第12話 ニルス、病の蔓延へ立ち向かう


 翌日、ソサエティ・スクープの情報を受け、政府から正式に発表された内容に

ニルスは耳を疑った。


「東京都庁から正式に、大変残念なお知らせがあります。「渇望の病」が蔓延し始めてから1か月が経過しました。以来、政府は原因の解明を急ぎ、対応策を探っています。しかし、。」


 ソサエティ・スクープの報道からほどなくして、政府から「」ことが発表されたのである。


政府は、外で目立つような自殺が起きなくなった東京においてじわりじわりと増加していた室内での自殺者の報告を受け、「渇望の病」の蔓延が始まった頃からの自殺者から、数に変動がない、それどころか、むしろ微増し続けていることを発表した。政府は、室内だけで自殺者が増えていることに目を付け、「メトロポリタン・エリア」の売店、オンライン・ショッピング・プラットフォーム「メルカド」の調査を行った。その結果、明らかに数量と価格がコントロールされていることが明るみに出、GAPPA企業群の秘密裏に結ばれた取り決めが発覚した。政府は、自殺者が減らない原因を、彼らの製品や過激な広告が通常通り行われていたことへ紐づけた。



そして、ついに政府はGAPPA企業群による宣伝を一切禁止した。




(いったい、何が起きているんだ…?)


暗い自室で、飲み干したダージリンティーのカップに視線を落とし、静かに座っていたニルスは、そっと仮面を外した。さっと血の気が引いたような、蒼ざめた顔をしたニルスの唇は、震えていた。


(自殺者が減っていない…?)


聞き間違いだ、ニルスはそう信じたかった。いくらGAPPA企業群によって、消費者の購買量が増え、「渇望の病」が蔓延し続けていたとしても、ニルスがメトロポリタン・エリア中にばらまいた「微睡の一滴まどろみのひとしずく」は確実に効いているはずであった。一粒100万円。「メトロポリタン・エリア」の住民は約150万人。そのうち、成人の人口は、その半数の75万人。ニルスのもとに集まったお金は、数千億円を超える。延べ人数で成人の半数に行き渡った想定だ。


(感染者が、成人人口の半数を超えている…?いや、そんなはずはない…。)


お金は、集まり続ける。だが、「渇望の病」には対処しきれていない。


(これでは、僕は目的を達成することができない…。)


微睡の一滴まどろみのひとしずく」で、国民にひと時の夢を、至上最高の娯楽を届ける。それが、ニルスの「道化師ピエロ」としての役目であり、目的だった。


(「国民全員を笑顔にする」。目的の達成のためには、必ず病を治す。

僕はここへ来た時に、そう決めたんだ。それなのに、なぜ自殺者が減らない…?)


(僕が、ここへ来たことが間違いだったというのか…?)



★★★


―ねえ。


ニルスの脳内で、あの時、「微睡の一滴」を生み出した時に再生された声が、

再び蘇る。


『ピエロとクラウンの違いって、わかる?』


ニルスは、絵の具で描いたような青の空に、大きな入道雲が立ち上る空を見つめ、丸太小屋の前に座っていた。隣に、誰かいる。


『ねえ、この世界には、ピエロとクラウンがいるって、ほんとうなの…?』


ニルスは、自分の隣に座る、すり切れた紺のジャケットに、赤茶色のチェッカーのパンツ、黒いゴム長靴を履いた細くて柔らかい金髪の青年に話しかけていた。青年は、紫と白がマーブル状に混ざったような色の羽帽子を、ちょこんと頭に着けている。


『本当だよ。だけど、ピエロの世界には行ってはいけないんだよ。ピエロの世界にいったら、もう戻ってこれないんだから。』


『どうして…?』


『その人たちを幸せにしたくなるから。「悲しみ」の感情をなんとかしてあげたいと思うようになって、ぼくたちの仕事に終わりがなくなる。』


『え…。でも…。もし、「喜び」の反対の感情が、「悲しみ」ってやつが本当にあるなら、僕はみんなを笑顔にして、そんな感情、治してあげたい。』


『ほんと、ニルスってまじめだな。そんな簡単にいくはずないよ。』


一つ年上の兄貴分であるその青年を、ニルスはおぼろげに思い出していた。青年はいつもニルスを宥めすかすような慈愛に満ちた目をして、ニルスにははは、と笑いかける。すこし間を置いて、青年は尋ねる。


『でもさ、ニルスって、一流の道化師クラウンになったら、何がしたい?』


『僕は…。僕は、を、いっぱい、いっぱい、笑顔にしたいな。』


『ニルスの、か…。』

青年は、大真面目な表情のニルスを不思議そうにじっと見つめ、やがて視線をそらした。


『なあ、もしお前が、本当にあっちの世界に行くなら、絶対、道を踏み外すなよ。お前みたいに純粋な心の持ち主は、心が澄み切ったガラスみたいに綺麗だから、脆くてすぐに壊れるからな。そしたらもう戻れなくなるぞ。』


ニルスは、その時、青年が何を言っているのか、わからなかった。


だが、今はわかる。


2100年の東京。

目に入る全てを手に入れることができるようになった人民が行きついた先、際限なき欲望に囚われ、いつしかそれが渇望に変わった。渇望の渦に呑み込まれ、それは病と呼ばれるようになった。どうしたら、東京の民を、「全国民」を、笑顔にできるのだろう?ニルスは、考えれば考えるほど、分からなくなる。


悲しみの存在する世界。2100年の東京に姿を現し、「クラウン」から「ピエロ」となったニルスは、仮面を外すたびに、身を切るような痛みと悲しみに襲われた。


人は悲しみや辛さに耐えるために、消費を続ける。

ニルスは、その気持ちを、取り除きたかった。東京の民に、子供たちに、笑顔を与えたかった。自分が生み出した、「至上最高のエンターテインメント・ショー」によって。


考えろ、考えるんだ。ニルスは自分にそう何度も言い聞かせた。

だが、自分が生み出す薬や見世物には、限界がある。いつかは、悲しみに呑み込まれてしまうかもない。


(青年の言っていることは、正しかったんだ。僕は、ピエロにはなれない…。)

ニルスは、仮面を両手で握りしめ、ただそれを見つめることしかできなかった。




ーコンコン。

その時、誰かが扉を叩く音がした。

「ニルス・ヨハンソンか。ここを開けてほしい。」


誰かが、ニルスを呼んでいる。よく響く低い声。

仮面を装着し直し、ドアをそっと開ける。

そこには、見たことのない男性が立っていた。30代半ばくらいだろうか。白いタキシードがすらりとした体系を際立たせ、紫色のハンカチーフを胸ポケットにのぞかせている。


「あなたは…。」


「初めまして。私は、Advanced Pharmacy Corporationアドバンスド・ファーマシー・コーポレーション、APCの代表、加古亜紀人かこあきとだ。今日は君と話がしたくてここを訪れた。「救世主ヒーロー」ともあろう人物が、こんな窮屈で薄暗い家に住んでいるから、驚いたけどね。」


「…GAPPAの代表が、僕にどんな用ですか。」

そもそも、この加古という男性が、なぜ自分を知っているのか、どうやってこの住居を探し当てたのかは、全く以て謎だった。



「君が驚くのも無理はない。私も、君を知ったのはつい最近だからね。とにかく、細かい話は後にしよう。すこし、私と歩かないか。」



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