第11話 その頃のクラウド-2


 エリザを突き放し、急いで屋敷を飛び出したクラウドはすぐに馬を走らせアレスター伯爵家へ向かった。


 ここ数か月足を踏み入れていなかった伯爵家。

 次に来るときはセリーヌを迎えに来るときだと思っていた。


 そんなはずがないと思いながらも、胸騒ぎと冷や汗が止まらない。


 馬を降り門の方へ近づくにつれて、屋敷の庭の方から朗らかな笑い声が聞こえてきた。

 そのことに心に大きな安堵がともる。


(――ほら、やっぱり勘違いだ。そんなわけがないんだから)


 エリザが生贄にならなかったことで自分の描いていた未来に多少障害が残ってしまうことになるが、それはもはや仕方ないことだ。

 これからのことはまた新たに考えていけばいい。


(こうなったらもうこのままセリーヌのところへ行こう。今日のうちに彼女を連れ帰るのは無理かもしれないが、早く彼女を迎えたいと考えていることを話して安心させてやりたい)


 荒くなっていた呼吸と乱れた衣服を整え、打って変わって明るい気持ちで門の方へ近づいて行く。

 伯爵家の門前には二人の門番が立っているが、クラウドはどちらも顔見知りで、セリーヌを慕う彼らとはいい関係を築けている。

 いつか、万が一どうしようもない事態に陥ってセリーヌを連れ出すことになったときには協力してくれるように約束もしているほどだ。


(できればそんな強硬手段をとらずとも憂いなく伯爵家を出て我が屋敷に迎えたいところだが……)


 そんなことを思いながら近くまでたどり着くと、門番がクラウドに気がついた。

 そして、クラウドと目が合った瞬間、門番たちの顔色が変わった。


(なんだ……?)


 戸惑うクラウドをよそに、二人のうちの一人がさっと屋敷の方に急いで入っていく。

 まさか、セリーヌになにかがあったのだろうか。

 残った方の門番はクラウドが何か言葉を発するより先に頭を深々と下げ「しばらくお待ちください」と言った。


 追われたとおりに待つしかなかったクラウドの元に現れたのは、セリーヌではなく彼女の従兄であり、自分とも友人であるマイロだった。

 ジャネットの非常識な振る舞いがきっかけで疎遠になり、今では顔を合わせても最低限の挨拶を交わす程度の仲でしかないが。

 マイロの顔は強張っている。


「何しに来たんだ、クラウド」


 声には棘があり、明らかに歓迎されていない様子だ。

 まさか、今になってセリーヌを隠そうとしているのだろうか。

 ……マイロが実はセリーヌに対して淡い想いを抱いていることをクラウドは知っていた。

 ジャネットやナターリエ夫人へ逆らえない程度の、クライドに言わせれば本当にささやかな取るに足らないものではあるが。


「何しにって、我が婚約者に会いに来た以外に私がここに来る理由はないだろう」


 クラウドの言葉を聞いて、マイロは嘲るように鼻で笑った。

 この男がこんな風に笑う姿は初めて見た気がする。


「そうやって、自分に罪がないように振る舞おうって魂胆か?」

「なんのことだ?」

「しらじらしい! セリーヌとは二度と会うことがないとお前が一番分かっているだろう」

「待て! 本当にどういう意味だ!?」


 落ち着いていた心臓の鼓動が再び激しくなっていく。

 指先が冷え、血の気が引きながらも、クラウドはマイロへ掴みかかった。


「お前のせいでっ、お前のせいでセリーヌが生贄になったんだろうが!!!」


 叫ぶような言葉にクラウドは止まる。

 まだマイロは叫んでいて反対にクラウドに掴みかかってくるが、クラウドは反応が出来ない。

 呆然としているうちに顔を殴り飛ばされ、抵抗も出来ずに地面に転がっても、まだ信じられなかった。


「セリーヌが、生贄になった……?」


 門番に抑えられたマイロは見たこともないほどに激高している。


「俺はお前だから、セリーヌとお前が想い合っていると思っていたから何もしなかったんだ! それなのにどうして彼女を裏切った! こんなことなら、こんなことなら俺がどうにかしてでもセリーヌを……」


 大声をあげていたため、騒ぎに気付いたナターリエ夫人とジャネットが門の方へ現れた。

 殴り飛ばされたクラウドと、怒り狂うマイロに悲鳴をあげて立ちすくんでいる。


「どういうことだ! 分かるように説明しろ! 俺が彼女を裏切った!? そんな馬鹿な! それにセリーヌが生贄になったわけがないだろう、婚約者がいる令嬢は選ばれない!」


 そう反論しながらも、頭のどこかで考えていた。

 エリザは生贄にならなかった。それならば、誰が生贄になったのだ。


(セリーヌのわけがない。セリーヌのわけがないんだ……!)


 しかし、現実はマイロによって突き付けられる。


「お前とエリザのことを知ったセリーヌが、婚約破棄書を作り上げて自ら生贄になりにいった……!」

「は……」

「まだ分からないのか? お前らが抱き合って、お前がエリザを婚約者に迎える約束をしているところをセリーヌは見てしまったんだ! お前の策略で生贄にされる前に、自ら生贄になることを選んだんだ!」


 頭が真っ白になっていく。

 目の前の男が何を言っているのかわからない。


「俺の家族も最悪だ。生贄になると言うセリーヌに喜んで、彼女がいなくなった今日にもまるで祝うかのように笑いながらお茶を飲んでいる。俺が、俺がいれば決していかせなかったのに……」


 マイロの言葉に、さすがのナターリエ夫人とジャネットも気まずそうに視線を逸らしている。

 まさか、本当のことだというのか。


「せめてお前が誠実で、すぐにセリーヌとの婚約を解消していれば俺が婚約者になることだってできた。彼女が俺を拒んでも、せめて生贄が決まるまでの間だけでもよかったのに……」


 マイロも、彼を抑えている門番も泣いている。


「──お前、わざとセリーヌが生贄になるように計画したんだろう」

「ち、が……っ」

「そうじゃなきゃ、こんな悪質なことができるかよ。そんなにセリーヌが邪魔だったのか?」


 そうじゃない。クラウドが邪魔だったのはエリザだ。生贄にしたかったのもエリザだったのに。


 エリザを生贄にするためにとった行動が、セリーヌを生贄にした。



「私は、セリーヌを、セリーヌだけを愛して……まさか、そんな、セリーヌが生贄だなんて、そんなわけが」


 ガタガタと震え始めたクラウドにマイロも呆然と立ち尽くした。


「お前、まさか……? 嘘だろ?」


 セリーヌは生贄になった。

 もう二度とクラウドの元へは戻らない。


 絶望の底に叩き落とされたクラウドは、もう何も考えられなかった。


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