第3話 裏切りを知った日


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 それは生贄について魔王から要求が与えられた、少し後の昼下がりのことだった。



「クラウド!! 私、怖い……!」

「エリザ、大丈夫、大丈夫だから……」


(私は一体何を見せられているの……?)


 物陰に身を隠したセリーヌの視線の先で、男女二人が向き合い、見つめ合っていた。


「どうしよう、このままじゃ私が生贄だわっ! どうして私なの?クラウドっ」


 淡いミルクティー色の髪を振り乱して、声を裏返したエリザがクラウドの胸に縋り付いた。


「エリザ」

「クラウド! 私を婚約者にしてくれるんでしょう!? このままじゃ私、本当に選ばれてしまうわ! 一時的に他の誰かと婚約を結ぼうにも、もう今から探しては間に合わない!」

「馬鹿なことを言わないでくれ。仮にとはいえ、他の誰かと婚約するなんて」


 信じられないことに、この目の前の男、クラウドはセリーヌの婚約者だった。


 セリーヌはこの日、またまクラウドの屋敷の近くを通ったので、顔を出して帰ろうとしたのだ。

 先触れを出す余裕はなかったものの、セリーヌとクラウドはこうして何かのついでにお互いの顔を見に会いに行くことがあった。本人がいなければそれはそれ。門番に聞き、会うのが難しそうならばそのまま帰る。

 そういうことが出来るほどに二人の仲は良好で、かつ使用人たちともすっかり打ち解けた関係だった。

 しかし馬車を降りたところで、何やらただ事ではない会話が聞こえ、つい身を隠して二人の様子を覗き見てしまった。


 クラウドに縋りついているエリザは彼の幼馴染だ。これまでもエリザがクラウドに親密そうに声をかけることはあったが、彼はいつも『彼女は面倒な幼馴染で、自分も困っている』と言っていた。

 この時まで、セリーヌは疑うことなくその言葉を信じていた。


 少しだけ言葉に詰まったクラウドは、次の瞬間にはエリザの体を掻き抱く。

 そして絞り出すような切なげな声で呟いた。


「あと少し、あと少しだけ待ってくれ」


 ――君を必ず、婚約者に迎えるから。

 クラウドはそんな決定的なことは言わなかった。けれど、セリーヌにはその言葉が聞こえた気がした。


「クラウド、私あなたを信じるわ。信じて待ってる。だからお願い、今ここで私に口づけて!」

「……エリザ、それはできない。俺は愛する人に対して不誠実な真似はしたくないんだ」

「ああっ……でも、それでこそ私の愛するクラウドだわ。それじゃあ、私を婚約者に迎えてくれた後は、きっとうんと可愛がってね?」


 そこまで聞いて、セリーヌは静かにその場を離れた。

 もういいと思ったのだ。そして、そうだったのか、と納得する気持ちでいた。


 クラウドは誠実な男だった。

 セリーヌと恋人同士であり、婚約者であっても、口づけを交わしたことはない。


(それは、私を大事に思ってくれているからだと思ってた)


 けれど、違ったのだ。きっと真に愛するエリザに操を立てていたにすぎなかったのだ。

 そして今はまだセリーヌの婚約者という立場であるから、エリザを一時的にでも日陰者にしないために口づけを我慢している。


(クラウド様のあんな顔、初めて見たわ……)


 セリーヌの前で、クラウドはいつも優しく紳士だった。

 自分の婚約者が、愛する人の前では全く違う顔をしていることを、セリーヌは初めて知った。

 胸の奥がズキズキと痛み、眩暈がする。


 それでも最後の望みと、何か理由があるのかもしれないと少しだけ調べてみたが、分かったのはクラウドがエリザと他の男が婚約するのをこっそりと阻止していたことだけ。


(本当に、一時的にでも愛する人が他の男と婚約するなど許せなかったのね……)


 そしてセリーヌは諦めた。





 セリーヌの実の両親は、彼女がまだ子供の頃に亡くなっている。

 その後、セリーヌが次期当主となるがまだ幼く、叔父家族とともに暮らすことになり、当主代理に叔父がついたのだ。

 叔父夫婦にはセリーヌより一つ年上の息子と、同い年の娘がいた。


 クラウドとセリーヌの婚約は、まだ両親が生きていた頃に結ばれたものだった。

 始まりはクラウドの家、バレンス侯爵家の領地がある年災害に見舞われ、その復興のために深刻な資金難に陥ったこと。

 貴族学校時代に親交があったセリーヌの父がバレンス侯爵を助けたことで、感激した侯爵が将来自分の息子、クラウドとアレスター伯爵の娘、セリーヌの結婚を望んだのである。


 そんな成り行きで結ばれた婚約だが二人は相性がよく、すぐに仲良くなった。

 そのうちアレスター伯爵夫妻が事故で亡くなると、セリーヌの悲しみにクラウドが寄り添い支え、自然な流れで二人は恋人同士になった。


 叔父家族にあまり馴染めず、孤独を味わうセリーヌを支えたのもクラウドの存在だった。

 両親が生きていた時に比べ会える時間は減ってしまったけれど、二人は一緒に過ごせるわずかな時間で愛を、絆を育んできた。


(そう、思っていたのだけれど)


