第13話 傷は塞がりかけている
「ああ、セリーヌ。君はどんな服を着ても可愛いね……! いや、どんな服でも君が着るとその瞬間に世界で一番素敵な召し物に大変身だ。絵師もデザイナーも音楽家も、ここにいればどんな芸術家も君をミューズと呼ばずにいられないだろう。罪な僕の天使」
「あ、あの」
ルシアンはシンプルなワンピース姿に着替えたセリーヌをうっとりと見つめ、早口でまくし立てた。
なんかすごいことを言っている。仮にも魔族の王様が褒め言葉に「ミューズ」とか「天使」とかを使うのはどうなのだろうか? と不思議に思うが、普通に言っているのでアリなのだろう。
これは真剣に取り合っていてはセリーヌの心臓が持ちそうにない。
(そういえば……)
セリーヌはふと気になることを口にしてみた。
「あの、私が魔界に来てすぐの頃から私にぴったりのドレスや靴がたくさんありましたよね? このワンピースもそうですし……」
ルシアンが本当に貢物に望んだのは花だったわけで。セリーヌが魔界に送られてくることは知らなかったはずなのに、すぐにサイズの合ったドレスや靴を用意してくれたのだ。普通に用意していたら到底間に合わなかったのではないだろうか。
魔族が人間よりも多彩で高度な魔法を扱えることは誰でも知っていること。ひょっとすると、セリーヌには思いもよらないような魔法でそんなことが可能なのかもしれないと、ちょっとした好奇心で聞いただけだったのだけれど。
なぜかルシアンはぴたりと動きを止め固まった。
セリーヌが不思議に思っていると、メリムが「よくぞ聞いてくれました!」とばかりに笑顔を浮かべて、
「セリーヌ様が来るよりずっと前から、ルシアン様が用意してたんだよ~!」
と暴露した。
ものすごく引っかかる言い方である。
「私がくるより、ずっと前からですか……?」
「メリム!」
ルシアンが悲鳴のような声をあげる。
「あれ? メリム、ひょっとして言っちゃいけないこと言っちゃった??」
どういうことだろうか。セリーヌが魔界に来たことはただの偶然で、ルシアンもそう言っていた。
けれど今のではまるで、こうならずともセリーヌを迎える準備をしていたような言い方だ。
まずいことをした! と言わんばかりのメリムの首根っこをむんずと掴みながら、シャルルが微笑む。
「まあ、細かいことはいいではないですか。大事なのはセリーヌ様がこんなにもお美しいということです。そうですよね、陛下?」
なんだかとんでもない誤魔化し方をされている気がするのは気のせいだろうか。
しかしルシアンはその言葉を聞くと気まずそうな表情をころっと変えて、きりりと凛々しい顔になり。
「当然だ──シャルル、魔界で一番腕のいい絵師は誰だったかな? いや、絵だけじゃこの世の幸福を表現するにはとても足りないな。セリーヌのための曲も作りたいな……」
……まずい。話がおかしな方向に戻っていってしまった。
「魔王様! 私、城下に一緒に行けるの楽しみです!」
本来の目的を忘れて本当に絵師や音楽家を呼びだしそうなルシアンに、セリーヌは慌ててその腕にそっと手を添える。
途端にハッと我に返ったルシアンは嬉しそうに表情を緩めセリーヌの手を優しく掬い上げた。
「そうだね。行こうか、セリーヌ」
「はい!」
セリーヌはこれまでも自由に過ごすことができていたけれど、それは広い魔王城の中やその敷地内でのこと。城外に出るのは初めてだ。むしろここに来たばかりのときには自分はすぐに死ぬと思っていたので、城下におりて魔族の民の暮らしをみることが出来るなど思ってもみなかった。
(どんな感じなのかしら……。やっぱり、魔王様に対して畏怖で溢れている?イメージとしては城下も殺伐として、不穏な空気で溢れているものだと思っていたけれど)
きっとそんなはずがないだろうとはもう分かっている。
「──分かっていたけれど……さすがに想像と違いすぎるわ……」
馬車の窓から外を覗きながら、セリーヌは思わず口にしていた。
今通っているのは人の行き来が多く、にぎやかな広場の近くだった。
見える範囲でもいくつもの露店や屋台などが並んでいる。
印象としては、明るい。とにかく明るい。
人で溢れているのに、誰もが笑顔を浮かべている。歩きながら一緒にいる相手と楽しそうに話し、店員は通りすがりの誰かに朗らかに声をかける。小さな子供が大人にぶつかり、「あっ!」と思った次の瞬間には数人の子供たちが現れてその子の心配をしていた。笑顔で「大丈夫だよ、ありがとう」と答えている。
しかしさすがにここは魔界。肌の色が緑色や紫色だったり、鱗がついていたり、額から立派な角が伸びていたりする人もいる。見たこともないような生き物を連れて歩いている人も。あれは魔獣だろうか? 荷車を引いているのも普通の馬ではないようだ。途中で見かけた厩舎のような場所や放牧場には翼の生えた馬型の魔物らしきものもいた。
視界に映るものは見慣れないものも多い。けれど、他は人間界と全然変わらなかった。
(ううん、人間界より明るくて楽しげなくらいだわ)
いや、他にも大きく違うことがある。
それは街行く人々が当たり前のように魔法を使っていることだ。
