第17話 ご褒美のような時間

 

 ルシアンは魔王なだけあって忙しい。

 魔界には魔力が行き渡っていて、その管理をしなければいけなかったり、人間の王族と同じく他国との外交をしたり、財政の管理をしたり色々と仕事はあるのだ。

 最近は突然魔物が湧いたり、人間界の方で強い魔力の乱れが見られたりすることもあるらしく、特に忙しいようだった。

 ルシアンの側で仕えているシャルルも同じだった。


 そんな中でもルシアンはセリーヌをいつも気遣い、時間があれば会いにきてくれる。


「だからね、私からも何かしたいなと思ってるんです」


 部屋で一緒にお茶をしながらそんな風に相談すると、メリムは目を輝かせた。


「メリムもお手伝いする〜!」


 ついでに魔王状の使用人たちにも振る舞いたいということで、メリムと一緒にちょっとしたお菓子を作ることになった。

 アレスター伯爵家で叔父家族に馴染めなかったせいでナターリエやジャネットの嫌がらせを受けて、厨房に入り自分で食事を用意することもあったセリーヌ。料理は嫌いじゃない上に、その延長でお菓子作りにはまったこともあったのだ。


 最初は簡単なうえに量産できるプリンやクッキーを作った。


「え、あの、ルシアン様に先に渡した方がいいんじゃないかなあ~?」


 となぜかメリムは少し焦っていたけれど、自分の作ったものが魔族にもおいしいと思ってもらえるか自信がないセリーヌは、まずは手伝ってくれたメリムをはじめとした厨房で働く人や使用人にお菓子を受け取ってもらった。

 セリーヌが美味しいと思えるものは魔族の口にも合うらしく、みんな喜んで受け取ってくれる。というかよく考えれば魔界の料理もお菓子も、お茶だって、セリーヌ自身がとても美味しく頂いているのだからそんなに味覚が違うわけもなかったかなあと今更ながら気づいた。


 そうしてあっという間にセリーヌのお菓子は魔王城で評判になった。


「ん〜! 美味しい! セリーヌ様のお菓子を食べるとなんだか元気が出るの〜っ!」

「ふふふ、メリムってば。でも喜んでもらえて嬉しいです」


 大袈裟だなあと思いながらそう答えたセリーヌだったけれど、メリムはきりっと真剣な表情を作ってみせる。


「あのね、本当だよ? みんな言ってるもん! セリーヌ様とお話ししたら気分が良くなるし、セリーヌ様のお菓子を食べたら元気になるのっ! そもそもセリーヌ様が魔界に来てからみんなムクムク力が湧いてくるって〜!」


 そこまで褒められると少しむず痒い。

 どうして魔界のみんなはこんなに誰もがセリーヌに好意的なのだろうかと不思議に思うくらいだけれど、なんにせよ受け入れてもらえるのは嬉しいものだ。


 セリーヌが魔界ですることといえば、ルシアンと食事を摂ること、メリムと散歩をしたりお茶を楽しんだりすること、そしてビグの庭園で花のお世話をすることくらいで、つまり少し時間を持て余している。

 そんなわけでお菓子作りはすっかりセリーヌの趣味になり、喜んでもらえるのが嬉しくてどんどん作っては振る舞っていた。


 調子に乗って楽しくなっていたセリーヌはすっかり忘れていた。そもそもなぜお菓子を作ろうと思い至ったのか。シャルルが一緒ならどこかのタイミングで思い出させてくれたかもしれないけれど、協力してくれるはずのメリムも同じように忘れていた。


「セ、セリーヌ! 君のお菓子が美味しいって城内でとても評判になっていると聞いたんだけど……」

「まあ! 恥ずかしいですね。でもとっても嬉しいです」


 ルシアンに聞かれて、何か違和感を感じる気もするけれど、とりあえずニコニコと答えたセリーヌ。

 そんな彼女の反応にルシアンは悲壮感漂わせて眉を下げた。


「僕は一度も食べてない……」

「あ」


 悲しみに打ちひしがれるルシアンに魔王の威厳は全くない。


「あの、もともと魔王様に食べていただきたくて、試作品を皆さんに食べてみてもらってたんです」


 嘘だ。最初はそうだったけれど、途中からはただ振る舞って喜んで食べてもらえるのが嬉しかっただけである。

 しかしそんなことは絶対に言えない。


「でも、最初にセリーヌのお菓子を食べるのは僕がよかった……」

「う、それは……ごめんなさい」


 そういえばメリムが忠告してくれていたような気がする。軽い気持ちで流してしまったのはセリーヌだ。

 そう思ってつい素直に謝ってしまったのだけれど、それが運の尽きだった。



「セリーヌのお菓子がついに食べられるんだね! 嬉しいよ、さ、セリーヌ」


 目の前にはデレデレと溶けてしまいそうなほどにゆるんだ笑顔を浮かべるルシアン。

 ルシアンのためだけに作った色とりどりのマカロンをセリーヌが執務室に届けに来ると、あれよあれよとルシアンにすっぽりと抱え込まれてしまったのだ。


(か、顔が近いわ……!)


