第5話 子犬のような魔王様



 セリーヌがメリムやシャルルと話していると、またもや扉がバン!と音を立てて開いた。


「――セリーヌはっ!?」


 姿を見せたのは白銀の髪を乱し、息を荒げたルシアンだった。

 その慌てぶりにセリーヌはきょとんと目を瞬く。


 ブルーグレーの瞳はそんなセリーヌに視線を合わせると、つかつかと足早に近寄ってきた。

 そして、突然のことに反応できないでいるセリーヌを――。


「ああっ、よかった!」

「ひえっ!?」


 勢いよく抱きしめたのだ。


(ななな、なにっ!?)


「昨日も顔色は良かったようだったが、目が覚めるまで気が気じゃなかったんだ! メリム! お前僕がすぐにこないように魔力の気配を誤魔化しただろう!」


「だってメリムが最初にセリーヌ様におはようって言いたかったんだもん!」


「このっ、セリーヌの世話をする権利を譲っただけでもいいと思えっ! 本当はそれも全部僕がしたいくらいなのに……」


「ルシアン陛下、男性である陛下に手ずからお世話をされるのはセリーヌ様が嫌がられるかと」


「くっ……!」


 ぎゃあぎゃあと明るい騒がしさを前に、セリーヌは混乱していた。

 おまけにルシアンはセリーヌを抱きしめたままでいる。


(なんなのこれ? どういうこと?)


 目の前の光景があまりに予想外過ぎて頭が追い付かない。


 妖艶美女は子供の様に無邪気で、美少年は大人っぽいなんてものではない。

 魔王ルシアンに至っては儀式のときとは別人にすり替わってしまったのではないかという変貌ぶり。


「陛下、セリーヌ様が戸惑っておられますよ」


 やはり最初にセリーヌの困惑に気がついたのも、見た目年齢は一番幼いシャルルである。

 呆れたようなその言葉に、ハッと我に返ったルシアンはおずおずとセリーヌの顔を覗き込んだ。


「本当は僕が一番に言いたかったんだ……おはよう、セリーヌ」


 ――本当に、これは誰なのだろうか。


 姿かたちは間違いなく魔王ルシアンである。

 けれど、儀式のときにあれほど冷たく、恐ろしく感じたその瞳は、いまやまるで子犬の様にうるうるとセリーヌを見つめていた。


(いや、本当に誰ですか……?)


 返事をしない(驚きのあまりできない)セリーヌをどう思ったのか、そばに控えていたシャルルがすかさず口を挟んだ。


「儀式の際のルシアン陛下の態度があまりにも酷かったので、私とメリムでよくよくお話ししておきました」


 メリムからも援護射撃(?)が飛んでくる。


「そうそう! 昨日のルシアン様、お顔とーっても怖かったもんねっ! メリム、どこの魔王かと思って震えちゃった〜! あれじゃセリーヌ様も嫌になっちゃって当たり前だよお。ねえっ?」


(ねえっ? っと言われても……)


 それにルシアンは間違いなく魔王である。


 魔族たちの関係性がなんだか思っていたのと違う。

 何が何だか分からないうちにセリーヌはルシアンに朝食に誘われ、断る間もなく手を取られエスコートされる羽目になっていた。





「どうしたんだいセリーヌ? 口に合わないかな?」


「い、いいえ。そんなことはございません」


 こちらを心配そうにうかがうルシアン。

 今、セリーヌとルシアンは魔王城の広いダイニングで、テーブルを挟んで向かい合って座り、食事を共にしていた。


(口に合うも何も、正直味なんてわからないわ……)


 手が震えないようにするので精一杯だ。

 なぜルシアンと仲良く朝食をとることになっているのかもよく分からない。

 セリーヌは生贄なのに。


 執事とメイドよろしく部屋の隅で控えているシャルルとメリムは席に着いた二人に満足そうな顔をした後、今は空気になっている。

 セリーヌは今日、ずっと困惑しぱなしだった。

 というより昨日から困惑しかしていない。


(私もそのうち、こちら側なんですよね……)


 朝食に出されたオムレツにナイフを入れながら、ついそんなことを考えてしまう。

 明日は自分が食材たべられる側かも。そう思うとなかなか食事の手も進まない。

 料理に感情移入するのは初めての体験だ。


 戸惑い、食の進まないセリーヌを見て、ルシアンも手を止める。



「シャルルから聞いたと思うが、僕は君の心を待つ。儀式の時に君を追い詰めるようなことを言って悪かった」


「──っ! い、いいえ」


 ルシアンの、心から悔いているような様子に、余計に戸惑いを覚える。

 昨日からこの魔王には、セリーヌにとって思いもよらないような態度ばかりとられている。


「僕は決して君を傷つけたいわけではないんだ。できるだけ快適にすごせるようにするから、何かあればなんでも言ってほしい」


「……はい」


 返事はしたものの、言われている意味がよく分からない。

 傷つけたいわけではない?

 生贄として連れてこられて、そのうち食べるのに?

 できるだけ快適に過ごせるようにする?

 というか、今の時点で想像のはるか斜め上をいく待遇で逆に怖いと思う程。


 何かあれば言ってほしい?

 ……どうやらルシアンはセリーヌを出来る限り美味しくいただけるよう、本気で懐柔しようとしているらしい。


(生贄を懐柔って、なんだかもうよく分からないけれど)


 少し伏し目がちにそんなことを考えていると、ルシアンが上ずった声で続ける。


「そして、できれば……できれば、ぼ、僕と仲良くしてほしい」


「…………はい?」


 セリーヌが弾かれたように顔を上げると、頬を染めたルシアンがちらちらもじもじとこちらを見ていた。

 ──なんだこれは。



 ルシアンの魂胆がよく分からない。彼だけではない。メリムやシャルル、他の使用人たちにしてもそうだ。

 まだほんの少しの時間しか経っていないが、生贄であるセリーヌに驚くほど好意的に接してくれている。


 いまやセリーヌの胸には生き延びた安堵よりも、今の状況をどう受け止めればいいのかという困惑ばかりが広がっていた。



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