜ぶと思って早く向かおうとしているらしい。

 その手をとりながら、セリーヌはほんの少しだけ寂しく感じた。

 しかしすぐに気を取り直して小さく笑う。


(いつもよりもハグが短い気がして寂しいなんて、私ったら贅沢ね)


 それほどいつも溢れんばかりの愛情に包まれ、大事にされているということだろう。

 クラウドと婚約している時には知り得なかった感情だ。

 あの頃はクラウドとこうして甘いスキンシップを取ることもなく、気がつけばエリザという自分よりも彼と触れ合う存在もいた。


(でも、今となってはクラウド様にエリザ様がいたおかげで、距離を保った関係のままいられてよかったわ)


 仮にも元婚約者にこんなことを思うのはどうかと思うが、そのおかげで数々の喜びをセリーヌに与えてくれるはじめての相手がルシアンになった。

 こんな贅沢な感情を抱けることすらも幸せに感じる。


 そう思っていた。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 数日後。


 夜、寝台に横になり一人になったセリーヌはパチリと目を開けた。


(──おかしいわ)



 なんだかモヤモヤと胸騒ぎがする。


 いつものようにルシアンがセリーヌを朝迎えに来て、毎回の食事をともにし、嬉しそうな瞳で見つめられ、キスやハグを受けて、一日の終わりにもお休みの挨拶を交わす。

 何も変わらない幸せな日常のようにみえる。


 けれど、何か違和感がある。どこかおかしい気がする。


 抱きしめられはするけれど、これまでのようにシャルルやメリムが次の予定のためになんとかルシアンをセリーヌから引きはがす、なんてことがなくなった。こちらを見つめる目には熱も好意も感じるけれど、それでもこちらが見つめ返そうとするとすぐに逸らされるようになった気もする。

 それに。


(……頬や額や手に口づけはくださるけれど、唇へのキスはしてくれなくなった……?)


 最近ではいつも、一日に一度は唇での口づけを交わしていたのに。


 けれど、まだたったの数日だ。たまたまかもしれないし、セリーヌの考えすぎかもしれない。

 抱きしめられることや見つめられることも、全くなくなったわけではない。

 相変わらずルシアンはセリーヌとなるべく一緒にいようと時間を作ってくれているし、「可愛い」や「好き」や、もっと恥ずかしい言葉も顔を合わせる度に口にする。


 セリーヌがルシアンを受け入れたいと思うようになり、「もっと欲しい」と願うようになったから、そう感じるだけかもしれない。


(私、どんどん贅沢になっていっているのね……)


 咲いたら名前を呼ぼうと決めたあの花はまだ咲かないままだ。

 このままどんどんセリーヌの想いが募り、花が咲くのを待たずに名前を呼ぶ日も近いかもしれない。


(私が名前をお呼びしたら、魔王様はどんな反応をなさるかしら)


 驚くだろうか。飛び上がって喜んでくれるかもしれない。また子犬のようにブルーグレーの瞳を潤ませてセリーヌを見つめる姿も目に浮かぶようだ。


 想像すると、顔がほころぶ。

 セリーヌはふうっと深呼吸をした。


(夜に不安なことを考えてはならないというものね)


 ルグドゥナ王国には「夜に不安なことや悪いことを考えると、その不安を感じ取って悪い魔族に見つけられてしまう」という話がある。

 もちろん悪い魔族などいないと今のセリーヌは思っているし、そもそもここは魔界だ。

 それにきっとあれは、しない方がいいことをやめさせるための子供だましのお話なのだ。


 それでも止めた方がいいと言われることをわざわざしていいことなど一つもない。


 セリーヌが魔界にきて、しばらく経った。

 心地よく幸せな暮らしに慣れ切って、余計なことを考える余裕がでたということだろう。


(こんなときは、未来の幸せな時間を想像するのよ)


 不安な時間が「そんなこともあったなあ」と思えるような、少し未来の想像だ。


 ルシアンの名前を当たり前のように呼ぶ自分。メリムは相変わらずいつも一緒にいてくれて、シャルルとはやり直しの儀式について相談するのだ。前回は儀式がどんな意味を持つものかも知らなかった。フレデリカは「今からでも儀式なんてやめて自分と逃げよう」なんて言ってはルシアンに怒られる。きっとその頃にはビグと育てた花もたくさん咲いているに違いない。


(きっとその頃には全てが当たり前の日常の一幕で、私は心から幸せに笑っているの――)


 セリーヌはいつのまにか夢うつつで、意識はゆらゆらと漂っていた。



 夢なのか現実なのか分からないどこかで、女神様の声が聞こえる。

 ――わたくしの愛しい子、あなたは正統なる聖女。邪を清め悪しきを滅してくれますか。


 きっともうすぐそのときが来るから、頑張ってね、わたくしの愛しい子――。


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