ちょっとした金物屋ではサービスなのか、受け取りの際に刻印をしている人もいる。その刻印もその場で店員が手をかざし、ボウっと光ったかと思えば文字が刻まれている。
ジュースの店ではその場で作り出した氷を足して手渡してくれているし、店によっては商品を並べるスペースを広めにとり、客と少し離れた位置に立っている店員が商品や金銭のやり取りを魔法で行っていた。
そもそも露店には魔道具を扱っている店もちらほらと見受けられる。
人間界ではこうはいかない。そもそも魔力を日常遣いできるほど持っている者などあまりいない上に、神官や魔法士など職業としている者以外はそもそも魔法が使えない。セリーヌだってそうだ。一応貴族の子息は生まれてすぐに神殿で受ける洗礼の儀式の際に健康状態や魔力量も鑑定することになるが、魔法を扱えるほどの量はなかった。神託をもらい聖女になったとはいえ、魔力と聖力はどうやら別物らしい。
とにかく、平民や一般人がこうして当たり前に魔法を使うなど、魔界ならではの光景だろう。
予想以上の明るい雰囲気と、馴染みのない魔法が飛び交う空間にセリーヌはほうっと息をついた。気分が高揚する。
「セリーヌ? どうかした?」
先に馬車を降りたルシアンが手を差し出しながら、優しい顔でセリーヌを見つめている。
「いいえ、ありがとうございます!」
セリーヌはその手を借りて、そっと馬車から降り立った。
ルシアンの隣を歩いていると、人々が声をかけてくる。
「陛下ー! このりんご、持っていってください!」
「こっちの肉も、今焼き立てなんでどうぞ!」
「まおうさま、そのお姉ちゃんだあれー?」
「おや! こんなことは初めてだね! デートかい!?」
「陛下が……見たことない顔で笑ってる……!!」
誰もがルシアンに敬愛を抱いているのを感じる。そしてそこに畏怖や怯えは微塵もない。
セリーヌは広場を見渡した。
笑い声と活気で溢れた空間。
(ここが、魔界。魔王様が統治する国……)
きっとルシアンが国を愛しているからこそ、こんなふうに誰もが笑顔の国を作ることができるのだ。
その時、視線の先で小さな子供が転ぶのが見えた。
「セリーヌ?」
ルシアンから離れ、セリーヌは自然とその子の方へ歩み寄っていく。
転んだ男の子のそばにしゃがむと、声をかけた。
「大丈夫? 立てるかな?」
「うう……足が……」
涙目で訴える男の子の膝が擦りむけている。
セリーヌはその膝にそっとハンカチを巻いてやり、「はやく治りますように」と優しくおまじないをかける。
男の子の潤んだ瞳が輝き、パッと明るい笑顔を浮かべた。
「お姉ちゃんすごい! もう痛くないよ!」
「まあ。それはよかったわ」
(子供騙しのおまじないだったけれど、元気が出たみたいでよかった)
──ふと、遠い昔の思い出が蘇る。
いつだったか、クラウドと二人、街に遊びに出かけたときのこと。
(あの時は確か季節の花が見頃だと聞いて植物園に行こうとしていて、途中でこんな風に……)
その時は、傷ついた動物だった。怪我をして血を流しているのを見つけて、ハンカチを巻き、今のようにおまじないをかけてやったことがある。
あれはどんな動物だっただろうか。もうあまり思い出せない。
『僕の大切な友達を助けてくれて、ありがとう!』
すぐに、飼い主らしき少年がやってきて、嬉しそうにお礼を言われたことは覚えている。
それから……飼い主と動物と別れたあと、クラウドが自分の手を握り、微笑みながら言ったのだ。
『セリーヌは本当に優しくて心まで綺麗なんだね。そんな君が大好きだよ」
そして、握った手を引き寄せ、手の甲にキスをしてくれた──。
あれがクラウドに受けた初めてのキスだった。
唇への口づけはしたことがなかったけれど、確かにクラウドは愛情もって接してくれていたように思う。
全てはまやかしだったのかもしれないけれど、セリーヌは確かに幸せだった。
「お姉ちゃんは天使様なの?」
男の子の言葉でハッと我に帰る。
純粋な眼差しを受けて、セリーヌは考えた。
(魔界で天使様って、どういう感覚なのかしら……?)
ルシアンも気軽にほめ言葉で使っていた。
この男の子も悪い意味で言っているわけではなさそうなものの、そんな風に少し意識がとられていると。
「この人は天使じゃなくて、僕の大事な人だよ」
いつの間にかセリーヌの後ろにいたルシアンが、男の子にそう声をかけた。
(大事な、人……)
ルシアンにそう言われることを素直に嬉しく感じる。
笑顔で手を振り去っていく男の子を見送りながら、セリーヌの胸は温かな気持ちでいっぱいになっていた。
(さっきみたいに、まだときどきクラウド様のことを思い出してしまうけれど……少し前ほど、辛くないわ)
あれほど辛く、思い出すたびに涙をこらえるのが大変だったのに、今はもう泣きたい気持ちにはならない。
まだ寂しく思う気持ちはあるが、少しずつ過去に、思い出になってきている。
セリーヌはじっとルシアンを見つめた。
すぐに気づいたそのブルーグレーの瞳が、優しく細められる。
愛情がこもっていると分かるその目に見つめられると、胸がきゅんとなるのだ。
そしてこの瞳のおかげで、セリーヌの傷はすっかり塞がりかけていた。
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