第6話 やっぱり私は一人


「セリーヌ様、おはようございます!」

「セリーヌ様、お散歩ですか?」

「また美味しいお菓子をお持ちしますね!」


 セリーヌが魔王城の中を歩いていると、行き交う人たちが皆にこやかに声をかけてくれる。

 最初こそあまりに好意的なその態度に逆に警戒心を抱いていたセリーヌだったが、どうやらそこに裏があるわけではないらしいと悟ってからは居心地よく過ごせるようになっていた。


 むしろ、叔父家族の中で居心地悪く過ごしていたセリーヌにとっては、両親が生きていた頃以来の温かな暮らしだといえるほどだ。


 セリーヌの叔父家族の子供、つまり従兄妹にあたる一つ年上の兄マイロとセリーヌと同い年の妹ジャネット。

 ジャネットは可愛く我儘で、セリーヌのことを分かりやすく嫌っていた。

 何かにつけてはセリーヌを見下し、ときには陥れようとさえする。屋敷の中で会えば嫌味を言われ、物をとられるのも珍しいことではない。嫌いならば関わらずにいてほしいと思うが、ジャネットはセリーヌに嫌な思いをさせなければ気が済まないようだった。ちなみに義母であるナターリエ夫人も同じようなものだ。


 叔父家族と暮らすようになってすぐは婚約者であるクラウドもアレスター家によくセリーヌに会いに来てくれていたけれど、そのうちジャネットがクラウドにしつこくつき纏うようになり、二人で相談してアレスター家での訪問はほとんどなくなっていったのだ。


 兄のマイロは穏やかで優しく、セリーヌのことも気にかけてくれてはいた。

 しかし彼がセリーヌを庇えば庇うほど母であるナターリエ夫人や妹ジャネットはムキになってよりセリーヌを虐めようとする。どちらにしろ効果がないのならば自分のせいで叔父家族の仲が拗れるのはあまりいい気持ちではない。そう思ったセリーヌはマイロになるべく静観するようにお願いしていた。


 叔父はナターリエ夫人とジャネットには甘く、セリーヌは正統なアレスター家当主でありながら、屋敷の中では蔑ろにされていたのだ。

 いつしかそんなセリーヌの心の支えはクライドの存在、そして彼との未来だけとなった。


(今思えば、私がクラウド様に依存してしまったのも、彼にとっては負担だったのかもしれないわ……)


 今更そんなことを考えてもどうしようもない。けれど、ふとした時にクラウドのことを考えてしまうのだ。



 メリムとともに城内を散歩していると、執務中のルシアンが廊下の向こうから現れた。

 ルシアンはセリーヌに気がつくと、パッと嬉しそうな笑みを浮かべて駆け寄ってくる。まるで飼い主を前にした大型犬のようだ。ブンブンと左右に振れる尻尾が見えてくるような気がする。


「セリーヌ! 今日も君はとても綺麗だね。毎日君の顔を見ると元気が出るよ」


 会う度にそんな風に言われて、まるで愛されているかのようで。

 セリーヌは自分の生贄という立場を何度も忘れてしまいそうになった。



 ルシアンはあれから毎朝、セリーヌに与えられた部屋に来て彼女を食事に誘い、ダイニングまでのエスコートを欠かさなかった。

 朝だけではない。時間が許す限り昼も夜もともに食事を摂るのだ。


 どんなものが好きか、どれが一番美味しいか、何が食べたいか、セリーヌの好みを聞きたがる。何度も食事を共にしていくうちにさすがに緊張もほぐれて普通に食事を取れるようになると、何も言わずとも食事がセリーヌ好みになっていく。


「前に、これを一番美味しそうに食べていたから」


 そうやって嬉しそうに微笑まれると胸がどきりとした。


(意図がどうであれ……私のことを、本当によく見てくれているんだわ)


 最初は恐ろしく思えたそのブルーグレーの瞳も、いまは優しげに見えてしまうから不思議だ。


 魔族は恐ろしい存在で、人間を見下し、特に魔王様はいつでも人間を蹂躙し支配下に置こうと企んでいる。少しでもその機嫌を損ねるようなことがあれば、きっとすぐに人間など滅ぼされてしまう。

 そうされないためにも、毎年の貢ぎ物でなんとか水際の平和を手に入れている。


 人間界ではいつだってそう教えられていた。それが常識だった。


(けれど、魔族の人達も、魔王様も、みんな温かで優しい人ばかり)


 むしろ、平気な顔でセリーヌを傷つけたり陥れようとしていたジャネットやナターリエ夫人、見て見ぬふりをしていた叔父、あれだけ心を通わせていたと思っていたのに笑顔でセリーヌを裏切っていたクラウド。人間たちの方がよほど恐ろしい。


