第12話 魔界に来れて良かった
「おはよう、セリーヌ! あの、よ、よかったら今日は、僕とデートにいかないかな?」
いつものように朝食をともにしてると、ルシアンがおずおずとそう切り出した。
「デート、ですか?」
たったそれだけでセリーヌの頬はポッと赤く染まり狼狽えている。
向き合い、わたわたと照れ合っている二人を前に、メリムが「わあ」とはしゃいだ声を上げた。
「ルシアン様もセリーヌ様も可愛いっ! お顔真っ赤っかだよ~? ね、シャルたんっ!」
「しっ! メリム、お二人の邪魔をしてはいけませんよ」
初々しいことこの上ない二人を生暖かい目で見守る。
セリーヌが恥ずかしさに耐えかねて気絶したあの日から、ルシアンとセリーヌはずっとこのような調子だった。
セリーヌはそっと目の前に座るルシアンを見る。
ブルーグレーの瞳はうろうろと彷徨い、気持ちが落ち着かない様子が見てとれる。緊張しているのだ。
「あの、私も魔王様とデート、したいです」
恥ずかしさを押し込めて返事をすると、うろついていた瞳がパッとセリーヌの方を向き、その表情は一気に明るくなった。
「よかった! ずっと城の中で過ごしているから、今日は一緒に城下へ出かけよう」
「はい!」
(城下……そうよね、魔界は何もこの魔王城だけじゃない。魔族の民たちはどんなふうに過ごしてるのかしら?)
民の暮らしを想像しながら、ルシアンと出かけることを想像する。セリーヌが思わず微笑むと、それだけでルシアンは少し嬉しそうな表情を浮かべた。そしてそれを隠しもしない。
「君の笑顔が見れて嬉しい。楽しみにしているね」
嬉しそうな顔で、嬉しいと言われて。
ストレートなルシアンの言動に、つい顔に熱が集まってしまう。
あの日、セリーヌが意識を飛ばしたことでルシアンの告白への返事は出来ないままになっていた。
目を覚ました後、どうすればいいのだろうかと頭を悩ますセリーヌに、ルシアンは「すぐに返事はいらないから、僕と仲良くしてほしい」と穏やかに告げたのだ。
セリーヌとしても、生贄のつもりで魔界に来たのに結婚相手として見られていたなどとあまりの驚きで、今は少しゆっくり気持ちを落ち着かせたい。ルシアンの優しさはありがたかった。
──セリーヌには一つだけわかったことがある。
神託にあった滅するべき悪きものはきっとルシアンではないだろうということ。
聖女の伝説で語られる、一番な悪はたいていが魔族、魔王のことだった。
だからセリーヌも自分に与えられた使命は魔王を殺すことだと思っていたが、伝説や言い伝えが全て正しいとは限らない。
だって魔族や魔王様は言い伝えではいつも残虐で冷酷で、こんなにも優しく温かな人たちではなかった。
本当の彼らは悪と呼ばれるものとはとてもじゃないが結びつかない。
(私が滅するべき悪が何かが今はまだわからないけれど……こんな温かな魔王様や魔族のみんなであるはずがないわ)
ルシアンが自分と口付けても死ななかったことが何よりの証拠である。
(だから……私は、魔王様のことを拒絶しなければいけないわけじゃないのよね)
セリーヌはそっと胸に手をあてる。
心臓がドキドキと高鳴っているが、儀式の時に感じた恐怖によるものとは全く違う。
セリーヌはルシアンのことを好ましく思うようになっていた。
あんなに真っ直ぐに好きだと全身で伝えられて、こんなに大事に優しくしてもらえて、何とも思わないでいる方が無理な話だった。
「デート……すごく、楽しみだわ……」
部屋に戻りメリムに髪を結ってもらいながらポツリと呟くと、小さな独り言だったものの、メリムの耳には届いたようで。
彼女は嬉しそうに笑みを浮かべると、えへん! と豊満な胸をはった。
「セリーヌ様とルシアン様の初めてのおでかけだもん! メリムがうんと可愛くしてあげるねっ!」
行き先が城下なので、いつものドレスとは違い町娘風のワンピースが次々用意されていく。それをああでもないこうでもないとセリーヌの体に当てながら、メリムは真剣な顔でコーディネートし始めた。
ちなみにどうやらドレスもワンピースも、魔界と人間界ではさほど違うものではないらしい。
すっかりメリムのセンスを信用しているセリーヌはされるがままで身を委ねている。
叔父家族に馴染むことができず、アレスターの屋敷で居心地悪く暮らしていたセリーヌには、こうして心から信頼を寄せ、全てを任せられるという体験も久しぶりのことだった。
(なんだか、お父様とお母様が生きている時の幸せな生活に似ているわ……)
ずっと、それを自分に与えてくれるのは婚約者であるクラウドなのだと思っていた。
描いていた未来は全てなくなったのに、今こうしてセリーヌは穏やかな幸せを感じることができている。
(全部……魔王様のおかげ、よね)
よく考えれば花の代わりに間違えてセリーヌが魔界に送られてきた時点で、そのまま人間界に送り返されていてもおかしくはなかったのだ。全ては自分を望んでくれたルシアンのおかげだとセリーヌは感じていた。
あれほど怯えてやってきたこの魔界。けれど、ここにセリーヌを傷つけるものは誰一人としていない。
(私……魔界に来ることができて、魔族のみんなに、魔王様に、出会えてよかった……)
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