第14話 きっと遠くないうちに



 ルシアンと見たこともない魔物の肉を食べたり、魔道具を手にとり使い方を見せてもらったり。

 二人は存分に遊び、あっという間に時間が経っていく。


「最後にセリーヌを連れて行きたいところがあるんだ」


 日が暮れ始めた頃に、ルシアンがそう言った。

 ルシアンに促されて人の少ない路地裏に入ると、向き合って両手を握る。


「転移の魔法を使うから、少しだけ目を閉じていて」

「わかりました」


 言われるがままに目を閉じると繋いだ手が熱を発し、そこから全身がぽわっと温かくなっていく。

 肌に感じる空気が変わり、周りの音が聞こえなくなったと思った次の瞬間、気持ちのいい風がふわりと頬を撫でた。


「もう目を開けてもいいよ」


 ゆっくり瞼を開ける。


「わ、あ……!」


 そこは街中が一望できる、高い高い時計塔の上だった。

 周りには何もない。ここより高い建物も、柵も、もちろん山も、何もだ。暗くて分かりにくいけれど、遠くの方に魔王城が見える。少し離れて下の方にはさっきまで堪能していた街が広がっていて、向こうの方には牧場や森のような場所も見えた。

 塔の一番上の、少しだけ平らになっている小さなスペースに二人は立っていた。


「セリーヌ、怖くはない?」

「大丈夫です」


 こんなに高い場所は初めてだったけれど、怖くはなかった。

 きっとルシアンがセリーヌを抱き寄せ、手を握ってくれているからだ。

 そのまま導かれるように、ルシアンと並んで座る。

 足をぶらぶらと遊ばせながら、改めて周りを見渡した。


 街のぽつぽつと広がる温かな灯りも綺麗だが、なんといっても。


「ここは、星が良く見えるんだ」


 ルシアンが言葉の通り、遮るものも何もない夜空には満天の星が広がっていた。

 今日はよく晴れている上に月のない夜で、本当に星が溢れそうなほどにたくさん瞬いている。


 まるで全身が夜に包まれたような気分だ。


 見とれるセリーヌを見ながら、ルシアンは笑った。


「気に入ってもらえたようでよかった」

「はい……とても。魔王様、今日は本当にありがとうございました」

「街にも、ここにも、また来よう。……二人で」

「……はい」


 なぜかじんとした。


(また、魔王様ときたい。ここだけじゃなくて、いろんなものを一緒に見られたらいいな……)


「……セリーヌ、白状するとね、僕は君のことをずっと前から知っていたよ」


「えっ?」


 思わぬ言葉にルシアンの方を向くと、ブルーグレーの瞳が真っ直ぐにセリーヌを見つめていた。

 ルシアンが自分をずっと前から知っていたとはどういうことだろうか。


「婚約者がいることも知っていた。君がその人のことを大事に思っていたことも」


 セリーヌは息をのんだ。

 ルシアンは自虐的な笑みを浮かべながらも、話を続ける。


「でも、どうしても諦められなかったから、君に花を送りたかったんだ。人間界で手に入れたものじゃなくて、自分で育てた綺麗な花を。……だから貢物に花をお願いしたんだけど」


 あははと笑う。

 ルシアンはいつ自分のことを知ったのか。まさかクラウドのことまで知っていたなんて。

 気になることはたくさんあるはずなのに、セリーヌは何も言えなかった。胸がいっぱいだった。

 その心は今、ルシアンに出会えたことへの感謝で溢れている。


 セリーヌはずっと、勘違いで生贄として送られてきたからこそ、偶然にもこうして出会えたのだと思っていた。


 そんな中でも、本当はときどき思うことがあった。

 もしもエリザが生贄としてここにきていたならば、こんな風に大事にされるのは自分じゃなかったかもしれない。エリザは社交界での評判はあまり良くはないけれど、可憐で美しく、儚げな容姿は庇護欲をそそる。ルシアンだってきっと気に入っただろう。もしかするとセリーヌが来るよりも喜んだかもしれない――。

 そんな、現実では起こってもいない「もしも」を想像しては、エリザを選んだクラウドのことを思い出していた。


 しかし、そもそもそうじゃなかったのだ。


(魔王様は、こうなるよりも前から、ずっと私を望んでくださっていた……?)


 自分から話してくれているもののルシアンは気まずいようで、うー、とか、あー、とか唸りながら次の言葉を選んでいるようだ。

 彼には分からないだろう。

 今この瞬間、セリーヌの心がどれほど喜びに溢れているか。


「……だから、こうして今セリーヌといることが夢みたいなんだ」


 夜の闇を纏いながら、ルシアンは眩しそうに目を細めて微笑んだ。白銀の髪が風に靡く。星よりもずっとずっと輝いて見える。


(私の方こそ、夢みたい)


 その微笑みに、セリーヌがどれほど胸を高鳴らせているか、全て伝わってしまえばいいのに。


「……私、魔王様に出会えてよかったです。こうして一緒にいられることが、すごく、すごく幸せだと感じてます」

「セリーヌ……」


 驚いたように目を見張ったあと、ルシアンはそっと握っていた手を伸ばし、セリーヌの頬に触れた。


「……約束は違えない。儀式を無理に行うことはしない。君を手放すことは到底できそうにないけど……セリーヌが本当に心の底から、僕を受け入れられるようになるまで待つよ。だから──もし嫌だったら、そう言って」


 それが何を意味しているのかすぐにわかった。

 ルシアンがゆっくりと近づいてくると、甘い甘い匂いがした。


 セリーヌはまるで誘われるように目を閉じた。

 気分は花の蜜に引き寄せられる蝶のようだ。抗うなんて考えつきもしない。蝶にとってはそれがごく当たり前のことだから。


 ルシアンの唇がセリーヌのそれに重なる。

 ──儀式の時以来の口づけに、セリーヌは震えた。


 そして、やっと自分の気持ちに気がついた。


(──ああ、そっか……私、魔王様のことが好きなんだわ)


 儀式の時よりずっと短い口づけ。

 だけど、比べ物にならないくらいに甘い。


 ささやかな温もりが離れていく。

 そっと目を開けると、同じように瞼からのぞいたブルーグレーの瞳と視線が交わる。


「……いつか、本当に僕のことを受け入れてもいいと思えたら、その時はどうか、僕のことを名前で呼んでほしい」


 静かに告げてはにかむルシアンに、セリーヌは小さく頷いた。

 今はまだ、恥ずかしくて。それに、まだ覚悟を決めきれない部分も確かにあって、すぐにその望みを叶えるのは少し難しい。


 けれどきっと、そう遠くないうちにその名を口にできる気がする。




 この時のセリーヌは、確かにそう思っていた。


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