 いつ、どこから間違っていたのだろうか。最初からかもしれない。

 いつからクラウドの心にエリザがいたのか、セリーヌには分からない。

 クラウドとエリザは生まれた時からお互いを知る幼馴染だったそうだ。本当はセリーヌとの婚約よりずっと前から、淡い初恋がとっくに生まれていたのかもしれない。

 クラウドは、本当はただ婚約者となったセリーヌに努力して向き合ってくれていただけだったのかもしれない。


 なんにせよ、魔王が乙女を今年の貢ぎ物にと望んだ時点で、運命の歯車は回り始めたのだ。

 クラウドは、きっとそれまでは諦めてセリーヌと結婚するつもりだったに違いない。

 現に二人の結婚の時期は一年以上前から決まっていて、もうすぐ間近に迫っていた。


(けれど、思いついてしまったのね……)


 乙女が選ばれるギリギリで婚約を解消し、エリザと婚約を結びなおす。そうすれば、きっとセリーヌが生贄に選ばれるだろう。条件に当てはまる婚約者のいない令嬢はもうほとんど残っていないのだから。だからこそエリザは、このままでは自分が生贄になると怯えているのだから。

 ひょっとしてセリーヌを生贄にと神殿に進言でもするつもりかもしれないなと、嫌な考えが浮かんだ。

 セリーヌが生贄になってしまえば、あとはもうどうにでもなる。


 そうすればクラウドは愛するエリザと無事結ばれ、邪魔者であるセリーヌも『仕方なく』消えることになるわけだ。


 セリーヌはこの時点でさっさとクラウドに見切りをつけて婚約を解消し、急いで別の婚約者を探せばよかったのだ。きっと間に合っただろう。

 エリザには無理でも、セリーヌと婚約したいという令息はいくらでも見つかったはずだ。


 エリザは奔放な令嬢として有名で、貴族令息からの評判は良くなかった。けれど、セリーヌはそうじゃない。見目も麗しく、慎ましいセリーヌは密かに人気があった。


(でも今思えばエリザ様の評判も、クラウドとの愛を貫くため、変に他の男性に見初められないようにするためにわざと作り上げたものだったのかもしれないわね)


 セリーヌは絶望と虚無の中にいた。だから、もういいと思ってしまったのだ。


 諦めきってしまったセリーヌは乙女がついに選ばれるというその直前に、叔父夫妻に告げた。

 クラウドとエリザのこと。選ばれるまでもなく、自分が生贄になろうと思っていることを……。


 叔父は複雑そうな顔をしていたけれど、叔父の妻の目に喜びが宿ったのが見て取れた。セリーヌがいなくなれば現在当主代理である叔父は正式なアレスター伯爵になり、その後も自分の息子が継ぐことができるのだ。表面上は一度本当にいいのかと尋ねられたものの、それだけ。強く反対されることもなかった。


 クラウドだけがセリーヌの味方で、セリーヌを愛してくれていた。

 けれど、それも勘違いだった今、セリーヌを大事に思ってくれる人などもうどこにもいないのだ。




 選ばれた乙女のもとにはひっそりと神殿から迎えがいくことになっていた。

 だからその直前に神殿に赴き、自分が生贄になると告げた。その時の魔法士や神官たちの驚きは面白いほどだった。


 婚約者がいる者は該当せずと戸惑う神官にむかってセリーヌは用意しておいた自分とクラウドの婚約破棄証明書、そしてエリザとクラウドの婚約証明書を見せた。もちろんどちらも作成途中のもので手続きはまだ完了していなかったが、準備周到なその様に加えて、誰もが回避したい生贄に立候補しているのだ。

 最終的にはそこまで揉めることもなく、セリーヌが生贄になることが決まった。



 ちなみに、やはりセリーヌが声をあげなければ生贄にはエリザがなる予定だったらしい。

 クラウドは何をしていたのかと思う反面、そう上手くいかずに焦っていたのだろう、最近は連絡もほとんどなかったな、と思いなおす。


(きっと絶望から幸福へ一転するのね。どうか、愛するクラウド様が幸せになれますように――)





 こうしてセリーヌは生贄になった。

 そして魔界に送られる前、神殿の奥で過ごす最後の夜に、セリーヌは『女神の神託』を受けたのである。


 ――わたくしの愛しい子、あなたは正統なる聖女。邪を清め悪しきを滅してくれますか。


 セリーヌは皮肉な運命に思わず笑いを零した。


(結局最初から、生贄になるのは私であるべきだったんだわ)



 翌朝、彼女は神託のこと、自らが聖女だったことを誰にも告げることなく、ひっそりと魔界へ送られたのだった。



 魔法士が水晶に魔法を送り、ゲートを開く。

 眩い光に包まれたと思ったら、次の瞬間には匂いも空気も明るさも全く違う、魔王城にセリーヌはいた。


 目を開けると、すぐ目の前には冷たい空気を放つ魔王ルシアンがいて。


「――名前は?」


 低く、ひどく冷めた声。

 必死で震えを抑えて、セリーヌは自分の名を告げた。


 あの瞬間、セリーヌは本当の意味で自分が生贄になったと思い知ったのだ。


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