第2話 出会い

 フォスティアの意識が戻った時、彼女の目に映ったのは知らない天井だった。そして、自分の体に布団らしきものが掛けられていることに気づいた時、フォスティアは弾かれたように部屋中に目をやった。

 大丈夫だ、ここにママは居ない。でも、布団がある、ベッドがあるということは、いつかやってくるかもしれない。

 ベッドから、部屋から、逃げ出そうとして、しかし、フォスティアは全身に力が入らず、床に転げ落ちた。


「おお、目が覚めたのか?」


 フォスティアの頭の中に、町の外で倒れた時と同じ声が響く。

 反射的に顔を上げると、それとほぼ同時に、天井が開いた。箱のフタを開けるように、パカッ、と。

 そして、外された天井から、白い大きな顔がのっそりと室内を覗き込んできた。鹿か馬のような長い鼻筋。頭頂から生えた左右1対の角。おとぎ話に出てくるのと同じ、白い龍の顔が。

 フォスティアは恐怖に支配されながらも、どうにか部屋の隅へ這いずっていくことだけはできた。顔だけで天井ぐらいの大きさなのだから、きっと自分なんて簡単に食べられてしまうだろう。そんなことを考えていた。


『こらこら、いきなり覗き込んだら怖がらせちゃうでしょー?』


 唐突に鳴き声が聞こえてきた。

 この時のフォスティアには知るよしは無いが、それは龍族が意思疎通に用いる言語、《龍語》である。知らぬ者が聞いても、龍か、あるいは何かの大型獣の咆哮にしか聞こえないだろう。

 目の前の龍は、その声が聞こえた方に振り向いた。フォスティアは、その龍が自分から興味を外したように見えて安堵する。


 ほんの少し心に余裕ができたフォスティアは、母の機嫌が良い時に読み聞かせをしてもらった、あるお伽話のことを思い出していた。人間が黒い龍を怒らせてしまい、国を滅ぼされるというお話だ。

 あの龍は白いから、怖い龍ではないのだろうか。


 そんなことを考えていると、部屋の扉が開いた。その扉から、人間の男性のように見える人物が1人、部屋に入ってくる。

 背は高いがそれほど威圧感の無い体格で、年齢はフォスティアの母よりは若そうだ。着ているものは町の大人たちと同じような服装で、そこだけ見ればおかしなところは無い。


「驚かせてごめんね。僕は……えっと、は、白龍ザンハイト。よろしく」


 は、口を動かしてそう喋った。さっきまでの頭に直接響くような声ではない。

 彼は説明を続ける。


「この体は、龍族が君たち人族ひとぞくと交流するための魔動人形なんだけど……今の君にそんなこと言っても分かんないよね。とにかく、僕たちには君をいじめるつもりは無いよ。安心してね」


 言い終わると、天井からまた龍の顔が覗き込んできた。

 フォスティアは一瞬びくっとしたが、すぐにに気づいた。


「……さっきとは、違うひと、ううん、龍?」


 最初にこの部屋で目覚めた時に覗き込んできた龍と、今天井から覗き込んでいる龍とは別の個体だ、と。


「すごいね、白龍の顔の見分けが付くなんて。そう、あっちは僕の友達、同じく白龍のシェルキスだ。今は君に食べてもらうご飯を取りに行ってもらってるよ」


 と、これは目の前の魔動人形。

 フォスティアはうまく言葉にできないながらも、目の前の人形と頭上の白龍ザンハイトが同一人物、いや、同一龍物というべきか、ともかく、同じ存在であることを感覚的に理解していた。

 だから、ザンハイトに聞いた。


「もしかして、さっきの、シェルキス……も、人形を持ってるの?」


 その問いかけで、ザンハイトは固まった。人形も動きを止めたままだ。表情を見れば笑顔だが、どことなく困っているようにも見える。


「あー、えーっと……シェルキスは自分の人形を持ってないから、僕の持ってる予備を貸してあげる……ことになる、のかな?」


 やたら歯切れの悪い答え方をする人形。

 その時、遠くで何かの音がした。


     ●


 ザンハイトの人形が開けたままにした扉から、フォスティアは外の様子を窺っていた。

 2体の白龍、片方はザンハイトで、もう片方はおそらくシェルキスだろう。シェルキスは拡げていた背中の翼を畳むような動作をしていたから、さっきの物音は飛んできたシェルキスが着地した音だろうか。

 彼らは何かのやり取りをしているようだった。


『ありがとうシェルキス。……それと、先に謝っとくよ、ごめんね』

『なんだ? 人形はおまえの分しかないだろうことは予想しているぞ。食事はおまえがあの子に──』

『いや、予備はあるにはあるんだ。だけど』


 それからしばらくして。


 扉から入ってきた魔動人形の姿を見て、フォスティアは顔を引きつらせた。

 髪や目の色こそ違うが、母と同年代の女性。

 母から虐待を受けていたフォスティアにとって、《大人の女性》は自分をいじめてくる敵にしか見えなかった。しかし。


「……すまないな。ザンハイトのやつ、人形の予備は女性型しか持っていないらしい。だが、心配するな。俺もおまえに危害を加えるつもりは無い」


 女性型の人形はそう言うとその場に屈み、フォスティアを受け入れるように両腕を拡げた。不慣れな笑顔で口元をひきつらせながらではあったが。


「……マ、マ?」

「俺はおまえの母にはなれん。だが、決して見捨てはしないと約束しよう」

「ママ……ママぁぁっ!」


 フォスティアは女性型の人形に抱きつき、泣きじゃくった。


     ●


『……これでいいのか?』


 シェルキスは人形でフォスティアを抱き返しながら、どことなく照れた様子でザンハイトに問う。


『すごいすごい。立派にママやれてるじゃない』

『茶化すな。元はといえば、おまえが女性型人形しかないと言うから……』

『それはごめんって。近いうちに男性型も用意するからさ』


 ザンハイトは、ばつが悪そうに背中の翼をすぼめながら、そう言った。


『……いや、それには及ばん』


 しかし、シェルキスはその提案を断る。


『え、まさか本当にこの子のママになるつもり──』

『だから茶化すなと言っているだろう』


 シェルキスは言う。フォスティアは、同じ人族の女に怯えている。しかし、自分に……シェルキスの操る魔動人形に抱きつく時は「ママ」と叫んだ。

 今まで母に虐待されてきたがゆえに同族の女に怯えてはいるが、同時に母からの愛情にも飢えているのだろう。


『──母になってやることはできん。だが、母の代わりぐらいなら果たしてやりたいと思ってな』

『なるほどねー。あんまり特定の個体に入れ込むのもどうかと思うけど、まあ、もともとが僕たちの役目だしね。……まさか、君のほうからこの子を保護したいと言いだすなんて思ってなかったけど』


 ザンハイトはイタズラっぽい笑みを浮かべてシェルキスの顔を覗き込む。


『……こ、この仕事を始めてから、最初の保護対象だ。愛着を持つのも仕方なかろう』

『はいはい、そーいうことにしといてあげるよー』


 ザンハイトとのやり取りをしつつ、シェルキスは魔動人形を操作してフォスティアをベッドへ寝かせてやった。

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