第3話 愛情

 深夜。フォスティアは空腹で目が覚めた。そして、ベッド脇に佇んでいたシェルキスの魔動人形が目に入り、反射的に飛び起きる。

 まどろみの中にあった意識は一瞬で覚醒し、その直後、ここにはは居ないことを思い出して安堵する。


『迂闊だった。同じ人族の女に虐げられてきたのだから、女型の人形は遠ざけておくべきだったか』


 うなり声と共に、開いたままの天井から角の生えた鹿のような、白龍シェルキスが顔を覗かせる。

 どことなく困惑しているように見えるその顔は、フォスティアにとっては目の前の人形よりも親近感を抱くものだった。

 ふと、フォスティアは龍の顔に触ってみたくなり、天井へ手を伸ばす。


『ん、どうした?』


 伸ばしたフォスティアの手に呼応するように、天井からシェルキスの手が差し伸べられる。巨大な手と鋭い爪は、確かに、人間の国なんかお伽話のように簡単に滅ぼせるのかもしれない。

 それでも、町を出て、動けなくなって葉っぱを食べようとしていた時に、ふわりと抱き上げてくれたのはこの手のはずなのだ。


 フォスティアは龍の指を掴もうとして、しかし、体に力が入らず、ぽすっ、と龍の掌へ倒れ込んでしまった。

 それに反応したかのように、龍の手がびくっと震える。それきり、龍の手が動く様子は無さそうだ。鋭い爪は確かに怖い。しかし、その《怖いもの》が自分を襲うことは無さそうだと分かれば、強力な武器に包まれていることは、満ち足りた安心感を与えてくれる。

 フォスティアは、そのまま眠りに落ちていった。


     ●


 翌朝、フォスティアは龍の手の中で目が覚めた。顔を上げると、なぜか疲れた様子のシェルキスと目が合う。


「目が覚めたか? では、すぐに食事にしよう。部屋の中で着替えてくるがいい」


 シェルキスはそう言って、フォスティアを載せた手を扉の近くまで寄せる。

 龍族の口腔と人族の口腔は骨格が違うので、龍族が人語ひとごを話す時は通信魔法を使う。シェルキスやザンハイトの声を、フォスティアが《頭に直接響くように感じる》のは、この通信魔法の効果だ。

 まだ寝ぼけているフォスティアは、せっかく寝心地の良い龍の手から無理やり下ろされそうになったと勘違いしてしまい、持ち上げた頭を龍の手にぺたっとくっつけた。抗議のつもりである。


「やだ。ここに居る」

『ふおぉっ!?』


 通信魔法による人語でフォスティアに語りかけていたシェルキスが、一瞬だけ龍語に戻る。

 シェルキスは続ける。


「……しょ、食事の後で好きなだけ甘えさせてやるから、今は着替えてきてくれ」

「きがえ……?」


 少しずつ頭が動き始めたフォスティアは、ようやく今の自分の姿に気づいた。昨日、の家から逃げ出した時のままの、ボロボロの格好だ。

 空腹なのは変わらないが、十分な睡眠を取ることができて、とりあえず動けるくらいには体力が回復していた。

 フォスティアは、眠い目をこすりながら扉の中に入っていった。


     ●


 新しい服は、ベッドのそばに既に用意されていた。

 フォスティアが着替えを終えた頃、シェルキスの魔動人形が朝食を持って部屋に入ってくる。

 しかし、フォスティアはそれを受け取らない。


「どうした? 心配せずとも、これは先ほど作ったばかりのものだ。昨日の作り置きを食べさせはせんよ」

「違う。……人形じゃなくて、龍がいい」

「ああ、そういうことか」


 シェルキスはすぐにフォスティアの意図を察してくれたようで、早速、人形で机を扉の外へ運び、その上へ食事を置いた。

 机の向かいにはシェルキスの手と、さらにその向こうには顔がある。それを確認したフォスティアは、ようやく食事に手を付け始めた。


「……食べながらでいいから、いくつか教えてくれぬか?」

「いいよ。何?」

「答えたくなければ答えなくていい。まずは、名を何という?」

「フォスティア・……メーデンハイト」


 姓を名乗るのを躊躇ためらった理由は、フォスティア自身もまだ自覚してはいないが、母の愛に飢えているからだ。

 自分を虐めてくる、怖いことをしてくると同じ姓など名乗りたくない。しかし、フォスティアの最も古い記憶に残るごく短い間だけは、ママは十分な愛情を注いでくれていた。お出かけの時に、オモチャ代わりに《掌灯》の魔道具も買ってくれた。

 そのかすかな記憶を支えに、フォスティアはいつかママが怖いことをしなくなってくれることを期待し、メーデンハイトの姓を持ち続けることを決意していた。


「そうか……良い名だ。では、次。いずれ人族の社会に戻る気はあるか?」


 人族のしゃかい。なんだか難しいことを言われた気がするが、戻る、という言葉の意味は理解できる。あんな、己の母親ですら敵となる場所へ戻るつもりなど、あるはずがない。


「……やだ。追い出さないで」


 今のフォスティアには、まだ自分の気持ちをうまく言語化はできないのだが、母親が自分への虐待をやめてくれさえすれば、再び母親と一緒に暮らしたいという気持ちはある。

 しかし、それはまず望めないだろうという諦めもまた、ある。だからこそ、に、母のもとを離れる時に《掌灯》を持ち出してきたのだ。


「ああ、すまない。追い出すつもりなど無い。おまえの望むまでここに居ていい。……ただ、本当は帰りたいのではないかと、少々不安だったのだ」

「帰りたくなんかない。ここのがいい」

「そうか、分かった」


 その後、シェルキスに見守られながら、フォスティアは食事を全て食べ終えた。

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