 マカロンの入った丸いお皿はセリーヌの膝の上、マカロンを抱えたセリーヌはルシアンの膝の上。

 助けを求めて一緒に執務室に入ったメリムの方を見ると、「あーあ、だから言ったのに」とその表情が言っていた。

 シャルルはいつも通り、壁際ですまして立っている。いや、よく見ると少し疲れた顔をしているような。

 セリーヌのお菓子を自分だけ食べていないことを知ったルシアンが拗ねてぐちぐちと不満をこぼし続けるのを相手にしてうんざりしているのだとはセリーヌは知らないのだ。


「セリーヌ? 食べさせてくれないのか?」


 ルシアン必殺の子犬のような目で見つめられ言葉につまるものの、セリーヌは聞かずにはいられない。


「あの、この体勢じゃなければダメなのでしょうか……」


 できればおろして欲しいと言葉に含ませたつもりだったけれど。


「もちろん。他に椅子もないしね、でも君を立たせたままなんてもってのほかだ」


 そっちの方にソファがあるけど……とはなぜか言い出せない雰囲気だ。ルシアンは機嫌良くニコニコしているがどこか無言の圧を感じるわけで。


「あの、本当に、その、私が食べさせるのをお望みなのですか……」


 つまりルシアンはセリーヌに食べさせて欲しいとおねだりしているのだ。恥ずかしくてたまらない。


「もちろん。だって、セリーヌ僕にごめんなさいって言ったよね? つまりこれは仲直りのしるしだよ?」


 まるで小さな子供に言い聞かせるような言い方に、ますます頬に熱が集まる。おまけにそんな風に言われては断りにくいではないか。


 セリーヌが怯んでいる間に、焦れたルシアンはセリーヌの頭に頬ずりしたり、キスをしたりと好き勝手に堪能している。おまけにセリーヌに抵抗されないのをいいことに、ちょっとずつスキンシップが激しくなっている気もする。

 なんなら、お菓子より先にセリーヌが食べられてしまいそうだ。

 羞恥に震えながらも、セリーヌはふと思った。


(よく考えたらこうして愛でられているよりちょっとマカロンを食べさせてあげる方が恥ずかしくないような?)


 意を決して、抱えた皿にかぶせたナプキンの端からひとつマカロンを摘まむ。

 そのままそれをルシアンの口元に近づけると、大喜びで口を開けた。


「あ、あーん……」


 食べさせてあげるならそう言った方が喜ばれると教えてくれたのはメリムだ。

 助言は的確だったようで、ルシアンは一層目を輝かせた。


「ひえっ!」


 マカロンの端っこを摘まんでいたのに、セリーヌの指先までぱくりと口に含まれた!


「ふふ、セリーヌ、とっても美味しい」

「な、な……!」


 思わず咄嗟に逃げ出そうとしたセリーヌだったけれど、ルシアンにがっちり抱え込まれていて無理だった。むしろ逃がさないとばかりにその腕がぎゅうっと抱きしめる力を強めたものだから、さっきよりも密着しているしもっと顔が近くなったように思う。セリーヌは目が回る思いだった。


 わなわなと震えるセリーヌを見ても、ルシアンはますます嬉しそうにするばかり。恥ずかしがっていてもうろたえていても結局は可愛いらしい。むしろ潤んだ金色の瞳が宝石の様に、いや、宝石よりも輝いていてルシアンの心を射抜いてくる。


(セリーヌは本当に、なんて可愛いんだろうか?)


 少し前までデートに誘うのも一大事だといわんばかりに勇気をだしていたようだったのに、ルシアンの急成長がすごい。もっともこれを成長と言ってもよいのかはセリーヌには悩むところではあるのだけれど。


 結局持ってきたマカロンの最後の一つまでルシアンはしっかりセリーヌの手から食べて、このご褒美のような時間を満喫したのだった。


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