第16話 この花が綺麗に咲いたら
「セリーヌ、おはよう」
言葉と共に、唇がセリーヌの額に触れる。
ルシアンは朝、セリーヌの部屋まで迎えに来て、挨拶をするなり手や頬、額とありとあらゆる場所にキスをするようになった。セリーヌが嫌がっていないと気付いては、ときどきさりげなく唇にまで口づけを落とす始末だ。
セリーヌは気づいていた。というか全員気付いている。最近ますますルシアンの溺愛に拍車がかかっている。
「……おはようございます」
初め、セリーヌは驚き戸惑った。時計塔でロマンチックなキスを交わしたとはいえ、あれは二人きりの時の話である。雰囲気もあり、恥ずかしさよりも喜びや幸福感が大きかった。
けれど、日常の一幕にそれが入り込むのはまだまだ恥ずかしい。
(メリムやシャルルもいるのに……)
それどころか、正式に気持ちに答えてもいないのだ。
とはいえ、拒めないほどには、セリーヌも嬉しさを感じてしまっているわけだから仕方ない。
ちなみにフレデリカの前で少しでも触れ合おうものならば、ルシアンがフレデリカに烈火のごとく怒られることになる。
メリムもシャルルもフレデリカも、一応は魔王ルシアンの側近という立場のはずだけれど、本当に魔族たちは仲がいい。
「セリーヌ様とルシアン様がイチャイチャしてるのいつも見てるからか、最近メリムお肌がツヤツヤなの〜! 見て見て、シャルたん!」
「おや、メリムは二人の熱烈ぶりにあてられて綺麗になってるのですか? それは私も負けていられませんね……」
「ん〜? どういうこと?」
「なんでもありませんよ。しかし言われてみれば私も最近はすっきり目が覚めますし、体も軽いです。陛下の機嫌がよろしいからでしょうか?」
からかっているようなその会話にセリーヌは頰を染めて、ささっとルシアンに近寄り、その胸に自分の顔を埋めて隠した。
「セ、セリーヌ」
ルシアンはそんなセリーヌに悶えながらも彼女の背中に手を回し、さりげなく抱きしめている。
……魔界は今日も平和だ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「セリーヌ様、今日はお天気もとってもいいし、庭園に行ってみる〜?」
「え? この城の中に庭園があるんですか?」
セリーヌは意外な事実にぱちくりと瞬いた。
確か、魔界ではなかなか花が育たないのだと言っていなかっただろうか。
「いちおう、あるんだよ〜。あんまり綺麗じゃないからまだ行ったことなかったけど、たまにはいいかなって!」
庭園があることも知らなかったが、そろそろ城内でセリーヌが入れる場所にはほとんど行き尽くしたと思っていた。
そんな場所があるなら、確かに一度は行ってみたい。
「そうなんですね。それでは今日はそこに行きたいです」
その庭園は、城を出て少し入り組んだ場所まで歩いて行った先にあった。
「……たしかに、ほとんど花がないんですね」
名ばかりの庭園のようだ。
花は一応ちらほらとは咲いているが、庭園自体は広いのに花はほんのわずかしかない。
草や木は溢れているのに、どうして花だけが育ちにくいのだろうか。不思議だ。
メリムと少し離れてしゃがみこみ、ちょんと咲いている花に手を添える。こうして咲いている花にもあまり元気がないようだ。
そうしていると、急に晴れ渡っていた空が曇り、セリーヌの上にも影が差した。
……と、思ったがそうではなかった。
「オマエ、なにしてる?」
「きゃあ!?」
驚きのあまり地面に座り込みながら振り返ると、セリーヌの上から巨大な男が覗き込んでいた。
どうやら空が曇ったわけではなく、この男が日差しを遮る形になっていただけらしい。
「ア……オレ……」
男はほんの少し後ずさる。セリーヌが驚いたことにうろたえているようだった。
「あー! ビグ、セリーヌ様を驚かしちゃ、めっ!だよ!」
メリムが大声を上げながら近づいてきて、小さい子を叱るように言う。
ビグというのがこの体の大きな彼の名前だろうか。
