第13話 ニルス、代表と邂逅する


ニルスは、なんの前触れもなく現れた加古かこという人物と、シビル・ボーダー・ライン地区を歩いていた。


「それで…。僕のことをなぜ知っているんですか。」


シルクハットを被り直したニルスは、狭い路地裏で外套を時々そっと持ち上げては、壁を避けながら歩く加古かこの隣で、そう尋ねた。



「何を言っているんだ、ニルス。もはや、君のことを知らない人なんていないよ。君は一夜にして有名人だ。あの発表、のおかげでね。」


「ソサエティ・スクープ…。僕は、薬を売っているところを見られたんです、あの青年に。」

「ルーク・ギレンホールか。それは仕方ない…。彼は新入りだが、既に会社のエースで、詮索網は東京中に張り巡らしているからな。」

自分と目を合わせようとしない加古かこは、常に遠くを見るような目線で、早足に歩き続ける。

「彼についても、知っているんですか。」

「ああ、ちょっとね…。うちAPCみたいな大企業は、時々ああいったベンチャーは利用しているからね。」


「ところで。」

加古かこは、そこで一旦立ち止まった。

無邪気な子供たちが笑いながら目の前を走り去っていく。


「君が開発した、「微睡の一滴まどろみのひとしずく」だけど、あれは「麻薬」だよね。」


その言葉を、自分の心、以外の誰かが口にしているのを、ニルスは初めて聞いた。


「いえ…。治療薬です。あれは、「渇望の病」を一瞬で治す薬です。」


「君はどうして、それが言えるのかな…?」


「確かに…。」

ニルスは、加古が言わんとしていることが分かった。


「確かに「微睡の一滴まどろみのひとしずく」は、「"繰り返し使いたい"という欲望」を引き起こします。だけどそれは、服用者にとっては、「今までに体験したことのない、至上のエンターテインメント」を何度も体験しているに過ぎない。薬は、渇望による空虚に囚われた、人の心を治療するんです。僕は、国民を笑顔にする、その手助けをしているんです。」


自然と声が大きくなるニルスを、加古かこは横目で一瞥した。


「君は今、東京で何が起きているのか、知っているのか?」


加古かこはそこでいきなり立ち止まった。二人は、既に「シビル・ボーダー・ライン」と「ウェスト・ディストリクト」の境界に立っていた。


ウェスト・ディストリクトは、東京の人口密集地区だ。百数十万人ほどが生活をするこの地区では、人工的に散りばめられたわずかな緑を残して、コンドミニアムや家屋が連なる巨大なハビタブルゾーンとなっていた。



と、次の瞬間、一台の、真っ黒な装丁の車が二人の前に停車した。


「さあ、これに乗ってくれ。君に見てもらわなければならないものがある。」

加古はそういうと、運転手に合図を送った。

仰々しくお辞儀をし、後部座席のドアを開けた運転手に招かれるようにして、ニルスは車に乗り込んだ。その車は発車すると、なめらかに車道を走りだした。


車窓から住宅街を眺めていたニルスは、あることに気づく。

(今日は、外に出ている人ばかりだ…。まるで一つの方向に向かっているように…。)

隣に座る加古は、外ばかりを見ているニルスに、また一瞬視線をやる。


「気づいていると思うけど、今日はかなり人出が多い。いや、昨日の夜からそうだ。皆、君の薬を探し求めて繰り出しているんだよ。」


「そうですか…。昨日の、あの一回きりのニュースを、皆頼りにして…。」


ソサエティ・スクープによる「微睡の一滴まどろみのひとしずく」の宣伝効果は絶大だった。だが、ニルスはそれを意図していたわけではない。希望者が殺到しても、一気にこれだけの人民に与えるだけの薬の量は、作れない。


「僕の薬…。あれは、僕の手を離れて、とてつもない流動ムーブメントを起こしてしまったんですね。」


だが、それは決して悪いことではないはずだった。薬は、病を治す治療薬であるはずで、需要は治療の希望者がいることを物語る。これだけの人々が、薬を買い求めることは確かに異常事態ではあったが、薬は着実に人々の手に届いていく。


何か理由があるはずだった。

隣で、両方の指を交差させて膝の上に置き、脚を交差させ座っている加古は、窓の外の、遠方に目をやり、黙っている。


車は、徐々に加速し、やがて「メトロポリタン・エリア」に差し掛かり、CoT八番街が見えてきた。「探求心キュリオシティ」がテーマのこのエリアは、文化施設やメディア企業が集積している。

人々が最も集まる「メトロポリタン・エリア」は、どこの区画も人の往来が活発だ。そして、今日は特に。


「どうして、僕をここに…。」

ニルスは、自分がスペース・ニードルに立って東京の街を見下ろし、初めて「自殺者」を見たときのことを、病が発生した時のことを、思い出していた。

あの時、自分の使命を知った。なぜ、「クラウン」であった自分が「この」東京へ来たか。それから、自分は…。それから、病を治すために、「全国民を笑顔にするために」すべてをかけてきたのだ…。


「ニルス、これから起きることは、全部現実だ。よく見てほしい。」

いきなり、加古かこが口を開いたかと思うと、車はゆっくりと、CoT八番街に入っていく。


ニルスは、ただぼんやりと、右手に流れる街並みを眺めていた。「現実」、そう加古は言った。一体、何が起きているというのか…?