 最近、セリーヌは思うのだ。

 魔族や魔王様への恐ろしい思いは、もしかして間違っていたのかもしれない。

 魔王様が酷く残虐な人物だということも、ひょっとして何かの誤解なのかもしれない。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



「セリーヌ様、最近たくさん笑ってくれるようになったねっ! セリーヌ様が笑ってると、メリムも嬉しい!」


 隣を歩きながらにこにことそういうメリムは言葉通り本当に嬉しそうな顔をしている。


(……たしかに、最近はなんだか心が穏やかで、気がつけば笑っているかもしれない)


 魔界に来たばかりの頃には考えられなかった心境の変化だ。セリーヌはもはやこの生活にすっかり慣れ切っている。


「メリムや皆さんのおかげです。いつも私なんかに優しくしてくれてありがとう」

「えへへ! みんな、セリーヌ様のことがだーいすきなんだよっ! もちろんメリムもっ」


 ルシアンもそうだが、メリムも好意をストレートに口にしてセリーヌに届けてくれる。

 なぜこんなにも自分に好意的なのか不思議に思うほどに。

 そうして過ごしていると、やはりこの魔族たちが人間を脅かす悪しき存在であるだなんてとても信じられない。

 きちんと話せば、もっと友好的に関わることだってできるのではないだろうか。


 夜、寝支度を終えてメリムも退室し、セリーヌは一人寝台で横になって考えていた。


(……明日、魔王様に聞こう。私のことをどう考えているのか)


 自分が生贄であることを考えずに現状を振り返ると、セリーヌはとても大事にされている。健康的に、美味しい状態で食べる為だけの行動ならば、何もここまで好意的に接する必要はないように思うのだ。

 生贄に対しての魔族と人間の考え方がどうやら違うらしいというのは、来たばかりの頃のメリムやシャルルの会話で分かっているけれど、ひょっとしてそもそもルシアンはセリーヌのことを生贄だと思っていないのではないだろうか。


 そんな疑問がよぎるほど、セリーヌはルシアンに溺愛されていた。


 目を閉じると、ルシアンの顔が浮かんでくる。


 自分を気遣う顔、頰を染めて恥じらいながら、仲良くなりたいと言ってくれたこと。いつもセリーヌの様子を見てくれているルシアン。自分を見つけると、笑顔で駆け寄ってきてくれる子犬のような魔王様──。


 そんなことを考えていると、どこからかガシャン! と、何かが割れるような音が響いた。

 続けて、誰かの怒鳴るような声も聞こえる。


(何かしら……?)


 気になったセリーヌはこっそりと部屋を抜け出し、声の方に歩いていく。

 少し歩いた先にその部屋はあった。

 どうやら中で女性が怒り、声を荒げているらしい。


 だんだんと何を言っているのかはっきりと聞こえてきて、セリーヌは凍りついた。



「──どうして!? あの子は生贄よ!? どうしてよっ、ルシアン!」

「大きな声を出すな。たしかに、お前のいう通りだが──」


 その言葉を聞いた瞬間、セリーヌは身を翻し、急いで自室へ戻った。怒る女性にこたえていたのは、確かにルシアンの声だった。

 扉を開け、そっと部屋に入り、ずるずると座り込む。


 ──生贄。


 女性はそう言った。ルシアンは、はっきりとそれを肯定していた。


「なんだ……あはは……」


 随分、思いあがってしまっていたようだ。


 最初から分かっていたではないか。

 魔族と人間の感覚が違うこと。勝手に人の常識に当てはめて妙な期待をしてしまっていた。

 ルシアンは直々に若い乙女を生贄に欲しがり、セリーヌはその生贄としてここに来たのだ。

 すぐに死ぬはずだったのが、たまたま生きながらえているだけ。

 皆が優しいのも、親切にしてくれるのも、きっと生贄を良い状態で魔王に召し上がってもらうため……。


 それに、ルシアンや魔族たちは知らないが、そもそもセリーヌは魔王の天敵である聖女なのだ。


(そうよ、何を絆されているの。私の使命は、聖女としてこの命をかけて、魔王様を殺すこと──)


 なぜか口づけではルシアンが死ぬことはなかった。

 もちろん、伝説や言い伝えが必ず正しいとは限らない。世の中には間違って伝わった話もたくさん溢れている。

 本当は口づけ程度では効果などないのかもしれない。


 けれどセリーヌは確かに女神の神託を受けた聖女なのだ。

 どちらにしろ、生贄として食べられ、死ぬときにはきっとルシアンを道連れにできるだろう。


「うっ、うう……」


 セリーヌは涙を堪えきれなかった。

 ルシアンにちゃんと聞けば、「セリーヌは生贄などではない」と答えてもらえるのではないかと、心のどこかで期待していた。


 居場所を与えてもらえたような気になっていた。

 全てセリーヌに都合の良いただの願望にすぎないのに。


 セリーヌはやはり生贄でしかなく、結局今も一人ぼっちなのだ。


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