叱られて、目に見えてしょんぼりと肩を落とすその姿に、セリーヌは慌てて立ち上がり、違うの、と顔の前で両手を振った。
「違うんですメリム、私が勝手に驚いてしまっただけで……。悲鳴をあげたりしてごめんなさい」
「オレも……ゴメン、なさい」
ビグは謝りながら勢いよく頭を下げる。
しかしそこは体長三メートルを超えるかというほどの大男。たったそれだけの動作でブォン! と風が吹き、その圧でセリーヌの体が大きくよろめいた。
「ア……ゴメ……うう……」
ビグはもはや涙目だ。
「ごめんね、セリーヌ様っ! ビグはとってもいい子なんだけど、ちょっと体が大きくて」
(ちょっとどころではないけれど……)
ちらりと様子を伺うと、まだしょんぼりと肩を落としたままでいる。つぶらな瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうで。
体は大きいが、まるで気弱な子供のようだ。
「オレ……ごめん。動くの、ゆっくりする。さっきは、花、見てたから」
「うんうん、お花を見てたセリーヌ様が気になったんだよね〜! ビグはお花が大好きなんだよっ」
「うん。オレ、花すき」
そういうとビグはとてもゆっくりとその場に座り込んだ。きっと風を起こして花が散ってしまわないように気をつけているのだろう。
どうやらさっきはセリーヌに謝らなくてはと慌ててしまっただけらしい。
ビグは大きな背中を目一杯丸めて花を見つめる。
「でも、花。咲かない。……だから、オレしかみない」
その目は悲しみに溢れていた。またもや涙が溢れそうだ。
まだ泣いてはいないが、どうにもビグは泣き虫らしい。
よくみるとそのかたわらにはジョウロが置かれている。その大きな体にはきっと使いにくいサイズだろう。
……つまり、ビグ以外ここの庭園の花の世話をする人がいないと言うことだろうか。
たしかに庭師らしき人が木の剪定をしているところは目にしたことがあるが、誰かが花の手入れをしているところを見たことはないような気がする。
「ビグさん」
「オレ、名前、ビグ」
「『さん』はいらないって〜」
「……ビグ、よかったら私もここの花のお世話を手伝ってもいいですか? こうみえて、人間界では私の育てたお花は長く元気に咲くって評判だったんですよ」
「エ……」
その声は戸惑いを含んでいたけれど、パッと輝いた瞳が喜びを表していた。
今度は感激で潤んでいる。乾燥とは無縁そうな可愛い瞳だな、とセリーヌは思った。
「セリーヌ様がやるなら、メリムもする〜!」
「ふふ、そうしましょう。みんなですればきっともっと楽しいですよ。楽しくお世話していたらお花も喜んでたくさん咲いてくれるかもしれません!」
「ミンナで……オレも、うれしい」
そうと決まれば早速ジョウロやスコップの場所をビグに聞き、そのまま花や土の手入れを始めた。
驚いたのは、ビグがとても器用なことだった。体が大きいと言うことはもちろん手も指も大きい。普通サイズのジョウロやスコップは彼にはとても小さくて扱いにくいだろう。
それでも難なく使いこなし、花にも繊細に触れているところを見るに、こうしてずっと一人で世話を続けてきたことが分かる。
(ビグにあったサイズの大きな道具があったらいいわね……)
魔法に長けた魔族に作れないわけがない。
おそらく、この光景に慣れすぎていて誰も気がつかないのだろう。
セリーヌはそんなことを考えながら、メリムとビグと楽しい時間を過ごした。
そして、これから咲くだろう花の蕾の手入れをしながら、こっそりと思っていた。
本当はとっくにセリーヌの気持ちは決まっている。
あとは、覚悟を決め切るだけの最後の一押しが欲しいだけ。
だから……。
(……この花が無事に綺麗な花を咲かせたら、その時は、──魔王様の、お名前を呼ぼう)
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