その時だった。ニルス達の乗っている車が、いきなり大きな衝撃を受けた。

後継車が、追突したようだった。


「どけよコラ!法定速度なんて糞真面目に守りやがって。俺たちは急いでるんだよ。」

口の悪い運転手がニルス達の車に向かって怒鳴り、窓から身を乗り出している。

「ったく、どこもかしこも車だらけでよ。やってらんねえな。おい、お前たち、ここから先は歩いて店まで向かうぞ。」

運転手の男性はそう言うと、若い女性が2名、車から降りてきて、「薬」の場所へと向かっていく。

バックミラーには、いきなり停車した後継車の後ろにも、無数の車が連なっている。路駐した車に咄嗟に反応した車の、クラクションも連なる。


(あの女性たち、病に侵されているようには見えなかった…。)


車から降りた女性たちは、華奢ではあったが、健康そうだった。笑顔さえ垣間見えた。外から聞こえてくる話し声と足音にハッとして街並みを見渡すと、まるで「賞金」をかけたサバイバル・ゲームでもあるかのように、大量の人々が駆け足に、一つの方向へ向かっていく。

人々は、皆、何かに飢えたように目を血走らせ、嬉々として前へ進んでいる。


(「渇望の病」は、どこへ行ってしまったのだろう?皆、どうして嬉しそうな表情を…。)


「君の目には、今、まるで病人なんて存在しないようにこの街が見えているだろう。」

加古が、前を向いたままニルスに話しかける。

ニルスは、少しだけ首を縦に振る。


「その通りなんだよ。今起きていることが、わかるかい。人々は、「微睡の一滴」を、快楽のためだけに求め始めたんだ。あれだけ、「メディア」に出てしまったら、訳もないことだ。」


「…。だけど、治療目的のために「微睡の一滴まどろみのひとしずく」を買う人だって、まだいるはずです…。」

加古かこは冷たく、首を横に振る。


「残念なことに、彼らには行き届かないだろうね。人の「中毒性」のメカニズムを知っているかい。一度あるものによって与えられた快楽を、何度も何度も人は求める。アドレナリン、ドーパミン…。君は、どうやってやったのか知らないが、それらを見事に人々の脳内で大量に発生させ、最高の、いや、最悪の中毒状態を作った。「病気」で空いた穴を防ぐ「ゼロからイチへ」より、「イチを増やし続ける」ことで、より楽に、より継続的に喜びを得られる…。だから、もう、純粋に治療を求めるものなどいない。」


(だけど、だとしたら…!病人は、流行り病は、どうなる…?)

ニルスは嫌な予感がして、フロントガラスから見える、前方にそびえたつ「スペース・ニードル」を見た。


そこには、何人もの人が、展望台の縁に立ち、下を見下ろしている。


ーあッ…!

ニルスが声を上げる間もなく、一人が、そこから飛び降りた。後ろに団子状に連なる人たちも、何かに吸い込まれるようにして、縁の端へ、端へと歩み出ていく。


ニルスの嫌な予想は的中した。

自殺者は、今ここで、ニルスの目の前でも、発生していた。

薬を求めて「メトロポリタン・エリア」へやってきた病人には薬が行き届かず、欲望にまみれた健康な人民だけが薬を手にした。行き場を失った病人は、ひとり、またひとりと病に倒れていく。それだけではない。薬が届くのを家で待つ者、病を抱えながら目的地へ向かっている者も、時間の経過とともに、次から次へと倒れていくのだ。


(待って、まだ行っちゃだめだ…!僕が何とかするから…!)

車を降りようとするニルスを、加古かこが制した。


「今君にできることはないよ。言っただろう、これが現実だってね。」


「僕は、僕はッ…!僕は、みんなを救うんです。こんなところにいられない。薬の他にだって、僕にできることはまだあるんだ。僕は道化師ピエロなんだ…!人を笑顔にするのが生業です。頼むから、止めないでください。」


「何が。君に、何ができるんだ?君が作り出すものは、刹那的な消費、幻想的な快楽にしかすぎないということに、気づかないのか?」


(刹那的な消費…!?)


「調べさせてもらったよ。君のこと。君は、子供たちに道具を与えたりしているんだろう。だけどそれは皆、時間制限があったり、一回使ったら消えてしまったりと、キ君が生み出す道具は、皆すぐに「消費」されてしまう、そうだろう。」


ー時間、だなんて。


「時間だなんて…、僕は、ここに来てからずっと、人の笑顔のために、やってきただけなのに…!」

仮面が割れるような音が、脳内で聞こえたような気がした。

体の内部から、何かが突き上げてくるような衝撃が沸き上がり、吐き気を催す。


「人に影響を与え続けるには、人を本当に変えるには、君のやり方は向かないんだ。」


(僕では、ダメだった…?では、僕は何のためにここに…?)

絶望と孤独に全身が震える。

両手でパンツをくしゃりと握りしめ、仮面が割れそうな痛みに抗うのもやめ、

ただ座ることしかできなかった。



ーもう、わからなくなったよ。

やっぱり、僕、失敗しちゃったみたい。君の言うとおりだったよ。僕は、もう少しでこの世界に吞み込まれて、消えていくんだ。


脳内でつながる「悲しみの無い世界」の懐かしい声へ、語り掛ける。


ーごめんなさい…。



気力を失ったニルスを見ていた加古かこは、口を開いた。


「だがね…。」


タクシーが停車する。

「着きましたよ、加古かこさん。」

運転手は、加古かこに話しかける。タクシーは、ある建物の前に停車していた。


「君のその才能、人を喜ばせる才能…。それを、僕は活かせるんじゃないかと思ってね…。」


加古かこはそう言って車を降りてニルスのいる側に回り、車のドアを開けた。


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